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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   3/8Tペテロの手紙(22)キリストの心で武装する Tペテロ3:13と4:1

☆聖書箇所

Tペテロ3:13
もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。

同4:1
このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は、罪とのかかわりを断ちました。

☆説教   Tペテロの手紙(22)キリストの心で武装する

第一ペテロの学びに戻りまして、受難週の前にもう一度考えなければならないですが、今日は22回目で、3章の13節からもう一回見ていただきました。
今日の説教題は、4章の1節から取ってあります。ちょっと4章の1節を先に読みますが――

4:1このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。

「自分自身を武装しなさい」と呼びかけられている彼ら、また私たちはどういう者たちか?
ペテロの手紙はアジヤの小さな諸教会に宛てて記されました。
アジヤの社会はキリスト教とは無関係です。そこに建てられた小さな教会に集まって来る小さなキリストの群れ、神の民に向かってペテロは記しているんですが、
ペテロは、彼らのことを、私たちのことを、「散って寄留している神の民」と呼びました。
「散って」というのは、定住地を持たない、散らされている。
もちろん「寄留している」ということは定住地を持たない。そこではあくまでvisitor(訪問者)だという意味ですね。

彼らの住んでいる世界、私たちの住んでいる世界は必ずしも私たちの信仰を理解しません。その生き方に同調もしません。
当然社会から、バカにされることも抵抗されることもありましたでしょう。

そんな中にありまして、ペテロが一貫して語っていることがあります。
それが、たとえば3章の9節をご覧ください。

3:9悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。

あるいは3章の13節を見てください――善に熱心であれ。
あるいは3章の17節を見てください。

17もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、(悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。)

とあるように、善を行って苦しみを受けることもある。
ず〜っとこのペテロの手紙は、周囲からの抵抗は覚悟しなさい。しかし、それを覚悟した時にキリストを思い出しなさい。3章の18節に――

3:18キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。

とあるように、このキリストの姿を私たちの心構えとして、そして4章の1節にあるように、「自分自身を武装しなさい」というのが、全体の流れです。

「キリストの心をもって武装する」ということは、攻撃的な反論で武装するのではない、やられたらやり返すというリベンジ精神で武装するのではない、穏やかなキリストの心で、あなたの身を守りなさい、というのが、ペテロの教えですね。

では今日は、「キリストの心で武装する」と題して、文脈から、この武装がいったい何を意味しているのか、ということを一緒に考えたいと思います。先ず一番目は――

1)キリストによって武装する私たちは、――21節を見てください。

3:21そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。

バプテスマというのは洗礼ですが、
キリストによって自分自身を武装する私たちは、正しい良心の神への誓いを目指す、
正しい良心によって武装するということです。
それは洗礼が意味していることだと、ペテロは言いたいのですね。

洗礼というのは、水による洗いきよめですが、それは身体の汚れを落とすものではなく、心の汚れを落とすものであり、良心をきれいにしておくという意味です。
正しい良心というのは、後ろめたさのない良心です。
後ろめたい良心、あるいは陰りのある良心がむしろ一般的です。
私たちはたとえキリストを信じていても、心の陰りを意識します。

アメリカで実際ある、こういう規定がありますが、1974年2月6日の日付である手紙がアメリカの州政府に届いたというのですね。
ルーズリーフの紙切れに、よたった字で書かれていました。
封筒の中に、その紙切れと一緒に10ドル札が――ま、1000円ですね――1枚入っていた。
「ここに10ドルを同封します。第二次世界大戦の時に軍の毛布を盗みました。そのことが頭から離れません。遅くなって申し訳ありません」と。
差出人は、退役軍人、と書いてあるだけだったそうです。そして追伸に、
「神さまにお会いする備えをしたいと思いますので、同封いたします」と記されていた。

この種の手紙は、ずいぶんな数で、ずいぶん昔から届くそうです。
政府はなんと1811年から全部そのお金を保管している。同封されて来たお金はこれまでで総額5億円。
基金として積み立てられて運用されて、その基金の名前が良心基金です。英語ではConscientious Fundですが、良心の基金。
こういう基金があるということを知って、何かの形で過去の問題を償えるのなら、償っておきたいというのでしょう。
平均して年に45万円。わずかな額ですが、45万円(笑)。一番多かったのは1950年で500万円であったという話でありました。

中には先ほどのように、気にしている方がおかしいような問題もあります。
これほどきれいな良心を持っている人、持とうとしている人は珍しいかもしれません。
しかしここに珍しくない問題がある。
それは私たち誰もが、償うことができるなら償いたい――そういう心の底にある苦悩を持っているということです。
過去の失態、失敗をどうするかという問題なんでしょうけれども、人を裏切り、傷つけ、人に裏切られ、傷つけられるということが私たちにはあります。
そして所詮どんなに償おうとしても、それは無理でしょう。
洗いきれないしみが私たちの人生にしみついています。

モーセはエジプトの王宮で育ちながら、イスラエルの同胞の苦しみを見て悩み、エジプトの役人を殺してしまったというしみがありました(***出エジプト記2:11〜12)。
私たちがよく読むダビデがそうです。(***Uサムエル11章)。ある日の夕方、屋上にいなければ、バテ・シェバを見なければ……と、ダビデの心にはいつもその悩みがありました。
ペテロもそうです。どうしてあの時、大祭司の官邸で、イエスを知らないと三度否んだのか(***マルコ14:66〜72)、何度考えても、ペテロには解らないことでありました。

ですからペテロは、その「しみのない良心によって武装しなさい」と言った時に、「潔癖にきよらかに生きよ」と言うのではない。
洗礼による洗いきよめによって、キリストの血があなたの罪を洗いきよめているということを、しっかりと心に受け止めておきなさい、という意味です。
ダビデは詩篇の51篇で歌いました。

(詩篇51:7)ヒソプをもって、私の罪を除いてきよめてください。
               そうすれば、私はきよくなりましょう。
               私を洗ってください。
               そうすれば、私は雪よりも白くなりましょう。

私を洗ってください――洗礼の恵みによって、私を洗いきよめて、聖餐によって、キリストの十字架によって、私をきよめてください。
そうして、あなたの心を武装しなさい。

2)心を武装するということは、自分が箱舟に入っているということを忘れないことです。

ちょっともう一回ペテロの手紙を見ていただきたいと思うのですが、20節の一番最後の行を先週見ましたね。

Tペテロ3:20……わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。

ということは、あなたは、私たちは、箱舟の中で水を通って救われようとしている。
つまり外は大嵐で、自分はこの箱舟の中に入って守られている、という意識を失くしてはいけない。

ノアの箱舟(***創世記6〜7章)が嵐の海の中をくぐっているときに、その大洪水の最中で箱舟を降りる人はいなかったと思います。
でもわからないものです。わからないものです。
アブラハムの甥のロト(***創世記19章)は、その家族、その妻とともに、ソドムとゴモラの滅ぼされようとしている町から逃げるように、神の使いによって連れ出されて「全力で逃げなさい。絶対に後ろを振り返ってはいけない」と言われますけれども、ロトの妻は未練がましくも後ろを振り返って、塩の柱になるという出来事が記されています。

自分が一心で逃げろと言われた町に向かっているときに、天から硫黄が降って来る音が聞こえ、そして神さまの「絶対に振り返ってはいけない」という言葉が頭の中に残っているにもかかわらず、ちょっと船を降りてみようかなという気持ちがあったのか、自分が逃げて来る町に対する未練があったのか、あるいはその状況を確認したかったのかわかりませんが、見てはいけない、降りてはいけない、という言葉を忘れて、彼女は後ろを振り返ります。

「ノアの箱舟の中に入って、水の中を通って救われました」と書いてありますけれども、箱舟から降りたら、私たちは救われないです。
どうして私たちは箱舟から降りてしまうのか?それは(私たちには)水の勢いが解らないからですね。

前にも話したことがありますけれども、私たち(藤本牧師夫妻)はアメリカにいた時に、何度かナイアガラの滝を観に行きました。何度も観に行きました。
湖全体がこっちに向かって落ちて来るんですよね。ま、あんまりきれいな水じゃないんですが、それはそれは清らかではない。全然清らかな感じはしない。華厳の滝の方がよっぽど滝らしいと思うのですが、
湖全体が数百メートルの幅でこちら側に落ちてくるっていうのは、何とも言えない圧倒的な思いですね。
滝つぼに落ちてきた水が、10キロから20キロ直線で岸壁を削って、100メートルか150メートルの下の川をず〜っと流れるんですよ。
で、10キロから20キロ先でなんとその流れが直角に曲がるんですよ。直角に。どうしてそうなっているのかはわかりませんけれども、直角に曲がるんですね。

そこへ行きますと、これっくらいの(左手の親指と人差し指で輪を作って)鉄のワイヤーで吊るされたロープウェイのかごに乗って、その直角に曲がる渦の上を行き来するという体験がありまして、私と圭子は新婚旅行でそこに行ったんですね。
それで、ま、みんな乗っているから大丈夫じゃないって感じで(大笑)、ケーブルカーでも何でもない、箱なんですね。
鉄柵の箱で、向こうまで行ったところで、「じゃ皆さん、ゆっくりと立ち上がってください。バランスを崩すと危ないですから」と言って、皆で一斉に立ち上がるんですよ。それでぐるっと一周して、「帰りは反対側をご覧ください」、そういう(藤本牧師ご自身で思い出し笑い)素朴なツアーなんですね。
皆さん下をのぞき込むわけです。ものすごい水が直角に曲がるんですから。で、渦があるんだろうなぁっと思って見るんですが、渦はどこにもないんです。

私(藤本牧師)はガイドのお兄さんに
「大したことないね。日本には鳴門のうずっていうのがあって(笑)、もう海全体がこうやっていっぱいめぐるんだよ。そして船でそのそばまで行く事もできるんだよ」と言ったら、
ガイドのお兄ちゃんが(言うことには)、
「上から見てるとそうでしょう。でもあのゆっくりとした水の動きの中で、浮いている物体で、それが葉っぱだろうが木の枝であろうが、浮いている物体で渦の下に巻き込まれないものは何一つないんだよ。小さな小枝から葉っぱ一枚に至るまで、どこかで必ずそこに巻き込まれて沈んでいくんだよ」
そうしますと、上から見ていて、すごいなぁと思いますよ。すごいなぁと。

私たちを引きずり込む力は、そのナイアガラの滝のような、激しい音と共にものすごい勢いで下に引きずり込むものもあれば、一見するとほとんど動きがないかのように見えて、木の葉一枚に至るまで全部一旦は下に引きずり込まれるほど、世の流れは強いですね。
だから私たちは箱舟から降りてはいけない、とペテロは言っているんです。
自分は水の中を通っているという意識を失くしてしまったら、どこかでさあ泳いでみようかなと言わんばかりに、私たちは船の外へ出てしまいます。

つまり、洗礼を受けて後ろめたくない良心を何とかいただこうとして、この罪深い世にあって私たち自身も何度か転びながらも、このキリストの恵みの船の中に留まり続けなければいけないという武装意識――それが私たちをこの世界にあって守ると言うのですね。

3)もう一度、今度は3章の22節と4章の1節をご一緒に読みたいと思います。

3:22キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。
4:1このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。肉体において苦しみを受けた人は罪とのかかわりを断ちました。

来週はこの1節の後半「肉体において苦しみを受けた人は罪とのかかわりを断ちました」から話をしますが、4章の1節の前半部分は3章の22節に係っています。

キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。(3:22と4:1前半)

という武装の3番目。――それは、22節に記されているキリストの大勝利です。

ペテロはアジヤの諸教会の人々に言いました。
「善に熱心でありなさい。悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、そして神のみこころなら、善を行いながらも苦しみを受けることもあるでしょう。しかし、あなたがたの心を武装しなさい。なぜなら、キリストの大勝利があなたがたの前にあるのです」

そして私たちは――パウロの言葉(***Uコリント2:14、コロサイ2:15)で言えば――その勝利の凱旋の行列に加えらえているんだ。
このキリストの力強さを、十字架の心構えと一緒に忘れないでいなさい。
十字架の心構えだけで考えますと、何とも下を向いて十字架を背負いながら、私たちは耐える以外にない。
でも十字架にかかられたキリストは復活の栄光にあずかられた。
その天の(神の)右に座しておられるイエス・キリストをイメージしながら、あなたがたも力強く、力強く善を行うのに熱心でありなさい。

(マーティン・ルーサー・)キング牧師(1929〜1968)の言葉を読んで終わりにいたします。
その言葉の中に、十字架を負いながらもキリストの復活の大勝利に心燃やされて、勇気をもって顔を上げておられるキング牧師の姿があります。

「あなたがたの他人を苦しませる能力に対して、私たちは苦しみに耐える能力で対抗しよう。あなたがたの肉体による暴力に対して、私たちは魂の力で応戦しよう。どうぞ、やりたいようになさりなさい。それでも私たちはあなたがたを愛するであろう。

  どんなに良心的に考えても、私たちはあなたがたの不正な法律には従えないし、不正な体制を受け入れることもできない。なぜなら、悪への非協力は、善への協力と同じほどの道徳的義務だからである。だから、私たちを刑務所にぶち込みたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

 私たちの家を爆弾で襲撃し、子どもたちを脅かしたいなら、そうするがよい。つらいことだが、それでも私たちは、あなたがたを愛するであろう。

 真夜中に、頭巾をかぶったあなたがたの暴漢を私たちの共同体に送り、私たちをその辺の道端に引きずり出し、ぶん殴って半殺しにしたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

 国中に情報屋を回し、私たち黒人は文化的にもその他の面でも人種統合にふさわしくない、と人々に思わせたいなら、そうするがよい。それでも、私たちはあなたがたを愛するであろう。

 しかし、覚えておいてほしい。私たちは苦しむ能力によってあなたがたを疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする、ということを。私たちは自分たち自身のために自由を勝ち取るだけでなく、きっとあなたがたをも勝ち取る。」

「あなたがたをも勝ち取る」――あなたがたをも友として勝ち取る。
悪をもって挑んでくる相手にキング牧師は宣言するんですね。
「私たちはあなたがたを善をもって疲弊させる。あなたがたの悪に対して、私たちは愛をもって克服していく。あなたがたを善をもって疲弊させ、いつの日か必ず自由を手にする」というこの力強い言葉。

それは単に十字架を歯を食いしばって、キリストの苦しみの姿を思い描きながらがまんしているのではない。
明らかにキング牧師は、キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて神の右に座しておられるという、キリストの勝利の姿を思い描いているからこそ、その心は武装されているのです。
キング牧師はキリストの大勝利に繋がっていることを、ひと時も忘れませんでした。

それでいながら、39歳で暗殺されます。
しかし、主イエス・キリストの復活によって、神の恵みが死の力に勝利したことを信じる私たちは、彼の言葉を受け継ぎ、平和を実現される主イエス・キリストの後に従っていくんです。
なぜなら、キリストは父なる神の右に権威をもって座しておられる、という事実を私たちは心から確信しているからです。

☆お祈り

このように、キリストは肉体において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。
(Tペテロ4:1)

恵み深い天の父なる神さま、御子イエス・キリストの十字架のみ苦しみをもって、私たちの罪が赦されたという事実をもって、自分自身を武装することができますように助けてください。とてもではありませんけれども、あなたの御前に立つ資格はありません。しかし、流された十字架の血潮のゆえに、こんな私も赦されていることを覚えて、感謝の思いをもって心を武装することができますように助けてください。
自分はいま大洪水の中を箱舟によって守られているんだ、であるがゆえに、この箱舟から降りることは決してない、という覚悟をもって自分自身を武装させてください。
そして何よりも悪の手が、不条理な出来事が私たちの人生に襲いかかるときに、天を見上げて、御使いたちとともに栄光の権威の座に座しておられるイエス・キリストを見る、そのビジョンをもって私たちの心を武装させてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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