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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/4新年初聖日:神は「共に働いて」万事を益とされる 創世記13:2〜18
☆聖書箇所     創世記13:2〜18

 2アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。
3彼はネゲブから旅を続けて、ベテルまで、すなわち、ベテルとアイの間で、初めに天幕を張った所まで来た。
4そこは彼が以前に築いた祭壇の場所である。その所でアブラムは【主】の御名によって祈った。
5アブラムといっしょに行ったロトもまた、羊の群れや牛の群れ、天幕を所有していた。
6その地は彼らがいっしょに住むのに十分ではなかった。彼らの持ち物が多すぎたので、彼らがいっしょに住むことができなかったのである。
7そのうえ、アブラムの家畜の牧者たちとロトの家畜の牧者たちとの間に、争いが起こった。またそのころ、その地にはカナン人とペリジ人が住んでいた。
8そこで、アブラムはロトに言った。「どうか私とあなたとの間、また私の牧者たちとあなたの牧者たちとの間に、争いがないようにしてくれ。私たちは、親類同士なのだから。
9全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」
10ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
11それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。
12アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。
13ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。
 14ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
15わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
16わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
17立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
18そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

☆説教     神は「共に働いて」万事を益とされる

皆さん元旦の時、あるいは今日お受け取りになりました、聖句のしおりを持っておられると思います。この聖句が少々難しいので、何回かに分けて話すことにいたしました。
ロマ書の8章の28節です。

28神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

で、元旦礼拝では、日本語の一番最後に来る、しかし言語のギリシャ語では一番初めに来る「私たちは知っています」ということを学びました。
パウロは何をもって、「私たちは知っています」と言っているのだろうか?

ロマ書の8章の18節に、今の時のいろいろの苦しみというこの流れが始まります。
それは被造物のうめきの苦しみもパウロは記しています。
そして私たちも被造物でありますけれども、被造物の自然界のうめきの下で、私たちはもっとひどい意味で呻き苦しむ。それを私たちはよく知っています。
しかし、それらの中で、私たちは祈りにおいて、私たちのうめきとともに、聖霊もまたうめいてくださる。ご自身のうめきを私たちのうめきの上に重ねてくださり、私たちを助けてくださる聖霊の働きを知っています。
私たちは自分たちのいろいろな苦しみを知っていて、神の助けを知っている。ですからどのように祈ったらよいかわからない私たちですが、決して苦しみに屈しない、あきらめない、そして祈り続ける――ということを元旦礼拝で学びました。

28節の中心にある言葉も学びました。
それは3つの言葉で、「すべてのこと」「共に働く」「益となる」という3つの単語なのです。
そして元旦礼拝で申し上げましたように、ここには主語が出て来ないので、様々な訳が可能だという話をしました。

■たとえば、私たちがかつて親しんだ文語訳聖書では、「すべてのこと相働きて益となるを我らは知る」です。
「相働きて益となるを我らは知る」というこの文章の主語を、文語訳聖書では「すべてのこと」にしました――「万事相働きて益となるを我らは知る」です。
「すべてのこと」「万事」が主語になっていて、それが「共に働く」――マイナスもプラスも一緒になって上手にぶつかり合いながら、複雑な私たちの人生のピースが整えられてやがて益となって行くんだと。
この訳し方は今の新共同訳聖書も同じであります。――すべてのことが相働きて益となって行く。

■しかし、皆さんが持っておられる新改訳聖書では、「神がすべてのことを働かせて益とする」ですよね。
主語が神さまであるということは圧倒的な強さを持っています――すべてのことが相混じって益となるのではない。神さまが、私たちの人生に起こるプラスもマイナスも相働かせて益としてくださる。
(ここまでが、途中ですが、先週のまとめでした――T・Y)

これはなかなかいい訳であろうと思いますが、一つ問題があります。
それはいま申し上げた文語訳聖書にある、「相働きて」とか「共に」とかいう言葉が皆さんの新改訳聖書には出て来ないんです。
神がすべてを働かせて益としてくださるのであって、「共に」とか「相働きて」の「相」が出て来ない。
原語で使われている動詞はスン+エルゴー(という合成語)です。スンというのはともに、エルゴーは働くですから、そもそもの原語には「共に」がしっかりと入っているのに、新改訳聖書ではそれが訳し切れていない。
これは、実は私(藤本牧師)は大きな問題であろうと思います。

ではいったい「神が」と言ったときに、神が主語であると言ったときに、神さまは何ととともに、だれともに働くんだろうか?このスン・エルゴーとスンを訳したならば、一体誰と共に働くんだろうか?
この質問を見事に訳しているのが、実は口語訳聖書です。訳はこうです。
ちょっと皆さんよ〜く聞いてご自分の聖書を見ながら、私の言葉を口語訳聖書を聞いていてください。口語訳聖書のロ−マ8:28です。

(口語訳)ロ−マ8:28
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。

■すると、口語訳聖書は「神」を主語としているんですけれども、「共に働く」をきちっと訳していて、では何と、誰と共に働くかと言うと、神を愛する私たちと共に働いて、万事を益とする。
私(藤本牧師)は現状日本語訳ではこれが一番すっきりしていると思います。

元旦礼拝では、主語を「聖霊」とするという話を一緒に語りました。
非常に難しい聖句なのだということはもう皆さんわかってくださったと思うんですけれども、主語を聖霊とすると、聖句の味わいは増すんですね。
つまり、様々な苦しみの中で、どうやって祈ったらいいかわからない私たち、その私たちと苦しみとうめきをともに担い、代わって祈ってくださる聖霊というのは、26節に書いてあります。
どうやって祈ったらいいかわからない私たちが、聖霊の助けによって、聖霊はその苦しみをともに荷い、代わって荷ってくださる。
この方がとりなしてくださるから、私たちは絶対に諦めないで祈り続けるという話を、元旦礼拝でいたしました。

きょうは、「共に働く」ということばに注目していただくと、口語訳聖書の味わいが非常に増すんです。
「神は」としても「聖霊は」としてもいいです。ご自身を愛する者たちと「共に働いて」、すべてを、万事を益としてくださる、ということを考えたい。

■で、この意味合いを最もすっきり示しているのが、創世記13章のアブラハムだと思います。
私(藤本牧師)は創世記13章のアブラハムから、実は2年前の2月に説教をしています。
I兄がちょうど就職をする前に、あえてこの箇所を選んだのを覚えているんですが。
今日はちょっとこの箇所を考えていただいて、神が、神を愛する者と共に働くとはいったいどういうことなんだろうか?――その部分に集中して一緒に考えてみたいと思います。

で、ちょっと大まかな13章のストーリーをを始めますが、ここに登場してくる人物はアブラハムと甥のロトです。
この二人が、神さまが与えてくださる地に行こうと思って、自分たちの故郷を出て来ました。
しかし両方が大変な羊の群れを飼うようになり、だんだんその牧者たちの間で争いが始まります。
叔父さんであったアブラハムの方から提案があるというのが9節ですね。ちょっと見てください。9節をご一緒に読んでみましょう。

9全地はあなたの前にあるではないか。私から別れてくれないか。もしあなたが左に行けば、私は右に行こう。もしあなたが右に行けば、私は左に行こう。」

道が二つに分かれます。二人はそれぞれの羊の群れを飼っていましたが、その牧者たちの間で争いがあるので別々の道を行こう。
あなたが右に行くんなら、私は左に行くと。仮にあなたが左に行くんなら、私は右に行くと。そして、アブラハムは選択権をロトに委ねます。

ロトはロトなりに選択して、10節「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと」――そのヨルダンの低地全体は10節の中盤から「その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた」と、見ただけで緑の多い、一番好感触な、ここぞと思われる場所を、ロトは選んだのですね。
隅々まで潤っていた――11節にあるように「それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り」、ロトがそこを選び取ったということは、アブラハムは残り物を引き取る以外になかったわけです。

アブラハムだって、そこが一番潤っているということはよくわかっていました。
しかしロトがそこを選んだ以上、自分はそこには行けないということは、もう必然的に決まってしまいました。
そこでアブラハムはカナンの地に住むことになります。

話はこうですね――ロトは自分で選び取った。でもアブラハムには選択権はなかった。彼は仕方なく、相手方が残した土地を選ぶようになります。ロトが右に行くと言ったときに、自分は左に行かざるを得ないんですね。
12章の10節を見ていただきますと、その土地がどういう土地であったのかよくわかります。
ちょっと12章10節を読みますね。

12:10
さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。

というこの地がロトが選ばなかった土地です――つまりアブラムに選ぶようにロトが残した土地ですね。
ロトはあの激しいききんをよく知っていました。だからカナンの地は選ばない。良く潤っているヨルダンの低地を選んだのですね。

■人間的に考えれば、アブラハムに残された地というのはマイナスです。またしてもききんがあるかも知れない。
でも実は神さまはそちらの方をアブラムのために選んでおられたということが、(13章の)14節によくわかりますね。ご一緒に読んでみましょう。

 14ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。

さあ、目を上げて見渡しなさい。一見マイナスに見なされる土地かも知れない。でも、さあ、目を上げて見渡してごらん。
15節で神さまはその土地に約束をお与えになります。その土地を祝福されますね。

15わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
16わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
17立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたにその地を与えるのだから。」

これがカギですよね。神さまはアブラハムに仰った。
「わたしがすべてのことを働かせて益とする。だから、さあ、目を上げて見渡せ。立ってその地を縦と横に歩き回れ。わたしがその地をあなたに与え、その地であなたを祝福するから」
どういうことか?

■貧乏くじだと思うな、頭を上げて、目を上げて、わたしを信頼して、その地を歩き回れ。縦と横に、東西南北に歩き回って、気持ちよくその地で生きていきなさい。わたしはすべてをあなたの益とする。ただあなたはじっとしてはいけない。卑屈になってはいけない。その土地を確実に益とするために、あなたも信仰をもって共に働け――と仰っているのですね。

私たちは、やっぱり「神さまを愛する者のために、神がすべてのことを働かせて益としてくださる」と言えば、私たちはひたすら神さまを愛していれば、どこかの時点で神さまが適当に今の事態を上手に組み合わせて、益としてくださるに違いないと、ま、こう思いますよね。
でも実は、聖書はそういう風には語っていないです。
もちろん私たちの努力が何かの解決を導き出すものではないです。私たちの努力がマイナスをプラスに変えるとは聖書には教えてないです――それをしてくださるのは、神さまです。
いつでもききんが始まるようなカナンの地を祝福して、その地で繁栄を得ることができるのは、神さまの恵みです。

人間的にはいつでも潤っているヨルダンの低地は、ソドムとゴモラの王が支配していて、やがて堕落していきます。
アブラハムが選び取らなければならなかった土地というのは、むしろ痩せ細った、荒野が沢山随所にあるようなマイナスの土地です。
でも神さまは、それらをすべて組み合わせて益としてくださる。だとしたら、あなたは目を上げて見渡し、縦と横に歩き回り、気持ちよく努力しなさい。わたしに信頼しなさい。
17節の最後見ていただきますと、「その地を与えるのだから」――祝福するのはわたしなんだから、あなたもしっかりと東西南北を歩き回り、祝福を自分のものとしなさい。

この実に上手なバランスというのは難しいですね。
私たちはやるとなったら、神さまなんか脇にどけて、いくらでも自分の力でやりますね。
そしてそれができなくなると、パタッと自分の努力を止めて、全部神さまに投げてしまうと思います。
神さまはそんなことを仰ってない。「すべてのことを組み合わせてあなたの益とするのはわたしなのだから、あなたもそれを信じて、気持ちよく自分のベストを尽くしたらどうか」という風に、この創世記13章では響いて来ますよね。
17節の「立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。なぜなら、わたしがあなたにその地を与えるのだから」と(聞けば)。

ごめんなさいね。Iくん、二年前に君が大学を卒業して、就職する前に、2月にこの言葉を開いたんですね。で、Iくんは就職の一年目というのは大変苦労した。学校の先生として大変苦労して、私(藤本牧師)は密かに、もしかしたらこれでIくんは献身するんじゃないか(大笑)と、仕事を追い込まれて、神学校に行きます、と言ったら、ま、それはまた益だなぁと(大笑)。それも日本のキリスト教会にとって、大変な益になる。

彼は踏ん張りましたねぇ。ものすごい踏ん張った。そして(CS)教師会では学校の先生の先輩が多いですから、CSの教師も含めて、私たちはよく祈祷会で、Iくんのために祈りました。ほんとによく昨年はIくんのために祈りました。気持ちが折れないように、支えられるようにと。

そして二年目を迎えて、年末に、Iくん、今年の君はどうだった?と聞いたら、何と同じ学年の他の先生を同じやり方にみんな引き込んで――他の先生も偉いです、新任のIくんをリーダーに立てて、よし、I先生のやり方でみんなでやってみようで――中一の史上初めて最高の偏差値を全員で叩き出したんですね。昨年のあれだけの苦労の中で、え、Iくん大丈夫?潰れちゃうんじゃない?いや、潰れたら献身が待っているからね(大笑)。でも見事に中一史上始まって以来の偏差値の高さを叩き出していく彼は、苦労した。苦労の中で努力して、やり方を次から次に改良して、一応中一に英語を教えるなら、あるいはあるクラスに英語を教えるならこの方法がベストだろうという方法を、彼は神さまから与えていただいたのです。
私(藤本牧師)は彼を支えたのは神さまの恵みだと思います。でも同時に、彼は努力しました。自分に与えられた土地を東西南北に歩き回って、その祝福を自分のものとしたのです。

私は(藤本牧師)は、あそこに走っている246(号線)の向こう側にあるN中学校の卒業生です。まぁ、これが出来の悪い中学校で(大笑)と言うと、この中にN中学校出身の方が沢山いらっしゃるので、なんか失礼だなと思いますけれども(笑)、当時、市一斉の学力テストがあって、先生に言われましたよ。あんまり頑張らなくてもいいからなと。どうせNはいつもびりから二番目だから、このびりから二番目という位置をずらしたことがない。これが我が校の誇りだというようなことをいつも言っていましたね。

どういう学校かというと、いつも不良と先生のにらみ合い。こればっかり。ず〜っとこの伝統で、Nは生きてきましたね。卒業しますと、卒業式のすぐ後で皆集まって、どうやったらお礼参りできるか(笑)、先生に一矢(いっし)報いるかということをみんなで考えなきゃいけないような。

ところが、私(藤本牧師)がいた時に、この不良グループが唯一尊敬していた先生がいました。
体育の先生はいつも竹刀(しない)を振り回すのです。竹刀で青く張れるほど叩かれた。
不良グループがものすごく尊敬した先生は、技術家庭の先生。
若〜い男の先生で物ごしの柔らかい先生で、ものすごく不良グループを惹き付けた。

なぜ、そんなに尊敬されるのか? それは、この先生はバイクが好きだった。バイクの修理が好きだった。バイクの改造も得意だった。
技術家庭のクラスでは大工道具を使う授業もありますけれども、バイクの見本があって、エンジンが動く仕組みから色んな機械の仕組みを教えてくれるクラスがあったんですね。

原付の免許は16歳からですから中学生では取れません。でも当時、不良の方々は(大笑)皆さん、もうバイクを乗っていました(大笑)。
そしてボロボロのバイクを仲間同士で交換するんですね。先生もこいつらなんでバイクを持っているんだろうと思ってはいるんですが、放課後不良グループは、そのボロボロバイクをもって、先生の所に来るんです。
これ、どうやって修理するんだ。どこが調子が悪いんだ。どうしたら、このバイクの威力を出せるんだということを、この先生の所に聞きに来るんですね。
この先生は、これは教えちゃいけないなぁと思いながらも、いい先生ですから、聞かれたことはみんな教えちゃうんですね。
その先生のもとに古いバイクが次々に持ち込まれるというのが、私(藤本牧師)がいたころのN中学校でありました。      

その先生が、よく授業で言いました。
技術家庭のクラスというのは、最初、黄色いずだ袋に入ったL字型定規とかカンナとかトンカチとかみな渡されるんですよね。
「君たち、よ〜く覚えておきなさい。きちんと道具がないと仕事はできない。プロはみんな道具を大切にする。バイクの道具を見てごらん。ドライバーもレンチも何種類もある。これをいつでも使うことができるように、道具を磨くこと、道具を整理整頓すること。でないと、バイク・大工全部無理だよ」

「でもな、一番大事な道具がある。
それは道具というよりは、何かを造るとき、何かを修理するときの燃料になるものだ。
それは、ひと言で言えば『やる気』だよ。やる気がなかったら無理だぜ」――これが、不良グループを刺激するんですよね(笑い)。

そしてこの先生は言うんですよね。
「『やる気』だけでは不十分で、修理は必ず挫折する。それを突破するのが、当時で言うならば『根性』。
やる気と根性がなければ、バイクの修理なんか始めっからするな」――この人生観が不良を感動させるんですね(笑)。

■やる気と根性――この二つをひっくるめて、信仰と呼んでも良いのです。
自分の努力を優先する力ではない。
なぜならどんなに頑張っても、どんな悲しみも、どんな嫌な体験も、出来事も、それらは神さまが私のために選んでくださった土地であり、そこからすべてを組み合わせて、益を引き出すのは神さまの仕事、私たちにそんなことはできないです。
でも助けてくださる神さま、益を引き出してくださる神さまを信じて、あきらめない、投げ捨てない、信じて耐え抜く――それが私たちに求められています。

先ほどの創世記の13章の18節をちょっと見て、読んで終わりにしたいと思います。13章の18節、一緒に読んでみましょう。

18そこで、アブラムは天幕を移して、ヘブロンにあるマムレの樫の木のそばに来て住んだ。そして、そこに【主】のための祭壇を築いた。

まず一番最初にすることは、彼は引っ越ししました。
神さまが見渡せと仰ったところに先ず引っ越ししました。何度も彼は、ここから、ここを拠点に移動していきます。

■でも一番最初にしたことは、彼は神さまを礼拝しました。
まだ先のことはわかりません。でも神さまが与えると言われた土地を見渡して、そこに足を踏み入れて、縦横に歩き回り、その恵みを自分のものとするためには、先ず神を礼拝しようと彼は考えた。
与えられた土地で、導かれた場所で神さまを礼拝することから始めた。
そして時間をかけて、これから何年もかけて、縦にも横にも自分の足で歩いて、その土地を自分のものにしていきます。

「石の上にも三年」という日本のことわざがあります。それと同じです。
でも私たちは石の上にじっと三年しているうちに、その忍耐に耐えて、展望が出て来るかと言うと、必ずしもそうではない。
神が(すべてのことに)働いて益としてくださる。でも神は、私たちが石の上に三年努力することと共に働いて、益としてくださる。
貧乏くじであっても、(益としてくださる)神を信じて、(神と)共に働く私たちでありたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、この一年、貧乏くじを引くことも多々あると思います。あなたが私たちの背に載せる重荷、私たちを導く土地が、人間的に考えれば何と損な道であったかなぁと、情けなくなることも多々あるに違いありません。
でもそのようなパズルのピースが、私たちの人生にとって大変な益となることを知っておられるあなたは、そのようなマイナスの出来事をも祝福してくださり、用いてくださると信じて、主よ、どうか私たちにこの年を走り抜くところの信仰の忍耐、信仰の力、やる気と根性を授けてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。


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DATE: 2015.01.05 - 17:32

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