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::: 高津教会 説 教 :::


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Name   牧師
Subject   クリスマス礼拝「主を迎える心」
クリスマス礼拝「主を迎える心」

ルカ2:1−20


●恐れることはありません

 12月の始め、クリスマスの忙しい準備が始まる前、私と圭子は、いっしょにデズニー・シーに行きました。6時からはいる、ナイトパスポートです。込んでいますから、乗り物にはいっさいに乗らない。ただイルミネーションとパレードを楽しみました。振り返ってみると、8年ぶりのデズニーです。子どもを連れずに行ったのは初めてです。ああ、こんなに楽なことはないと実感しました。子どもを連れて行きますと、お腹空いた? 寒い? トイレは? 疲れた? 楽しい? 来て良かった?――あらゆることを気にかけて、大人はがんばります。
 考えてみますと、人生の半分以上は、心配と恐れとの戦いではないでしょうか。例えばデズニーランドに楽しむために行ったとしても、楽しませるために心配して、得するために心配して、最悪の状況を恐れているのが私たちです。聖書のどんな物語を開いても、人生のどのページを開いても、人は恐れているのです。心配しているのです。そして、聖書のどのページを開いても、一貫して響いてくる神の声が、「恐れることはない」です。
 この声がクリスマスの中心に響いています。10節で天使は羊飼いに言いました。「恐れることはありません」。ルカの福音書のクリスマス物語で、「恐れることはありません」は、これで3回目です。年老いたゼカリヤに子どもが与えられることを天使がつげにやってきます。「恐れることはありません」。それはそれは心配するではありませんか。子どもができることが奇跡である、神の御業である、ということ以上に、そんな年齢になって妊娠すること自体、出産すること自体、いや子どもを育てることが自体、心配です。私だったら、すぐに高齢出産専門の病院で検査から始まって、最後まで面倒を見てもらいます。
 乙女マリヤに天使が現れたときも、はじめのメッセージは同じです。「恐れることはありません」。奇跡の受胎です、あり得ないことです。しかし、恐れはそこにとどまらなかったはずです。マリヤは恐れました。婚約者ヨセフはどう理解してくれるだろうか。両親にはなんと言おうか。悩んだ果てに、マリヤは先に妊娠したエリサベツを尋ねて、そこにしばらく身を隠すのです。どんなに彼女がいろいろと心配し、恐れていたかよくわかります。
 心配と恐れは、私達の人生につきまといます。いや、つきまとうだけでなく、私達を縛って閉じこめます。イエスさまが十字架にかけられた後、弟子たちはエルサレムで人を恐れて、戸に鍵をかけて閉じこもっていました。頭を抱えて、ため息をついて、絶望して、心配して閉じこもってしまいます。恐れと不安に満ちたこの世界に、私たちの人生に、喜びをもたらす救い主の誕生、それがクリスマスです。喜びをもたらす救い主が、恐れと不安に縛られた、私の人生の中に来てくださる、この心に生まれてくださる、それがクリスマスです。

 では、そのために、何が求められているのでしょうか?

1)馬小屋に注目しましょう。
 イエスさまが馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かせられている直接の原因は、7節にあるように「宿屋には彼らのいる場所がなかったから」です。このクリスマスの情景は、宿屋そのものに彼らのいる場所がなかったというよりは、人々の心の中に彼らのいる場所がなかったということです。これが私たちの姿です。自分のことだけで心がいっぱいな人が集まっている社会。心に他を顧みる余裕のない人が集まっている職場。自分のことだけに捕らわれている家族。
 心に余裕のない人が、互いにしのぎを削って自分を主張し、 押しのけ合って、叩き合いをしている世界です。それは互いを退けるだけでなく、特に救い主を退けるのです。パウロはピリピの教会の人々に言いました。「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスを求めていません」。心の中に、イエスさまの居場所がないほど、自分のことに捕らわれている私たち。
 しかし、覚えてください。主は、差し出せば、馬小屋の雑然とした心の中にでも来てくださるのです。飼い葉桶のように汚れたこの心にでも入ってきてくださるのです。そんなに雑然として、どんなに汚くても、主よ私の中に入ってきてください、と願うことです。汚れていても、差し出された心に主は入ってきてくださいます。

2)次に、羊飼いに注目してください。
 羊飼いは、救い主誕生の証しとして、12節「布にくるまって飼い葉桶に寝ているみどりご」を示されます。そして、本当に貧しい汚い家畜小屋の、朽ちた不衛生な飼い葉桶に、赤ちゃんが寝ているではありませんか。そして、20節、それを見た彼らは、疑うことなく、単純に神をあがめて讃美して帰っていきます。
  彼らは救い主と聞いたとき何を想像したのでしょうか。おそらく力強さ、輝きでしょう。もともと救い主がやってくるとしたら、嬰児(みどりご)でない方が良いのです。剣をもった救い主が雲に乗って、天の軍勢を従えてくればよいのです。それが最も無力なみどりごで、しかも、家畜小屋の飼い葉桶に寝かせられているのです。
 しかし実は、力強い栄光に輝く救い主が、馬小屋に生まれたから、羊飼いは礼拝できたのでしょう。もし、王宮に生まれたら、近づくこともできなかったはずです。剣をもって天の軍勢を従えていないから、信じられない、礼拝できない、とは彼らは言いませんでした。飼い葉桶に寝ているみどりごだから、引き寄せられるように礼拝を捧げることができました。あんな飼い葉桶のあかちゃんなんか信じられるか! あんな馬小屋で、拝む気もしない!――ヘロデならそういったかもしれません。しかし、羊飼いは言いませんでした。馬小屋にお生まれになったからだから、私たちのような者でも霊はすることができたと、感謝して感動して帰っていったのです。主を迎えた彼らの心は、遜っていました。

 アーノルド・プラターという牧師の書いた本に、こんな回想が出てきます。
 私が、常連になっている床屋に行くと、いつも2番目の椅子に座っている男がいました。この2番目に座っている男は、年は65ぐらいで、これほど乱暴に神を汚すようなことばかり口にする男を、私は今まで見たこともありませんでした。
 私が店にはいると、いつも声を2倍にして、嫌なことばかり選んで喋りまくるのです。ある日、私が店にゆくと、彼が見あたりません。主人にいつもの彼はどうしているのかと聞くと、「ああ、彼は、かなりの病気でね。何でも生命が危ないとか。」という返事でした。
 確かそれから6週間後、郵便局へ行くと、後ろから私の名前を呼ぶ声がして振り向きました。あの、神を汚してばかりいる男が車に座って、道行く人を眺めているのです。弱々しく衰えて、彼の顔色は、死人のそれでした。
 彼は、その骨だらけの指を曲げて、私を呼び寄せました。声が掠れて、しかたなく身を乗り出してやると、この男はいいました。「先生。ちょっと聞いてください。」「俺は、昏睡状態で病院に寝てたよ。動くことも、見ることも、話すことも出来ない。でも聞くことはできてね、医者の先生が、俺の妻に「御主人は臨終です」という言葉を聞いたのが最後だった。」
 そして、突然声を震わして、この男は続けました。「先生、俺は、この一生でお祈りをしたことなど一度もなかった。でもそのときは、祈ったよ。神様、もしも、神様、あなたが本当にいらっしゃるのでしたなら、来て助けてください」。
 「そう祈ったとき、俺にはなんて表現したらいいかわからないが、神様がそこにいらっしゃるという確信が与えられたよ」。
 そのとき、彼の目には、涙がいっぱいになって、それが茶色の頬を流れました。この男は最後にいいました。「先生、考えてもみてくれ。俺は、60年間来る日もくる日も、神様の顔をけっとばして生きてきた。それなのに、俺が初めて神様の名前を呼んだとき、神様は、来てくださった。」
 
 羊飼いの、素直な信仰です。遜った心です。その心だけに、主は御自身の栄光を見せてくださるのです。

3)そして、最後にマリヤです。
 主が入ってきてくださるのは、理解にとぼしくても、広い心です。19節「リヤは、これらのことすべて心に収めて、思い 巡らしていた」。救い主の誕生だけで、マリヤの小さな頭では理解のできない、不思議なことでいっぱいでした。あり得ないことの連続です。理解できない、信じられないことばかりです。マリヤは、それを無理に理解しようとはせず、まず心に収めました。それから、思い巡らします。
 救い主の計り知れない恵みと栄光など、とうてい及びも尽きません。当惑することばかりです。しかし、それを心に収めて、思い巡らしていると、やがて真理に導かれていきます。広い心とは、神の偉大な真理に対して、開かれている心です。拒まない心です。そしてそれを無駄にせずに、思い巡らす心です。そんな心に、主は入ってきてくださいます。

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DATE: 2003.12.25 - 23:23

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