使徒の働き13:1−4
何回、引っ越されたことがありますか? 何度、職を変えたことがありますか? 人生の中で大きな変化はありましたか?
もちろん、みなさん変化はあったと思います。そして、人はその変化に対して、様々に思うところがあります。
では、パウロはどうだったでしょうか?
@変化に富んだパウロの生涯
☆アナニアに出会い、キリストに出会い、キリスト迫害→キリスト礼拝に転換した。 アラビアの荒野で3年間も遊牧民として過ごし、ダマスコで伝道していると迫害されて、身の危険を感じて表舞台から故郷タルソで過ごす。 タルソでひっそりと過ごしている時に、バルナバがわざわざやってきて、ぜひアンテオケでともに働こうと言われ、主の働きに復帰した。
今まですごい変化を繰り返してきたパウロでした。
この話をされたあと、賛美歌307の作者の話をしてくださいました。 この作者はアフリカ宣教のビジョンが与えられていたそうです。 そして、さまざまな人に献金を募り宣教しようとしましたが、なかなかお金が集まりません。 途方に暮れていたその作者がある集会で聞いたお祈りがありました。 それはおばあさんのお祈りでした。
祈り 「あなたの御旨通りになりますように。私をどうにでもあなたの計画のために用いてください。」
それを聞いて、作者はひらめいたそうです。その夜エレミヤの18章から、「主は陶器師、われは土くれ」という言葉をいただき、307を作詞・作曲したそうです。
パウロもよくわかっていました。 「私は土くれだ」と自覚していたのです。だからこそ、ここまで変化に対応できたのではないでしょうか。
まとめ@ 神様は環境をどんどん変えて、パウロを作っていきました。自分の描いていた計画は崩れました。
今回の使徒の働き13:1−4によると、アンテオケの教会は、パウロにとって表舞台であったと考えられます。 1節→そして、少なくとも、有名な5名の牧師がいたことがわかります。(預言者、教師とは当時の説教者だったそうです。) みんな、スポルジョンという伝説的な説教者のように説教への意気込みがあったのです。その中の一人がパウロであったのです。
2節→バルナバとパウロを聖別して・・・ パウロとバルナバを手放してしまっていいのだろうか・・・と思った人もいたでしょう。でも、周りの人々は断食と祈りをして、出発させたのです。 →聖霊の導きに従った!!
ということで、パウロとバルナバは小アジアへ福音を運びに行くことになるのです。
★安定した環境を手放すとは・・・ 聖霊の導きに従って、未知の世界に旅立つとは・・・一体、どういうことなんでしょうか。
Aパウロは10年で動き回った 彼は牢屋の中ですら引っ越しをしていました。 一体彼の人生はなんだったのだろう。 →もちろん、聖霊に導かれたのです。でもそれだけではないと考えられます。 パウロには、開かれた心があったのです。(→様々な環境に挑戦してやるんだ!という思いや、対応する力もあったかも知れないが、なにより【心】があった。)
◎信仰者は人生に飽きません。 ◎信仰者は新しい世界に旅立ちたい。
未知の世界に飛び込むとき、その落差は2.3倍にも見えるように人間というのはできているのではないかり思えてしまうことが多いでしょう。 でも何も考えないで、何かにひかれるように、飛び込むのです。
ジャンプロックというゲームがあるそうです。 これは、岩をどんどん登っていって、そしてある場所に来るとそこから川に向かって飛び込むという遊びだそうだ。 最初、高いところから見た川というものはとてもではないけど、飛び込めないでしょうと思ってしまうようです。 でも、何も考えずに、何かにひかれるように飛び込んだ時、不思議なぐらい「楽しい」と思うのです。 そして、「もう一度、飛び込みたい!!」と思ってしまいます。 恐れを振り切り飛び込む・・・
パウロは、もちろん自分の未来を知ることはありませんでした。 しかし、信仰をもって飛び込む時のすがすがしさがあったから未知の世界でもやっていけたのでしょう。 さらに、未知の世界に飛び込んだ時に、神様の導き、神様の恵みが気持ちいいと思える経験をしたのです。
アンテオケの教会を何の躊躇もなしに出て行きました。 それは、信仰の生き生きした感覚を体験するためでもあったのです。
神は、常に新しいチャレンジを与えられます。 だから、私たちが召されていることは、恵みの世界に飛び込むということなのです。
そのとき、最初は落差におののくかもしれません。でもそんな「試練」の後にまっているのは神様の恵みの【川】です。 神様のチャレンジにこたえることで恵みの気持ちよさを体験することができるのです。 それはなんとも素晴らしく気持ちのいい喜びなのです。
まとめA 私たちも、ぜひその恵みの川に飛び込む勇気をいただき、神様が用意してくださる恵みの素晴らしさを体験したいものです。
感想:お忙しいT・Yに代わって、説教の要約を書かせていただきました。あまりにも主観的でしたらごめんなさい。私にはこう聞こえました(笑)
このメッセージを通して、自分はまさにその恵みの気持ちよさというものを今経験しているなと思わされました。 不安な思いで、日本に帰ってきて、いろんな教会を回りました。言葉は悪いですが、妥協しようと考えたこともありました。 そんなときでも、祈れば聞かれるなと感じたのです。 素晴らしい教会に導かれ「神様の恵みの気持ちよさ」を体験できることに感謝です。
試練があっても(岩から飛び降りるのが怖いと思っても)キリスト者の特権は、@試練にも意味があるとわかるということでありA試練のあとに必ず恵みが待っていると期待することが許されていることだと思います。
試練に恐れず、恐れを振り切り人を愛し、飛び込みたいと思いました。
自分も、新たにまた挑戦していきたいと思わされました。すでに、さまざまなところで一歩を踏み出しています。 また、どんどん新たな恵みの川の心地よさを経験したいのです!!
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