名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索
名前検索

::: 説  教 :::


779 5465 統計カウンターの表示   管理者で接続
Name   T・Y
Subject   11/23 江藤博久牧師:「集中治療室」エゼキエル18:30〜32
☆江藤博久牧師夫人、恵子姉よりお証し

皆さんおはようございます。今日は本当に素晴らしい教会日和、真っ青な空が本当に美しいですけれども、今日はこうして高津教会の皆さんと礼拝をお捧げすることができて、ほんとうに嬉しく感謝しております。とてもお世話になっている方に対して、足をその方のおうちの方に向けては寝られないなどとよく申しますけれども、私たちにとっては、本当にその通りだと思います。高津教会の方向に足を向けては寝られません。

特に主人にとりましては、2006年の前期にインターン生として、しばらくこちらに迎えていただいて皆さんからどれほどのご配慮をいただきましたでしょうか。ほんとに言葉に尽くせないほどのご愛をいただきました。また卒業しまして後も、お祈り続けてくださって、どのように感謝な思いをお証しすることができますでしょう。本当にありがとうございました。

今日はシンガポールで、46歳の時に中国系シンガポール人のひとりのクリスチャンとの出会いによって、聖書と教会とイエスさまに出会ってクリスチャンになりました。クリスチャンになってからの歩みをお話させていただければと思います。
皆さまも経験されまた体験されていることですけれども、“in my case”私の場合としてということでお話させていただきたいと思います。

私はイエスさまに出会った時に思ったことが2つありました。
一つはこのお方を大切な方に知らせたい。知ってほしいという思いでした。夫に子どもたちに、母や兄弟たちに、親しい友人や知人たちに。そして出会う人たちに心からそう思いました。
家で聖書の学びをすることを「家庭集会」と言うことも知りませんでしたし、まだ洗礼も受けていませんでしたけれども、シンガポールの我が家の台所で洗礼を受けたばかりの姉妹と二人で、イエスさまが私たちにどんなにすばらしいことをしてくださったのか、互いに話し合ったりお祈りしたりして、とても豊かな時を持っておりました。

そんな中に不思議なように、クリスチャンでない方が一人、一人と加えられて来るようになりました。毎週毎週集まり、一緒に賛美したり、聖書を読んだり、テープを聴いたり、「イエスさまってすばらしいのよね」とお話しているうちに、信仰を持たれる方々が次々と出るようになってまいりました。
私たちは聖書のことも他のこともよくわかっていませんでした。けれども聖書は大好き。イエスさまが大好きでした。神さまが、聖霊なる神さまが働いてくださったとしか言いようがありません。

二つ目はこのお方をもっともっと深く知りたいと熱く思ったことでした。
このお方、イエスさまとの交わりの中で、夫婦の関係、親との関係、子どもとの関係、他者との関係、そして私自身との関係が少しずつ変化していきました。
それぞれの関係に問題がありました。
今朝は私自身の変化についてお話させていただきます。

聖書をお読みしますので、お聞きになってください。
イザヤ書の9章の6節、メシヤ誕生の預言の所ですが、クリスマスが近づいて来ましたので、よく開かれる箇所だと思います。

イザヤ9:6 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。
        ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
        主権はその肩にあり、
        その名は「不思議な預言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

「平和の君」と呼ばれる方が私の人生に来てくださいました。
イエスさまに出会う前、私は平和ではなかったということです。私は私自身と平和ではありませんでした。自分と仲がよくなかったのです。
セルフ・イメージが――自分自身をどういう風に思っているかということですけれども――とても強く自己像がとても強く、劣等感も強く、自分に自信がなく、隣の芝生がいつも美しく見え、いつも他者と自分を比較して、そしてまたまた自信をなくすということを、小さい時から繰り返していたように思います。
自分の思っていることを言葉で表現したりするのがとてもとても苦手で、いつも何かがあっても、心の奥深くに蓋をしてしまうというようにしてきました。
そんな自分が嫌いで、いつも人に認められたい、人によく思われたい、突き詰めてみると、人に愛されたいという思いを強く持っていました。
自分はダメだなぁという思いがいつしか心に穴を作り、自分を大切にしなければしないほど大きくなっていきました。

そんな私が平和の君であられるイエスさまに出会ったのです。
キリストに出会うということは、今まで知らなかった自分と出会っていくということでもありました。
それまでの私の歩んできた人生を道として眺めて見たとき、随分あちこちが痛み、傷つき、修理不可能と思えるところも多く、どこから手をつけていけばよいのかと思うことでした。けれども「平和の君」の言葉は真実で、本当に優しかったのです。
永遠に変わることなく、聖書の中で人々にひとりひとりに語られた一語一語は、私にも語られた言葉でした。

あなたはわたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。(***マタイ3:22)
愛する子よ。わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。(***イザヤ43:4)
わたしはもうあなたの罪を思い出さない。(***イザヤ43:25、エレミヤ31:34)
愛する子よ。わたしを信じなさい。私について来なさい。(***ヨハネ14:1、マタイ4:19)
愛する子よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたとともにいます。(***マタイ28:20)

などなど、数え切れない程の主の愛の言葉が、朝に昼に夕べに語られました。

ある日のことですが、私の人生を振り返ってみました時、綺麗に傷が治っているところもあれば、傷跡が残っていたり、まだまだ治療中という所もありましたけれど、結構味わいのある道になってきていたのです。
そして気づきました。いつの間にか、あんなに仲の悪かった自分と仲良くなってきている自分に。
私の場合、長い長い年月が掛かりました。
主が私を愛してくださっている眼差しのように、私自身を見つめることは私にとって生涯の課題だと思っています。

そして不思議なことにイエスさまと親しくなればなるほど、夫婦の関係、親との関係、子どもとの関係,他者との関係にも大きな変化が出てきたのです。
私と私の関係が平和になった分、仲良くなった分、他との関係も平和になってきたのです。まさに「平和の君」がしてくださったわざだと思うのです。

後期高齢者と呼ばれる日の近い私ですけれども、これからの大切な人生の締めくくりをどのように歩いていけばよいのかと思います。
今回こうしてお証しをさせていただくことになり、自分自身を振り返ってみました時、
「イエスさまってほんとにすばらしい方なのよ」と出会う方にお知らせしたいという思い、そしてこのお方をもっともっと更に深く、個人的に親しく知りたいという思い、イエスさまと初めてお会いした時と変わらないことに気づかせられたことです。
短い証しですが、ありがとうございました。

☆聖書箇所      エゼキエル18:30〜32

30それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。――神であるう主の御告げ――悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。
31あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
32わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ――だから、悔い改めて、生きよ。

☆江藤博久牧師の説教    集中治療室

おはようございます。(おはようございます。)この栄光ある高津教会の講壇にお招きいただいたこと、本当に心から感謝いたしております。
この講壇との私の、ちょうど8年前にさかのぼります。
ちょうど神学生の4年生でインターン実習の前期の6ヶ月間で、実は大変皆様と、満先生の指導、並びに本当に皆さんの温かいお交わりの中に、この教会というものをどのようにしていくのか、よく学ぶことができましたことをほんとに感謝しております。
それでこの度、いろいろ何をお話しようかなと思い、調べ物をしていますと、ちょうどその時に、高津でのインターン実習の報告書というのが出てまいりまして、そこで、ごく短い文章ですからご披露してそれから本題に入っていきたいと思います。

これは妻も申しましたように、2006年のことでございました。
インターンの期間は4月の中旬から9月いっぱいまでの半年間で、実はお邪魔いたしました。
インターンというのは、ちょうど120のインマヌエルの教会が、当時教団全体でございました。その中でどこへ遣わされるのか、これは全然皆目見当がつかないわけです。
そういうような中で、「高津に、江藤神学生は半年間お願いします」と言われたわけです。
これはもう恐ろしくて、驚愕いたしました(笑)。
しかし来るべきものが来た、という緊張はものすごく走りました。
一度はこの教会の現場ですね、イエス・キリストの歩かれた、建て上げられた現場で、藤本満先生の足下で、足元で学びたいとそのように思っていたからです。

半年間、マンツーマンで神学生はひとりですから、願ってもない機会でございました。
私のような60歳を過ぎてから神学生になったわけですから、そのような者が、それでも何と言ったらいいでしょうか、日本の代表的な神学者であり、またメッセンジャーから、本当に説教の組み立て方、霊性、先生の持っていらっしゃるあの霊性ですね、そして牧会の持ち方、教会活動その他の。その中には壮年会、婦人会、青少年への対応、そして聖餐式とか洗礼式・結婚式・葬儀などの典礼のやり方、そしてその中心的な聖日礼拝ですね、そして祈祷会の持ち方など、全体的なこの教会運営の中の中心的なこと、それを直接先生から学べる。
ほんとに感謝なことでございました。それも6ヶ月間も。

とても嬉しかったことですが、しかしそのような学びよりも、何よりも先生を通して私が嬉しかったこと、それは伝道者としての一つの大きな姿というのでしょうか、模範的な姿でございました。
それは何かと申しますと、イエス・キリストに対する完全な信頼と、そして最も大事な神の愛というもの、その揺るぎないものを先生は心に軸としてお持ちになっており、すべての行動を学び、その姿が自然な流れの中でその牧会を進めていく姿を、私はその時6ヶ月間の中で私は本当に学びました。
しかしそれはごく一部しか学び取れないものです。しかしそのイエスの香りをそのように伝道者から学び取っていくということのとても大切な部分を、神学生として味わったわけですね。本当に感謝いたしております。
そして、インマヌエルのまだ藤本栄造先生がもう少し若いですね。8〜9年前ですから。お元気なお姿、そして今も元気ですけれども。
そしてその信仰を私が云々するのは非常に失礼になりますが、非常に円熟した――聖書の中ではよく「謙遜と柔和」という言葉があり、牧師たちの将来の姿というものを目標としていますが――その謙遜であり、柔和な円熟した信仰というものを本当に味わうことが、見せていただくことができて、その後満先生と二人で何十年とこの高津教会を建てられて来て、養われてきた皆さんお一人お一人、信徒も大変大きな恵みがあるわけですね。
この高津教会で信仰生活を送ることの恵みの大きさというものが、別の意味では、イエス・キリストが「平和の君」であり、愛そのものであるというようなその真理と同じように、もう一つは皆さまがそのような先生方の牧会の中で養われていくということが、もう一つ大きな大切なことでありますね。

そういうようなことがわずか半年間でしたが、とても大きく、これはその時感じたレポートをそのままお話しているわけですが、その信徒たちの深く教会を愛し――この中に沢山私、懐かしい人がいっぱいおります。直ぐに肩に手を挙げてこうしたい方々が沢山いるんです――その方々を通して、半年間それからその後の聖会とかいろんな諸集会でインマヌエルでお会いして挨拶したり、いつも笑顔でほんとにそのような信徒たちの、深く教会を愛して先生ご夫妻を心から愛して信頼している姿、そして先生方を、とても御夫妻を愛していらっしゃいます。
すべてが非常に祈り深い、愛に満ちた、練られた人々でありました。
信仰、祈りに練られた人々、皆さんは余りにも恵みが深い、多いので気がつかないかもしれませんが、私は見た瞬間から半年間、皆さま方お一人お一人が、イエス・キリストの教会で養われたその代表的な方々、そういう環境にあると私は思いました。

私自身に対する満先生の直接的な指導の中で、これは普通の教会では見られない勇断でございますが、私のような者に、祈祷会でのすべてのメッセージ、それから聖日礼拝での月1回のメッセージ、そして私が先生にお願いして、聖日礼拝の前の30分ぐらいを――大切なこれは「静まりの時」なんですね。
礼拝を受ける30分前というのは、信徒の方が30分前ぐらいから来ておられる方も多くて、それで皆さんとこれは実は約16週間かかって、「静まり、黙想のクラス」と申しましょうか、これは蔦田二雄先生(***インマヌエルの教団の創設者)が非常に大切にしておられた密室祈祷とか黙想、そして御言葉を学んで行く。
そのようにしてクリスチャンの有益な働き、そのクラスを16週に亘って持ったわけでありますが、その大きな機会を先生がくださったことを本当に深く感謝いたします。
そして先生が多忙を極める中で、ご存知のように沢山の書物を刊行なさる中、私のメッセージに対するアドバイスをほんとによくいただきました。今も大切にそれを保管いたしております。

今日私の方から先生に、突然のことでありましたがご連絡いただいて、
「では先生、私一度でいいから大教会の信者さんの前で(笑)兄弟姉妹の前で――おそらくここにいるのはクリスチャンばかりだと思うのですね、8割方が。2割が求道者だと思うんですが――私の献身の証しを一回やらさせてもらえないでしょうか」というと、「あ、そうですか、喜んで。どうぞ」ということで、このエゼキエル書の18章30節〜32節、戸塚兄からお読みいただきましたが、もう一度私の方で改めて短いところですからお読みしたいと思います。

30それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはあなたがたをそれぞれその態度にしたがってさばく。――神である主の御告げ――悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ。不義に引き込まれることがないようにせよ。
31あなたがたの犯したすべてのそむきの罪をあなたがたの中から放り出せ。こうして、新しい心と新しい霊を得よ。イスラエルの家よ。なぜ、あなたがたは死のうとするのか。
32わたしは、だれが死ぬのも喜ばないからだ。――神である主の御告げ――だから、悔い改めて、生きよ。

これが私の献身のみことばでありました。
恐らく皆さんの中には、すべてが神学校に入ってするのが献身ではありません。
それは心の中に神さまの召しがあって、恐らく台所に立って、家庭を守りながら、心は献身をなさって教会に仕えておられる方が沢山いらっしゃると思います。
そして、神さまから召しを受けても、なかなか踏ん切りがつかないと、いろんな会社の仕事があり……。それで定年になってからもう一回神学校で勉強して、たとえ5年でも10年でも講壇に立ちたいと願っている方もいらっしゃるかもしれません。
とても素晴らしい栄光のお仕事であります。それが50年続こうが10年であろうが、どちらが勝ち負けとかそういうことではありません。
神さまが召された中で、そのような意味で、定年からでもどんどん献身なさって、それが5年であろうと10年であろうと、ともかく神さまの世界に仕えて喜ばれて生きるということであります。

私の献身の証しであります。
私がイエスさまの救いにあずかったのは、救いでありますが、49歳の時でありますが、シンガポールで仕事をしているときでありました。
その後2年後の1991年に、51歳で東京に転勤となり、野村證券グループの役員としてスタートしました。
生涯私は営業マンで多忙でありました。新入社員の時から営業、そして定年になるまですべて営業、営業関係の仕事。だから生涯とても忙しかった。
でも、49歳でクリスチャンになって東京へ転勤して、生活スタイルというのが全然変わりました。
朝は5時に起きて、聖書を読み、祈って出社しました。
皆さん、同じ信徒の、当時は信徒でありましたから、人一倍働いて、夜の10時にはベッドに入る日々でありました。

そして日本に、初めて日本の教会に導かれたのがインマヌエルの神学院教会でした。隣りの教会ですね。
別に聖人君子を気取っているわけではありません。そんなつもりは一切ありません。
主は恵みを沢山与えて下さり、ごく普通に信徒生活を、聖日礼拝、水曜日の夜の祈祷会、それから土曜日は神学院のあの広い会堂と、男子トイレの清掃奉仕、これを皆さんと5〜6人の方々と一緒に、女性が多かったですが、奉仕を楽しくさせていただきました。
従って会社での50を過ぎて役員になってからの土日のゴルフ、そしてまたウイークデーの夜の酒。それから麻雀は私はとても好きで、学生時代、早稲田時代からやっていた思い出がありますが、捨てたと言って良いほど、時間がないわけですから遠慮させていただきました。

それだけに私自身の昼間の仕事については、社内でのチームワーク、付き合いもありというわけですから、チームワーク、それから仕事の質、自分自身率先して働きました。
それがクリスチャンとしての主に対する思いがありますから、率先して働き、部下の評価にも公平を心がけました。
ともかく神さまは不思議なほど、すべてを祝福してくださいました。
私は俗に言うクリスチャン・ビジネスマンの難しさはわかっているつもりです。
これは皆さんは心配して、まずいんじゃないかと仰る方もいるんじゃないかと思います。
世間は私たちに多くの矛盾を強いてきます。
いつでもなんでもすべてがうまくいくわけではありません。誰もが理解してくれる訳でもありません。
でも神様を第一にして間違いないということを、私自身ほんとに心からお話できます。
これこそがすべての祝福の道であると、本当に心から言えます。

60歳で当時定年は今でも60歳ですが、定年退職後しばらくして、人生の大きな転機が私自身に訪れました。
それは私が持病である糖尿病のカテーテル検査をいたしますと、心臓冠動脈がここにありますが、多くの人がこの病気にかかりますが、90%ぐらいが不能になっていたわけです。高速道路の故障した時留まる脇道がありますね。あそこだけが血が通っているような状態だったわけです。
それを知らずに、翌年には定年を記念して、女房と二人で富士登山に挑戦して無事頂上まで、いろいろ苦労しましたけれども、そして頂上でまだまだ若いとほんとに喜んでいたんです。
全くそれは知らないとはいえ自殺行為に等しいことだった(笑)んです。

そんなこと知る由もありませんでした。そして慶応大学病院で人工心肺を使った4カ所に及ぶ大手術で11時間もかかりました。随分時間がかかりまして、今はもっと早く5〜6時間で全部終わると思いますが。
その時私は生涯のみことばであります、詩篇の23篇。
あのすばらしいダビデの23篇、その中の4節を、「たとい死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。」――これはよくみなさんもお使いになることだと思いますが――本当に心に刻み込んで、全身麻酔による眠りに平安な心で滑り込んでいきました。入院したのも生まれて初めて。手術も初めて。それでも御言葉を心に刻み込んで、不安がない、不思議ですねぇ、ほんとに。

そして血の巡りが良くなったんでしょうか。意識がすがすがしい気分の中、すっと戻ったのは翌日の昼過ぎで、28時間後でありました。
その時眠りから覚めなかったら死んでいたんだなぁと。すんなりと、別に気負いもなく、すんなりとそう思いました。
しかし、そんなにすんなり行くなら、死もまた是であると、静かに思い巡らしました。
しかしイエスさまが生きることを望まれたと、僕は目を覚ましてそのように自然に納得しました。

むしろそれからが苦しかったです。これが集中治療室の凄さと言うんでしょうか、大きな手術の経験がある方は皆そうでしょう。
私にとって、皆さんにとっても同じであると確信していますが、集中治療室は医療だけの集中治療ではありませんでした。
人生とたましいの集中治療です。良いことも悪いこともすべて凝縮して、集中して味わうことができました。
身動き一つできないんですから。どんな環境の大きさも味わうってことしかできないのです。
食欲が一切ありません。僕はものすごく食べ物が好きなんですが、食欲が一切出てこないんです。
だから、いろんな信徒の方々、求道者の方々でも、いろんな病を得て、いろんな精神的にも肉体的な病でも、食欲がない、それから気力がない、いろんな病気で気力がないという人がいらっしゃいますが、その気持ちが実はここで味わうことができました。
集中治療室ですから、隣のベッドの患者さんが死に直面して錯乱状態の叫びを上げている姿も、自分もまた身動きひとつできない中で、一晩中、錯乱状態で大声で叫び続けている姿を眺めている。
自分もまた死と隣り合わせに寝ていることがよくわかりました。

しかし、それが人生なんです。人生というのはほんとに死と隣り合わせなのです。そういうことがよく起こります。
しかしその中で、私は教会の兄弟姉妹の励ましの温かさを痛感いたしました。
牧師、そして兄弟姉妹たちが、機会あるごとにお見舞いに来て慰めてくださいました。
優しい妻の介護がありました。

私はこの集中治療室で、クリスチャンとなって以来、十数年来の夢を叶えていただきました。
49歳で信仰を持って、61歳ぐらいで実はこの手術を受けたわけですが、十年後ぐらいに。
その間、私の唯一の夢は、一度でもよいからイエスさまの夢を見たいという願いがありました。
ずっとイエスさまの夢を見たいなぁと一度ぐらい見られないかと思っていましたが、ゴルフなどで空振りしてね(笑)、……そんなつまらない夢ばかり見ていたのですが、一度だけでもいいからイエスさまの夢を見たい、それをこの集中治療室で、実は大きく、ちょうどイエスさまの天空に大きく立ち、風で真っ白なパレスチナの衣を着られたイエスさまの、裾を棚引かせ黄金色の光を発するイエスさまの正面の姿を今、夢の幻の中で見たわけなんです。

そして主は、黄金色に輝く一本の光の道を幻の中に示されました。
人は一人も通っていませんでしたけれども、その豊かさに満ちたほんとにすばらしい道を示してくださいました。
そしてそこを突っ切るとすれば、生涯歩むようにと使徒に幻で現れたところだと私は思って、この光の道を24時間、一時でなくて24時間、朝から晩まで、そして毎日歩みたいと、これから生涯、願いを与えられたのであります。

この身体と人生とたましいの集中治療室で私が神さまからいただいたメッセージが、このエゼキエルのメッセージなんです。
「生きよ」(18:32)でありました。これはねぇ、私、今75歳なんですね。ちょうど後期高齢者です。
全て恵みだと思っていますが、これからの一日一日はすべて神さまの恵み。
今まではいろいろね、いろんな戦いとかね、牧師になってもいろいろ戦いがあります。もちろんこれからもあるでしょう。

しかしこれからは後期高齢者の中での今後は、一日一日が神に、ほんとに神に120%ほんとに感謝の恵みの日とそのように思っておりますが、しかしソフトランディングと言うんでしょうか、いや今年はもう落ち着いて、仕事というんじゃなくて、神への奉仕も一歩退いてこれから少しゆっくりしよう、なんて思う気持ちがあるんです(笑)。
ですから非常に今危険な状態に、私はあるんです(大笑)。
ですから死のうとする、このエゼキエル書をここでメッセージすることは、神さまは何か言っておられるのかなとほんとに強く今感じております(笑)。
32節の「悔い改めて、生きよ」というメッセージ――人生を立て直して、みこころにふさわしくないものを捨てて、まっ直ぐに生きよと。エゼキエル書における実は最大のメッセージなんですね。

イスラエルは戦争に負けて遠い故郷を離れ、故郷は壊滅状態であります。
一生この捕囚の地でうずくまって生きていかなければならない。
みんなここで死んで行くんだ、これが宿命だと人々は諦めていました。
ケバルという川のほとりに彼らの捕囚地がありました。
川を眺め、故郷を思い、死と隣り合わせに生きているような絶望感、虚脱感、無力感、怖いですねぇ、この無力感というのは。
私も同じようなものを実は味わったわけです。

信仰を持つ前、タバコを一日100本も吸っていたのです。それを十何年間。
学生時代からず〜っと吸って、もうほとんど何十年と100本近く吸っていたわけですが、心臓に相当な負担がかかっていたわけです。当然の結果なのかとこう思いました。
今は1本も吸いませんよ(笑)。もう救われて、これはねぇ、きよめのひとつかもわかりませんね。初事的きよめ。酒タバコ、一連のよく言う、インマヌエルの先生がよく言うでしょう。そういうものは、あれだけ苦労したのに、すっと、何もしないのに、すっとなくなっちゃった。不思議ですねぇ。

しかしいずれにしても、実は助け出されるまでには一日100本吸っていたのですから。
だから31節には「新しい心と新しい霊を得よ」とあります。「死のうとするな」とあります。
回復して病院を退院した私は、真剣に牧師となる道を模索し始めました。
年齢も年齢でした。大手術のあとです。牧師となることには大きな葛藤があります。
その葛藤を乗り越えることができたのは、イエスさまが妻に私の召命を喜んで受け入れる喜びの霊を与えてくださったことが大きいと思います。

最初は妻に抵抗がありました。
もう私が一番苦労したところはここなんです。妻に抵抗された。妻は私の年齢と召命の確かさを確認したいという思いと、大手術の後ですから身体はもたないだろうと思ったんでしょうね。それで何度も何度も。
そして、僕が執拗に彼女に説得に粘ったのは、要するに牧会というのは、牧師ひとりの思いでは勝手にできない程、教会というのは夫婦が揃って、ほんとに主に献身する姿の中で初めて分担してできることですので、もうどうしても女房が参加してくれないと大変だということで、ほんとに粘りに粘った結果、ま、そうでもないと思いますが、神さまの働きで彼女に召命を喜んで受け入れる霊――喜びの霊というのは、藤本満先生のアドバイスの言葉ですね――喜びの霊を彼女に与えた――まさにそういうようなことだと思います。

そして62歳で神学校に入学して、4年間に亘る若い方々との集団生活、だから独身寮に泊まって集団生活を始めたわけです。集中的な学びが始まります。その時藤本先生にも授業を受けたことがございます(大笑)。本当にありがとうございました。素晴らしい授業でございました。
そして、神学校に入学する前、イエスさまは「光の道がある。愛と憐れみの道である」と、神の道は愛と憐れみの道であることを、私のたましいに刻み込むために、様々の理解を与えてくださいました。

私自身、貧しさといっても、ほんとに人が苦しむ貧しさというものは、小学校の頃から、身体をもって味わったことがないからです。頭ではわかります。しかし身体ではわかりません。
しかし、聖書の中で、イエスさまはほんとに貧しさということがいっぱいありますが、イエスさまはやっぱりそれを全て味わわれた。
従って、神学生にとってとても大事なことは、貧しさというとても大事なポイントを味わうということ。
やはり貧しさを味わうという、これを確認することが大事かと思います。もちろん愛は大事ですが。

従って、イエスさまを見つめる機会を、入学前にイエスさまは与えてくれました。
妻と二人で、タイの北方民族カレン族部落――これはクリスチャンの多い民族ですね――これは皆さんよくお聞きになっているジャドソンの宣教がず〜っとインドの方から入って行った、その実ですね。カレン族。
それからハンセン氏病、エイズ施設、麻薬施設、そして私一人で今度はマニラのスラム街をそれぞれ一週間ずつ訪れました。

特にマニラについては、その貧しさは想像を絶するものでした。
これが、ま、僕は一言だけ言いますが、いろんな所へ神学生というより、若い方々の教会からいろいろ海外に派遣したりする、そういうような機会がありましたら、むしろ求道する可能性がある若い方々の場合は、こういう風な所へ――コストもほとんどかかりません。マニラというのは、フィリピン航空で行って戻ってくればすごく安いですから。そうして宿泊費も非常に安い――こういう風な所に行かれて、ほんとに今から言いますが、とても献身のサポートになります。

特にマニラについてはその貧しさについては想像を絶するものでありました。
しかし、スラム街にある掘っ建て小屋の教会、狭い土間に下布を敷いて語り合った婦人会、傾いた四畳半の二間、二階一間に住む五人家族との家庭集会、麻薬売春と隣り合わせにある青少年の賛美集会、まさに生と死がぶつかり合っていました。
マニラのスラム街は5つも6つもありますけれどもね、大きな、非常に皆さん親しいのはスモーキーマウンテン、という大きなゴミの山で、この前火事があって閉鎖になりましたけれども、あそこは非常に日本でも有名ですけれども、世界でも、私はいろんな仕事で世界中回りましたけれども、マニラとN・Yのスラム街、この二つが際たるものですね。
日本の山谷はそうですね、10分の1ぐらいの規模ですね。
そして、典型的に違うのは、山谷は男の人が多い。男の人が一人で流れてあそこに住まわれて。
しかしマニラなんかは家族で地方から、貧しさから出てきた家族。だから根本的に違うんですね。神を求める場合でもね。どちらがやさしいかと言えば、マニラの方がやさしいですね。家族愛とか。
東京の場合、男の一人が救われるというのは、年取ってね、流れ流れて。非常に難しいですね。

とにかく日本の十倍ぐらいのスラム街が6つぐらいありますね。麻薬、売春と隣り合わせの青年たちの賛美集会。でもその賛美が素晴らしい。まさに生と死がぶつかり合っていました。
それを何十年も生涯の奉仕として宣教しているヨーロッパの宣教師がいる。日本人の宣教師は一人もいませんでした。ヨーロッパの宣教師ですよ。
そこに仕えて何十年、自分の生涯ですから、ほんとにすごいなぁと思いましたね。
大きな励まし、希望、愛を受けました。イエスさまは生きて働いておられました。みことばは確かな力をもって、人々を生かしていました。
それが「生きよ。新しい心と新しい霊を得よ」主のすぐに輝いていた光の道でした。

私は思うのです。神さまは誰にでもそのような集中治療室を与えてくださるのではないかと、思っております。
終わりますが、病院だけではないでしょう。旅行の時もあります。
皆さんがお一人で旅行しているとき、国の内外を問わず、若い人が一人で自転車に乗って旅行しているとき,それが時に、神さまにこの集中治療室で受けるような出会いがあるかもしれません。
また、聖会かもしれません。聖化大会とか素晴らしい会合がありますが。

仕事が難しくて、心も身体もボロボロの時かもしれません。
やっぱり仕事というのは、本当にストレスが大きいですし、またそれを乗り切っていくのは、無理解者の中で乗り切っていくわけですから、不条理の中で大変なストレスを感じるものでありますけれども、ボロボロになる。
ボロボロになるって大変なことですね。奈落の底に落ち込んでいくような感じですから。
そういう風な時に集中治療室の神さまに出会うことがあります。

神さまのメッセージはいつも同じではないでしょうか?
それはいのちのメッセージです――「悔い改めて、生きよ」
しかし私はひとつここで思うんです。
「悔い改めて、生きよ」というこのみことば――「悔い改める」というのには、ものすごいエネルギーが要ります。
自分の罪、自分の弱さを悔い改めるんですから、これを悔い改めていきる。
しかし、悔い改めないと罪がわかりません。――わかります?
救われるというのは神さまが救うのです。
しかし心を開かないと神さまはそれを行なうことができない。
従ってここは非常に重要なポイントだと思うんですが……

皆さんが例えばもし初めての求道者が教会に来て、非常に病で心は苦しんでいる人で、無気力で泣ける力もない、そういう風な方々に、悔い改めよと言っても、悔い改める力もございません。ほんとにひどい場合は。
だからまずその人を、これは藤本栄造大先生は僕の言うことをダメだと言われるかもわかりませんが、まずそのままでいいから元気に教会に通いなさいという意味で、そのままよく聞いてあげて、元気になってきたら罪の悔い改めに導いて、皆さんがいらっしゃって、そうしないと力がないですから、ほんとにその点をご注意していただかないと潰れますからね。

ま、このエゼキエル書は、「悔い改めて、生きよ」(18:32)というメッセージになっております。
「諦めるな。死のうとするな。無気力になるな。新しい心と新しい霊をもって生きよ」と、エゼキエル書はそのように言っております。
私もほんとに感謝なみことばです。
それでは以上でメッセージは終わります。

☆江藤博久牧師によるお祈り

恵み深い天のお父さま、メッセージは尽きませんが、ありがとうございました。久しぶりに兄弟姉妹、そして大先生の元気なお姿にお会いでき、本当にありがとうございます。お一人お一人の御霊肉をイエスさまによって守られ、教会活動がますます盛んに豊かになりますように。また。献身者が多く起こされますように、主の御名を通してお祈りいたします。アーメン。



掲示物をメールで送信。 プリントプレビュー
DATE: 2014.11.25 - 07:45

175.133.12.55 - Mozilla/5.0 (compatible; MSIE 10.0; Windows NT 6.2; WOW64; Trident/6.0; MALNJS)

ひつじ 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 153.178.80.153
元気になってこられたら、悔い改めにと、のお話が為になりました。
2014.11.30 - 23:14 
T・Y 簡単意見修正::: 一言削除 ::: IP: 175.133.12.55
栄造先生を前に謙遜が印象的でしたが、今、肺炎の先生のためにお祈りください。
2014.12.01 - 08:06 
Name   E-Mail   Password

 前文 アドベントの霊想Tは杉本先生です
 次文 11/16幼児・児童祝福礼拝:魚のお腹の中で思い出す...
文章投稿 *^^*削除修正返答を書くリスト

チェックされた全文書を見る
143Simple view *^^*12/24 キャンドルサービス:クリスマスは神の招き... T・Y 2014.12.28 7432
142Simple view *^^*12/21クリスマス・洗礼式:ヨセフは迎え入れた... T・Y 2014.12.22 7341
14114年アドベント霊想(4)泉先生.doc [144 KB] ダウンロードSimple view *^^*アドベントの霊想Wは山田先生です T・Y 2014.12.20 7450
140Simple view *^^*12/14アドベントV:マリヤの信仰 ルカ1:26〜38 T・Y 2014.12.15 7582
13914年アドベント霊想(3)松村牧師.doc [173 KB] ダウンロードSimple view *^^*アドベントの霊想Vは松村先生です T・Y 2014.12.14 7539
138Simple view *^^*12/7アドベントU交換講壇:小島 聡牧師:愛... T・Y 2014.12.08 12275
137藤本先生14年アドベント霊想(2).doc [1.2 MB] ダウンロードSimple view *^^*アドベントの霊想Uは藤本先生です T・Y 2014.12.06 7301
136CCI20141203_00000.jpg [242 KB] ダウンロードSimple view *^^*教会のクリスマスカード T・Y 2014.12.04 7618
135Simple view *^^*11/30アドベントT:信仰のアドベンチャー ルカ1... T・Y 2014.12.01 7305
134(1)アドベント2014 (1).doc [3.3 MB] ダウンロードSimple view *^^*アドベントの霊想Tは杉本先生です T・Y 2014.11.30 7176
133現在参照中の文章です...11/23 江藤博久牧師:「集中治療室」エゼキエル18... [2] T・Y 2014.11.25 10101
132Simple view *^^*11/16幼児・児童祝福礼拝:魚のお腹の中で思い出す... T・Y 2014.11.19 5669
チェック項目を全て削除。 チェック項目を全て削除。

前頁 次頁
本頁が先頭ページです前へ戻る 51  52  53  54  55  56  57  58  59  60 次へ進む本頁が最終ページです
文章投稿 *^^* 再読込
投稿者氏名を検索項目欄に追加/除去タイトルを検索項目欄に追加/除去内容を検索項目欄に追加/除去 メイン画面に戻る。... *^^*