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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/1元旦礼拝:すべてのこと相働きて益となるを我らは知る ローマ8:26〜28
☆聖書箇所      ローマ人への手紙8:26〜28

 26御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
27人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。
28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

☆説教      すべてのこと相働きて益となるを我らは知る(***文語訳)

元旦の聖句はロマ書8章28節です。ちょっと目を留めてください。そして、聖書を開いたままにしておいてください。とっても難しく、また味わいの深い場所であります。

28節をご一緒にまずお読みいたしましょう。

28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

文語訳では「すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」です。
これが短くて一番端的なので、森廣姉に文語訳で書いていただこうかなと思いましたけれども、いまさら文語訳にスイッチしてもちょっと違和感がありますが、「すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」です。いいですか。
これほど納得がいくみことばも珍しいです。
なるほどと思わせる力がこのみことばには込められています。 

同時に、人生の個々の出来事、様々な場面にあって、これほど合点のいかないみことばも珍しいと思います。
つまり、一つ一つの試練に、この災難に、この失敗に、この情けない出来事に、どんな意味があるのか、自分の人生の大きなパズルにそのピースをどうやってはめ込むか、なかなか私たちには見えて来ません。
そうして、私たちはこの小さなピースを手に持って、呆然と立ち尽くしてしまう。
いや、まいったな、このピースにいったい何の意味があるのだろうか?

こんな笑い話があります。
アフリカのある国の王さまは、どこにいくにも親友と一緒で、その親友はどっしりと構えて言うのです。
「良かったね。それで良かった」
良いことが起ころうが、嫌なことが起ころうが、「それで良かった」と言うのです。

ある日王さまは、この親友といっしょにライオン狩りに出かけます。
銃の準備をして王さまに渡します。
王さまがライオンを狙って撃ったとたんに暴発して、王さまの引き金を引いていた右手の親指が吹っ飛んでしまいます。

それはそれは大変な事故でありました。
病院で手当が終わってから、彼はまた王さまに言います。「良かったね。それで良かった」と。
王はかんかんに怒り狂って、彼を牢屋に閉じ込めます。

そうして1年間が過ぎたある日、王は一人で、ライオン狩りに出かけます。
ライオンに狙いを定めたとき、ふっと気がつくと、王は人食い人種の一軍に取り囲まれていました。
何の抵抗もできずに銃を下ろして、腕を縛られて、彼らの村に連れて行かれ、さあ、これからローストされるぞというときに、人々は王の右手の親指がないことに気がつきました。
すごく迷信深い村で、こいつを食べたら、村が恐ろしいことになると、彼らは王を解放しました。

王は感動します。自分は親指がないことによって救われた。
だとしたら、牢にぶち込んだ、あの親友の言っていたことは本当だ。
「良かったね。すべてが良かったんだ」

急いで牢屋に行って、友人に謝って事の次第を報告します。
「本当に申し訳なかった。君を一年も牢獄に入れてしまって」

すると彼は言います。「いやいや王さま、すべてが良かったんです。すべてがそれで良かったんです」
王さまは言います。「良いはずないだろう。牢屋に一年も入れてしまったんだから」
(彼は言います。)「いや、王さま。とんでもございません。もし私が牢屋に入れられていなければ、私が王さまとライオン狩りにお供をして、食べられたのは、私じゃないですか」と(大笑)。

年末私(藤本牧師)は、この28節のみことばと格闘しました。実際格闘しました。
あまりにも意味が深すぎるし、聖句の成り立ちが複雑で、ごめんなさい、4回に分けてお話しします。一回ではどんなに頑張っても話し切れないですね。

今朝は、一番最後の「私たちは知っています」という所に目を留めていただきたいと思います。
この言葉は、28節見ていただきますと、日本語の訳では最後に出て来ます。でも原語のギリシャ語では一番初めに出て来ます。
この言葉が一番インパクトのある言葉です。

短く3点で、パウロは私たちは何を知っていると言っているのか?まず一番目に――

1)私たちは苦しみを知っています。

18節からちょっと見てください。読んでいきますね。

 18今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
19被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。

18節の頭に今の時のいろいろな苦しみを、私たちは知っています。
「いろいろ」ということばは、本来聖書の中にはありません。
でも苦しみが複数形なので翻訳者が「いろいろと」を挿入したのですね。
私(藤本牧師)はそれは非常に適切な翻訳だろうと思います。
苦しみはいろいろです。

年末の礼拝で、イエスさまがパウロに語りかけた「わたしの恵みは、あなたに十分である」というみことばを学びました。
十分で欠けることがないキリストの恵みが、パウロを覆っている。
そう言われたパウロは、実際は、外からの様々な迫害(があった)。
そして彼は告白しているように、内にあっては教会に対するさまざまな配慮に追われている。
そして最後に言ったことは、自分自身は肉体の刺と呼ぶ持病に苦しんでいる。
言うなれば、いろいろな苦しみです。

ローマ人への手紙では、その苦しみは、(8章)22節に――

22私たちは、被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを(――ここに出てきますよね――)知っています。

被造物のうめきっていったい何なのだろうか?
それはいうなれば、突然御嶽山が噴火するということでありましょう。
突然大雨の濁流によって、村が呑まれてしまうということでもありましょう。
海が荒れ、地球温暖化で、異常気象が続くこともあるのかもしれません。
それらが自然界のうめきであるとしたら、その下で生きている私たちがどれほどうめき苦しんできたことか!私たちは良く知っているんですよ。

いやそればかりか、23節を見てください。

23御霊の初穂をいただいている私たち自身も、心の中でうめきながら、(……最後、)私たちのからだの贖われることを待ち望んでいます。
    
たましいは贖われ、救われていても、身体は未だ贖われていない。
神の子とされていても、私たちが抱えている――いわゆる自分ですね――自分の記憶、自分の思い出、自分の持病、自分の老化、自分の病、自分の不自由さ、自分の情けないこの身体、さまざまにうめいていることを、私たちは良く知っています。

つまりパウロが「私たちは良く知っている」と言ったときに、まず一番最初に来ることは、私たちは、自分が、そして周囲が体験する苦しみをよく知っている、ということです。

2番目に、パウロは私たちが知っていることとして――

2)聖霊の助けを知っている

26節を見てください。これも一緒に読んでみましょう。

 26御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

26節に、御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださることを、私たちは知っているんです。

ここに出てくる「助けてくださいます」という動詞の味わいを、私は何度かお話ししたことがあります。
原語は合成語で、「助けてくださいます」と言う一語なのですが、それは――
スン(ともに)、アンティ(代わって)、ランバノマイ(背負う、担う)です。
助けるという日本語の一語に、聖霊は「私たちと共に」「私たちに代わって」「私たちの苦しみを担ってくださる」というそのすべてが入っての「助ける」です。

ですから、聖霊もまた、26節のところに、「言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます」とパウロは教えているのです。
ここにうめきが出て来るということは、聖霊は私たちの苦しみを知っておられ、私たちの苦しみに身を重ねるように、私たちの苦しみを共に荷ってくださり、私たちのうめきをご自身のうめきとして、私たちを背負ってくださるのですね。
それを私たちは、知っているのです。
            
ここで28節に目を移していただきますと、28節の真ん中に「神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」というのが入っています。
ま、しいて真ん中というと、「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」ですね。
「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」というのが、この聖句の中心核のような存在ですが、実はこれは3つの言葉しかないんです。
「すべてのこと」「共に働く」「益となる」
つまり、主語が出て来ない。
主語が出てきませんと、これは訳が分かれます。

■たとえば、新改訳聖書では、主語が「神」となります。
  「神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と訳されていますでしょう。
 
■先ほど引用しました文語訳とか、新共同訳聖書では、主語は「すべてのこと」です。
 新共同訳聖書では、「万事が益となるように共に働く」です。
 文語訳聖書も、「すべてのこと」が主語で「、すべてのこと相働きて益となる」です。
  主語が違うんですよね。
 (新改訳聖書の欄外の注には、この訳も載っています。)

■他の聖書の訳では――
 主語は(原語ではあいまいなので)聖霊(とすれば、次の訳も可能という風)になっています。
 「聖霊は、すべてが益となるように計らわれる(***お働きになる)」と。

私(藤本牧師)はね、主語が「聖霊は」になっているというのは、もしかしたら文脈から言うと、味があると言わざるを得ないんじゃないかと思います。
というのは、ずっとこう聖霊の話なのですね。
私たちと「ともに」、私たちに「代わって」、私たちの今のいろいろな苦しみを「荷ってくださる」聖霊は、すべてのことを相働かせて、私たちの益としてくださることを、私たちは知っていると。

ですから、これから28節を学んでいこうとするときに、28節は、ずっとこの流れの中――つまり18節からの流れの中で――
私たちはこの世界の苦しみをよく知っている。自分自身体験している。
しかし聖霊は、私たちのために、私たちに代わって、私たちの苦しみを荷ってくださる。
その聖霊が、私たちの内に起こる様々な出来事を、相働かせて益とするように変えてくださる、ということを私たちは知っているんだと。

3)「すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」となれば、知っている私たちはどうすべきなのでしょうか?

いつもそうです。
聖書の中で、私たちは信じているとか、知っているとかいう言葉が来たら、次の瞬間、では知っている私たちは、どうすべきなのかという、次なる行動に行きます。
信仰というのは、私たちの内なる確信です。
その内なる確信が、私たちの人生の指針を決定するために動き出なければ、指針は単なる指針ですね。

では「すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」と言ったときに、では、知っている私たちはどうすべきなのだろうか?――すべてにあって、望みを捨てないんです。
自分の犯した過ちが、どうはめ込まれたら良いのかわからない、何の意味があるのかわからない、今の時のいろいろな苦しみを手に持って、右往左往して呆然と立ちすくまない。 
       
私たちは祈るのですね。ちょっと26節を見てください。

26御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。

ので、私たちは、なお祈るのです。希望をもって祈るのです。
必ず自分の失敗に神が応えてくださることを信じて祈る。万事が益となることを信じて祈るのですね。  

――本の話は省略します。

私たちが犯す失敗、私たちが発する言葉、発した一言で信頼関係が崩れる、私たちが出した返事が一歩遅かったので間に合わなかった、私たちの小さな病が私たちの自由を奪った、私たちのちょっとした不注意のおかげで、周りに迷惑をかけた、というような出来事は私たちの周囲には山ほどあるのですよ。
その山ほどのレッスンがなかなか自分のために身にならず、そしてもちろんそのような些細な失敗が、いったい何のためになるのだろうかと頭を抱えながらも、私たちはどうします?
一生懸命神さまに祈りますよね――この事態を何とかしてくださいと。
「間違えたのは、失敗したのは、私ですけれども、神さま、どうか助けてください。このどうしようもない出来事から何かプラスを導き出すことが出来るように、神さまどうか助けてください」と祈りますよね。
それは小さなことにあっても、大きなことにあっても、同じように私たちは祈るのですね。

マーシャル・シェリーという牧師が、こんなことを記しています。それを読んで終わりにいたします。

「私は子どもの頃から本を読むことが好きだった。少し大きくなると、小説の最初のあたりで、いくつもの混乱する出来事を注意して読むことが好きになった。
手の込んだ物語になればなるほど、一見して、どういう関連なのかわからない出来事が、錯綜するように記されている。
その複雑さが、結局のところ読者をわくわくさせる。
小さな出来事、物語の本筋がどうなっているのかが、なかなか見えてこない。
でも、実はそれがおもしろかった。なぜか?
それは、著者は最後にすべてがつじつまを合わせるように物語を書いているからだ。」

これはよくわかりますね。映画を観る時に、一番最初のシーンから目を凝らしてないと、もしかしたら一番最初のシーンが、なるほどそういうことかという味わいになることが解らないのですね。
私はものすごく鈍いので、難しい映画であればあるほど、一緒に観に行きます。
それで聞くんですね――あれってどういう繋がりだったの?と。
あれはね、こういう繋がりでしょう――(と説明してもらいます。)
そういうことか、そういうことだったんだ。

もちろん、複雑な物語であればあるほど、期待したとおりのハッピーエンディングな終りではないです。
でも、複雑な出来事が織りなす結論というのは、すべてがどこかでつながっていて、それが複雑であるからこそ、私たちの複雑な世界と、人生のすばらしさを織り成している、演出しているということは事実ですね。

先ほどの著者は、子どもを二人失います。
二人失った後の文章なのですね。一番最初の男の子は、産まれてすぐに、わずか二分で亡くなります。
次に生まれたお嬢さんは、度重なるけいれんで身体が衰弱して、2歳で亡くなっていきます。
でも先ほどの著者はこう記しています。

「でも、私は最後まで、この人生の行き着く結論まで、自分の人生の物語を味わっていきたい。
なぜなら、この物語を作っているのは私ではなく、著者である神だから。
著者である神が、私という一人の人間の人生を取り上げて、御自身の栄光の物語を執筆しておられると、私は知っている。
だから、あきらめない。だから、祈る。
神が私を通して栄光を現してくださることを祈る。」

人生の著者なる神は、必ずすべてをつなげて意味あるものとしてくださる。
必ずしもハッピーエンディングではない。
でもそれは実に味わいある十字架と復活の物語であれば、私たちはキリストの十字架と復活を具現して生きていくことになるのではないでしょうか。

☆お祈り

神がすべてのことを相働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
(ローマ8:28)

父なる神さま、私たちに教えてください。突然の出来事で何年も翻弄され、自分の立場を追われるようなこともあるのかもしれない。それは映画や小説の中で出てくるように、奇々怪々な出来事の連続なのかもしれません。でもあなたが私の人生の著者でいらっしゃり、あなたが全てのつじつまを合わせるように、私たちの人生を織り成して描いていてくださることを知っているので、私は諦めず祈り続けるその一年であらせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖餐式は聖日説教に掲載しています。

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DATE: 2015.01.02 - 15:56
LAST UPDATE: 2015.01.02 - 23:12

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