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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/1 Tペテロの手紙(21)水を通って救われる Tペテロ3:17〜22
☆聖書箇所     Tペテロの手紙3:17〜22

17もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。
18キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
19その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
20昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
21そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
22キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。

☆説教     Tペテロの手紙(21)水を通って救われる

ペテロの手紙をご一緒に見ていただいて21回目ですが、今日は特別に聖書をじっくり読まないと、う〜む、私(藤本牧師)もよくわからない、という所があります。
先週は3章の13節から見ていただきました。

13もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
14いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。

とあるように、善に熱心であるように善を行おうとすると、私たちは周囲からの脅かしに恐れたり、また必ず心が動揺して折れてしまうことがある。これは紛れもない事実ですね。
そして、15節に、ペテロはそこから脱出する唯一の方法を記しています。それが、

15心の中でキリストを主としてあがめなさい。

この方だけがすべてを支配しておられることを確認することだけが、私たちの心を脅かしや動揺から守ることができるという話をしました。

で今日は、17節から――ちょっと16節は飛ばしますが――17節から読んでいきます。

17もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。

1)先ず第一番目に善を行うということは、神さまのみこころを行うということですけれども、その神のみこころを行いながら、私たちはどういう苦しみに遭うんだろうか?

言うまでもなく、一つは迫害がありますね。
悪というのはほとんどが自己中心、わがままな思いから出て来ますから、それがわがままな、勝手気ままな自己中心な者たちに私たちが囲まれていたならば――
先週お話ししました奴隷解放の運動をしたウィルバーフォースの時代ではありませんけれども、議会は誰一人として奴隷貿易の存在さえ認めようとはしませんでした。
もしかしたら議員の中には、奴隷貿易の恩恵を受けていた者たちもいたかもしれません。
でも大方は、自分の幸せのことで、自分の楽しみのことで、わがままな世界に閉じこもって、この世界に存在している悪の現実を見ようとしなかったということでありましょう。
ですからあえてそういう現状を突き破って善を行うということは、人から相手にされない場合も多々あります。
もちろんイエスさまが仰った通りに、「あなたがたは世にあって患難があります」(***ヨハネ16:33)という現実のゆえに、福音を信じる時に、信仰のために苦しい思いをすることも多々あります。

でもここで17節に注意しなければいけないことは、なんとしても17節でペテロは、「もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受ける」――こういう風に表現しています。
つまり、苦しみが悪を行う者に下るなら、だれもが納得することでありますけれども、「苦しみが神を信頼する者にも下る、いや、それが神のみこころである場合は」――という風にペテロは言っているわけです。
神のみこころである場合というのは、神はその苦しみが私たちに下ることをよしとされる、許される場合がある。

私たちはつい口を滑らせるように、神さまに文句を言います。
真実に善を行うことに熱心で、神さまのみこころの中を生きていると、自分では思っているのに、どうしてこんなに人生の不条理を体験するんだろうかと。
イエスさまは仰いました――「雀さえも父なる神のお許しなしに地に落ちることはない」(***マタイ10:29)と。神さまは仰ったじゃないですかと。
だとしたら、一層なぜこういう不条理が私に襲い掛かるのですかと。
主よ、確かに私は愚かな者です。しかし愚かであると認めた上でも、どうしてこんなことばかりが降りかかるのだろうかと、私たちは思いますね。

さて、ペテロはこう述べておいて、すぐにキリストの苦しみについて語ります。18節に――

18キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。

正しい方であるキリストが悪い人々の身代わりになったというペテロの言葉は、実は4章の1節に使われています。ちょっと4章の1節を一緒に読んでみたいと思います。

4:1このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。

「正しい方であるキリストが肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい」ということは、あなたがたも覚悟しなさいということ。
罪なき善に熱心であったキリストが、人となられ、そして苦しみを受けられたという現実を考えたら、「あなたがたも心を武装せよ」ということは、よくよく覚悟しなさい。
ペテロは、「不条理な人生の中にあって、神を信じている者に対しても苦しみがふりかかることは往々にしてある。その上で、罪を犯したことのない正しいキリストでさえ、十字架の苦しみを味わわれたのだから、同じような覚悟であなたがたも生きていなさい」と述べておいて、

2つ、非常に重要なことをペテロが述べますので、そのことにちょっと今日は注意して見ていただきたいと思います。
で、残りの2点、私(藤本牧師)はそういう話をします。最後の1点は非常に複雑ですので、ちょっと注意して聞いていただきたいと思います。

今日の話に3つポイントがあるとしたら、第一のポイントはすでにお話しました。
1)不条理な苦しみがある。それが神さまの御心であるとしたら、その不条理さは一層厳しいものになる、という話をしました。

2番目は――

2)そういう不条理な苦しみに遭う私たちに対して、ペテロは圧倒的なキリストの恵みを語ります。

それが18節です。もう一回見ていただきます。(Tペテロ)3章の18節――

18キリストも一度罪のために死なれました。

一度というのは、1回という意味ですけれども、これは決定的な1回です。
聖書の中で、「一度キリストは罪のために死なれた、十字架にかかられた」ということは、その出来事の決定性を表しています。
「キリストは私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかってくださり、その罪の裁きをご自身の身に受け、身代わりとなって決定的に私たちを救ってくださった」ということを、ペテロは言いたいんです。
そして救われた私たちは――18節の最後を見てください――「私たちを神のみもとに導くためでした。」
キリストは十字架をもって、私たちの罪を決定的に完全に贖い、私たちを神さまのみもとに導いてくださる、その途上にいま私たちは生きている。
ペテロはこの「決定的完全な救いという事実」こそが、信仰者の人生に起こる不条理な苦しみに対する決定的なアンティテーゼ、決定的な解毒剤であるということを言っているわけです。

どうしてこんなことが起こるんだろうかという原因はわかりません。
原因はわからないんだけれども、神はそのことを許されたとしか言いようのないような事件に、出来事に巻き込まれることがある。
それはものすごく胸が痛いです。
なぜなら、「スズメ1羽でさえ、神のお許しなしに地には落ちることはない」(***マタイ10:29)と仰っておきながら、
だとしたら、私の人生にこういう出来事が起こるのは神の許しがあったからだとすると、神はどうしてそんなことを許されたんだ、神を信じているがゆえに、余計その不条理な思いが内側に大きくなるということはあるんですね。
ペテロはそれに対する原因説明は何も記していません。

パウロも記しませんね。でもパウロも言いました。
「四方八方から苦しめられますが、窮することはない。途方に暮れますが、行き詰まることはない」(***Uコリント4:8)
なぜなら、「四方八方から苦しめられ、途方に暮れる」というのは、不条理の中にあるということですよね。
「でも窮しない、行き詰ることはない」というのは、キリストの完全な、絶対的な救いによって、なおも守られているからだ。

これをペテロは――(Tペテロ3章)20節をちょっと見てください――ノアの箱舟に譬えます。

20昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられた時に、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が(***これはノアの家族です)、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。

というのは、大洪水を乗り越えて救われたのです。
ここにとっても大切な表現が三つ出て来ます。
1番目は「わずか八人の人々が」――私たちのことです。日本にあって、キリスト者は少人数でしょう。一握りの一塊の信仰者です。ペテロが言うには、小アジアに散って寄留している、この手紙の読者たちは本当に少数のクリスチャンです。
でもその少数のクリスチャンが、――2番目の言葉「この箱舟の中で」というのは――キリストの救いの中にあって、あるいは、昔から教会はこの世界にあっての箱舟だと言われてきました。
私たちは、教会の中にあって、箱舟の中にあって、この大洪水の中を通りながらも、なお守られています。わずか八人の人々が、箱舟の中にあって――(3番目の言葉)「水を通りつつも」救われていく。
それをペテロは、不条理な人生における唯一の支えだと言っているわけです。

「水を通るときも救われる」というのは、イザヤ書の43章の2節です。ちょっとこれを見ていただきたいと思いますが、ご一緒に読んでみましょう。

イザヤ43:2 あなたが水の中を過ぎるときも、
          わたしはあなたとともにおり、
          川を渡るときも、あなたは押し流されない。
          火の中を歩いても、あなたは焼かれず、
          炎はあなたに燃えつかない。

神さまが「水の中を通らないようにしてくださる」とか「火の中を歩かないようにしてくださる」とは書いてない。
私たちは水の中を過ぎ行く、川を渡る、火の中を歩く、そういう試練の中を生きていく。
それはとっても不条理なことかもしれないけれども、神さまはそれを許される。
そんなときにも「神はあなたと共にあり」「あなたは押し流されない」「炎があなたに燃えつかない」――これこそが、不条理の試練の中にあって、最大の支えとなり慰めである。
神のみ許しの中で起こる、善を尽くそうとしている私たちにふりかかる様々な苦難の中にあって、あなたは水を通って救われる――それほどキリストの救いは圧倒的に大きい、完全である。

という所でメッセージを終えたい。ですが(笑)、そうはいかない。
3番目、これが非常に厄介なところで、私(藤本牧師)はこの説教は高津教会の中に留めて公にしたくないなぁと思うくらい、藤本がここの箇所をどういう風に説明するのかは、恐らく他の先生方は見るんだろうと思いますが――

3)それが19節です――

19その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って、みことばを語られたのです。
20昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。

何のことなのか?
19節に「その霊において、」(とは)キリストが十字架で死なれて復活される間、使徒信条では「よみにくだり」と入っていますよね?
死の世界に下り、普通私たちは「よみにくだり」と言った時に、キリストは死の世界を打ち破るために死の世界に行かれたんだという風に理解していますが、ペテロは非常に変わった言葉をここに残しています。
それは、キリストはよみの世界に下り、死んでいった霊のところに行って「みことばを語られた」(19節)――これは4章の6節にも出て来るんですよ。ですからこのみことばから逃げらない。

4:6というのは、死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが、それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるためでした。

(3章)19節の「捕らわれの霊たち」というのは、20節の前半にある、ノアの時代に悔い改めることをしなかった人々です。
すると、キリストは悔い改めることをしなかった人々のところに行って、福音を宣べ伝えたということになりますね。
4章の6節には、「死んだ人々にも福音が宣べ伝えられていたのですが」、しかも宣べ伝えられていただけではないですよ。6節の後半に――「それはその人々が肉体においては人間としてさばきを受けるが、霊においては神によって生きるため」だとこう書いてある。

ということは、死んでしまった霊のところにキリストは下って行って福音を語り、彼らが救われる可能性がここに書いてある。
これが今ちょっとはやりのセカンドチャンスと言いますね(笑)。
で、正統的な牧師はあまりセカンドチャンスのことを語りません。でも書いてある。

例えばこういう解釈があります。
キリストが死の世界に行って語られたのは、死の宣告を待つ人々にさばきを語られたのだと。
救いを語られたのではなく、さばきを語られたのだと――例えば、ジョン・ウェスレーなんかはそういう解釈をします。それは伝統的な解釈ですね。

でもここで使われているギリシャ語は、ケーリュッソーという言葉で、これは明らかに「福音の宣教」なんです。さばきを語ったんじゃない、福音の宣教をキリストはされたんです。
それは死んだ者たちもまた救われるチャンスがあるということであって、事実4章6節には――キリストが語られたのは、「霊においては神によって生きるため」だったと。
皆さん、これはどんなに大きな問題かわかりますでしょう?

フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を宣教をしに来たのは、16世紀。
福音宣教をした時に、それを聞いた当時の日本人から、苦しみの質問を浴びせられた。
それは、今あなたが日本に初めてキリスト教を伝来して、そして私たちが信じたとする。
すると、福音を聞かずに亡くなった人たちはいったいどうなるのか?つまり日本の私たちの先祖はいったいどうなるのか?私たちの家族はどうなるんだ?
自分がキリストの福音を聞いて救われるのはいい。しかしすでに死んでしまった家族が捨て置かれてしまうというのは、一体どうなるんだろうと、ザビエルに詰め寄るのです。

ザビエルはローマの教皇庁に手紙を書いて相談しているんです。
教皇庁の教えは伝統的なキリスト教の教理と変わりませんでした。
ですから、死んだ後に救いはない。救いは生きている間になされるものであって、死んだ後に救いはない。
ザビエルは非常に心を痛めました。ですから、彼は救いを説くときに、その死後の裁きについてはなるべく触れずに、いま生きている私たちの救いに言及したのです。

でもペテロは、「キリストは死んだ人々にも福音を宣べ伝えた」と、ここ(Tペテロ3:19,4:6)で記しています。
私(藤本牧師)はこういうあいまいな形で説教を終えたくはありませんけれども、実は私もよくはわからない。
福音を聞いたことがない人々が果たして救われるのか、捨て置かれるのか?

パウロは少なくとも、ロマ書(***2:12〜16)で、「福音を聞いたことのない人々は、その人の良心がその人の律法となって、その人の生き方が決する」と書いてありますが、「福音を聞いたことがないのであれば、その人の良心が律法となって、その生き方が神によってさばかれ、救われる人もいれば、さばかれる人もいる」と、パウロはやっぱりある程度の幅を設けて話をしていますよね。

ペテロはもう少しストレートに、「死んだ人々に福音を語るキリスト」というものを描いています。
その時にね、死んだ人たちがどの時代の人たちを指すのかはここでは不明です。
ノアの時代の人々なのか、それはわかりません。そして、彼らが福音を聞いてどう反応したのかも不明です。
ただイエスさまは福音を語られ、救われることを願って語られたという事実はここに記されています。

あるいは、福音書(***マタイ9:2〜8、マルコ2:3〜12、ルカ5:18〜26)では自分の友人を癒してもらおうと思って、寝床の四隅をもって、屋根からイエスさまのところに友人を吊り下ろしている4人の人物がいます。
イエスさまはこの4人の人物の信仰を見て、病人に仰いました。「子よ、安心しなさい。あなたの罪は赦された」と。
つまり、イエスさまは病人の信仰を見て罪を赦したのではない。イエスさまは4人の友人の信仰を見て、この病人の罪を赦したんですね。
それ以上のことは実は聖書に書いてない。

で、原則として言えることは、あまり聖書に記されていないことを、いろいろ理由づけて関連づけて勝手に自分で教理を作ってはいけない――これは原則です。
もし、ペテロの言っていることが聖書の至る所に記されているならば、私たちはそれを福音の中枢として理解することができます。
でもいま申し上げたようなことは、恐らくペテロの手紙を開かない限り、私たちには解らないですね。

でも一つ強調して言っておきたいことがあります。
それは、一度罪のために死なれて、私たちのために成し遂げられた「キリストの救いのみわざ」というのは、私たちが考えているよりはるかに大きいことなのかもしれない。
ですから不条理な神の許しの中にあっても、私たちはこの箱舟の中にいることによって、水から守り通されて救われるほど、キリストの救いは大きい。
そして死者にさえ救いを語るキリストの憐れみに、私たちはすがることが許されているんじゃないかと、私(藤本牧師)は思うんですね。

私(藤本牧師)はキリスト教の教理史が専門です。キリスト教がどういう風に教えを歴史的に説いて来たのかというのを専門にしていますので、だれよりも伝統的な教理というものを重んじる人間です。
ですから、決定的に死んだ後ももう一度福音を聞いて救われるチャンスがあるという風には、考えにくい、正直。

でもその考えにくい私の思いを越えて、キリストの憐れみははるかに深いということを、もしかしたらペテロは解っていたのかもしれない。
なぜならペテロは、イエス・キリストが十字架にかかる前に、「イエスを知らない」と3度言いながらも(***ヨハネ18:25〜27、ルカ22:56〜62、マルコ14:66〜72、マタイ26:69〜75)、イエスさまは全くそのことには触れず、全く触れず、「わたしを愛するか」と3度問うことによって、ペテロを回復しておられます(***ヨハネ21:15〜17)。
それほどの憐れみをペテロが味わっていたとしたならば、ペテロはこういう言葉を確信をもって記すことができたのかもしれない。
不思議は残ります。
そんなに簡単にセカンドチャンスという教理に飛びつくものではないです。

でもイエスさまは仰いましたよね――私たちが天の御国の晩餐の席に着くときには、北から南から東から西から、私たちが全く知らない人たちが集まって来る(***マタイ8:11、ルカ13:29)と。全く知らない人たちが、予想もしない人たちが集まって来ると。
ということはどういうことか?
それは「キリストの救いの広さ、深さ」を言っている。そして私たちが知っている天国に行く人たちというのは、別にこんな仲間内だけの話だけではない。
キリストの憐れみは、旧約聖書によれば、「あなたの信仰によって、千代に及ぶ」(***申命記5:10、出エジプト記20:6)と書いてある。
どれ程深いか。その深い恵みにどれほど私たちが守られているか、ということも心に留めていただきたいと思います。

☆お祈り

恵み深い天の父なる神さま、考えてみますと、私のような者が救いに導かれたというだけで、この事実だけで、あなたの憐れみ深さを感じます。もし私が救われていたとすれば、私の家族は当然救われるだろうと思うくらい、私は愚かでまた罪深い者です。そんな私を、この神の家、箱舟に導いてくださいましたあなたの恵みを心から感謝いたします。

それほどありがたい恵みをいただいているのでしたら、どうかそれを無駄にせず、生きている内にできるだけ多くの人々にその恵みを語ることができるように、そしてその恵みから、様々な人たちを締め出すことのないように、あなたの憐れみが私たちの予想以上、想像以上に大きなものである、というこの希望にいつも立つことができるように、私たちを守り導いてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
          

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