軽く概要だけですが、参考にしてください。
聖書箇所:へブル人への手紙4:1−11
たとえば、ある一般人がホワイトハウスに行って、とても個人的なことをお願いしたとしましょう。(娘の学費のこととか、家の前の消火栓のこととか。) 大統領にそんなことお願いできないばかりか、面会することもできません。まず、門衛に追い出されてしまうからです。 門衛は、面会予定のないこのある人をホワイトハウスにいれることなんてありえないのです。 こんなとき、どうすればいいのでしょうか。
→大統領が自ら動くしか方法はありません。
追い払われた人の姿を見た大統領が、私はあの人と話したいんだと言わない限りこの人は、面会もお願いもできないわけです。
実は神様がおられるところもこんなところです。それでも神様は私たち一人一人と話したいんだ!と言ってくれるから私たちは地位が低くても、面会することができるのです。
こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。 へブル10:19
本来なら、ユダヤ人しか入ることはできないところでした。(レビ記10:1−2)
@神様は清い存在です。私たちは清くありません。つまり、誰も神様の前にたてる人はいませんでした。 そんな、神様に面会でき、お祈りができるのは、イエス様の十字架のおかげなのです!
その、面会するためのやり方は本当に、本当にすごいやり方でした。しかし、それほどまで神様は人々を愛してくれたのです。
だから私たちは人に褒めれらるために奉仕をするのでなければ、牧師に評価されるためにするのではないのです。 素直に神様のために、神様に従うために、ありがとうというメッセージを込めて奉仕をしているわけです。
最後にこんな例話を聞きました。
ある女の子が、お母さんの帰りを待っていました。ひとりでお留守番をしているのです。 すごくさびしい思いで待っている女の子の前においしそうなジャムがありました。そのジャムは少し高いところにおいてあり、とるためには椅子にのる必要がありました。しかし、以前お留守番をしているときに、その子はジャムをすべて食べてしまって、お母さんに怒られた経験がありました。 でも女の子は我慢ができなくなり、食べようと試みます。しかし、椅子の上でバランスを崩してしまい、ジャムと一緒に落ちてしまいました。 ジャムは割れて、中身が飛び出てしまいました。 女の子はお母さんに怒られると思い、自分の部屋に隠れました。
そして、お母さんが帰ってきて、そのジャムを見て、少し心の中で怒りました。でも、一人でさびしかったんだろうなと察して許してジャムをきれいに片づけました。そんなときに、電話が鳴り、お母さんはジャムのことなんて忘れてしまうぐらい話していました。
女の子はまだ部屋の中で、お母さんは怒ってるだろうなと思い、怖くなっていました。
私たちもこの女の子と同じです。 落してしまったジャムのことが気がかりで、いつも神様の前に出るのを恐れています。 確かに犯した罪はたくさんあり、それは見たくないものがほとんどです。でも恐れる必要はありません。 A神様は、悔い改めれば、何事もなかったかのようにしてくださいます。
もうすでに許されているからです。
@から、神様ってこんな人!ということを学び、Aを通して罪が許されているんだという確認をして、そのあとに聖餐式がありました。 聖餐式のためのメッセージを古川先生が用意していてくださって、新鮮な思いで聖餐にあずかりました。
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