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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   5/26 サムエル(11)主の霊は突き抜けていく Tサムエル16:1〜23
☆聖書箇所 Tサムエル16:1〜23

1【主】はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところのところへ遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」
2サムエルは言った。「どうして私が行けるでしょうか。サウルが聞いたら、私を殺すでしょう。」【主】は言われた。「一頭の雌の子牛を手にし、【主】にいけにえを献げるために来ました」と言い、
3エッサイを祝宴に招け。わたしが、あなたのなすべきことを教えよう。あなたはわたしのために、わたしが言う人に油を注げ。」
4サムエルは【主】がお告げになったとおりにして、ベツレヘムにやって来た。町の長老たちは身震いしながら彼を迎えて言った。「平和なことでおいでになったのですか。」
5サムエルは言った。「平和なことです。【主】にいけにえを献げるために来ました。身を聖別して、一緒に祝宴に来てください。」そして、サムエルはエッサイと彼の息子たちを聖別し、彼らを祝宴に招いた。
 6彼らが来たとき、サムエルはエリアブを見て、「きっと、【主】の前にいるこの者が、主に油を注がれる者だ」と思った。
7【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」
8エッサイはアビナダブを呼んで、サムエルの前に進ませた。サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
9エッサイはシャンマを進ませたが、サムエルは「この者も【主】は選んでおられない」と言った。
10エッサイは七人の息子をサムエルの前に進ませたが、サムエルはエッサイに言った。「【主】はこの者たちを選んでおられない。」
11サムエルはエッサイに言った。「子どもたちはこれで全部ですか。」エッサイは言った。「まだ末の子が残っています。今、羊の番をしています。」サムエルはエッサイに言った。「人を遣わして、連れて来なさい。その子が来るまで、私たちはここを離れないから。」
12エッサイは人を遣わして、彼を連れて来させた。彼は血色がよく、目が美しく、姿も立派だった。【主】は言われた。「さあ、彼に油を注げ。この者がその人だ。」
13サムエルは油の角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。【主】の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った。サムエルは立ち上がってラマへ帰って行った。
 14さて、【主】の霊はサウルを離れ去り、【主】からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。
15サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。
16わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」
17サウルは家来たちに言った。「私のために上手な弾き手を見つけて、私のところに連れて来なさい。」
18家来の一人が答えた。ご覧ください。ベツレヘム人エッサイの息子を見たことがあります。弦を上手に奏でることができ、勇士であり、戦士の出です。物事の判断ができ、体格も良い人です。【主】が彼とともにおられます。」
19サウルは使いをエッサイのところに送って、「羊とともにいるあなたの息子ダビデを、私のところによこしなさい」と言った。
20エッサイは、ろば一等分のパンと、ぶどう酒の皮袋一つ、子やぎ一匹を取り、息子ダビデの手に託してサウルに送った。
21ダビデはサウルのもとに来て、彼に仕えた。サウルは彼がたいへん気に入り、ダビデはサウルの道具持ちとなった。
22サウルはエッサイのところに人を遣わして、「ダビデを私に仕えさせなさい。気に入ったから」と言った。
23神の霊がサウルに臨むたびに、ダビデは竪琴を手に取って弾いた。するとサウルは元気を回復して、良くなり、わざわいの霊は彼を離れ去った。

☆説教 サムエル(11)主の霊は突き抜けていく

今日は一気に第一サムエルの16章を見ていただきました。タイトルは、「主の霊は突き抜けていく」。

前々回はサウルが初めて戦いに勝利をもたらした時に、戦いを導いたのは自分だと人々に認めてもらうために、自分のために戦勝記念碑を建てたという話をいたしました。
民の評判を気にして、民の声に聞き従い、そしてそれに失望したサムエルが自分のところを去ろうとしたときに、
「どうか、今だけは民と長老の前で私と一緒に礼拝を捧げて、私のメンツを立ててください」と言った。
どこまでも自分の評判とメンツにこだわっていた人物。
説教のタイトルは「トラにしてネズミの心」で、どこを見ても王の風格はない。
自分を貧しい者として見ているのは、実は周囲ではない、自分自身だ、という話をいたしました。

その次に、そのサウルと対比して考えるなら、ダビデではない、という話をいたしました。
ダビデは英雄です。少年時代にゴリヤテという、敵の巨人を倒した英雄(***Tサムエル17章)で、その英雄の心理を私たちは真似ることはできません。

サウルと対比するために選んだのは、メフィボシェテ、サウルの孫でありました。
サウルがやがて死に、息子ヨナタンが死んだときに、まだ赤ちゃんであったメフィボシェテを乳母は床に落としてしまいます(***Uサムエル4:4)。
それによって、小さな頃から足を骨折してしまいました。
二代目の王の目を避けるかのように、隠れるように住んでいたのを見出され、ダビデの王宮に連れ戻され、
「あなたが持っていた、あなたのお祖父さんが持っていた土地は、家は全部あなたのものだ」
と、その財産を返してもらい、そしてなおかつ
「王の食卓で、あなたはいつも王の家族とともに食事ができる」
という特権にあずかることができました。
彼には、自慢できるようなことは何一つありません。
皆に認めてもらいたいと願いながらも、認めてもらえるような価値もありません。
その価値はヨナタンのゆえにありました。

私たちの価値はメフィボシェテのように皆無に等しいものです。
しかしヨナタンならぬキリストのゆえに、王の食卓で食事ができることを確認(感謝)する者でありたい、というお話をいたしました。

今朝見ていただいたこの(Tサムエル)16章は、サムエルが次の王さまとしてダビデに油を注いでいる箇所なんです。
神さまは既に(※15章のアマレクとの戦いの後で)サウルを王として退けました。
「次の王であるダビデに油を注ぎに行け」というのが、16章の1節にこう始まります。
ちょっとこういうところは、映して行きましょうか。
【画面:Tサムエル16章1節「いつまで〜悲しんでいるのか」「さあ」「ベツレヘム人エッサイの」に山吹色のハイライト】
<Tサムエル16:1>
1【主】はサムエルに言われた。「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか。わたしは彼をイスラエルの王位から退けている。角に油を満たせ。さあ、わたしはあなたをベツレヘム人エッサイのところに遣わす。彼の息子たちの中に、わたしのために王を見出したから。」

1)見ていただきたいのは、「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか」「さあ」と次の段階へと目を向けてくださいます。

まずここに目を留めましょう――「いつまであなたは悲しんでいるんだ」と。
サムエルがサウルに油を注いで、この人物こそがイスラエルの王である、と民の前で宣言したんです。
民に信じ込ませたのは、サムエルです。
そのサムエルがそう簡単にサウルを諦められるのかと。サムエルは悩んでいました。
その悩みの中には、なぜ神はサウルを一代目の王として選んだのだろうか?という悩みであったり、
自分は預言者としてここまで立てられて来たけれども、どこかで預言を間違えたのではないだろうか?という話や、
もう様々な疑問がサムエルの中には残っていたんですね。

サムエルはあの場で大胆に、「神はあなたに失望された」「あなたを王に任じたことを悔いておられる」「あなたはもう王としてお終いだ」「私はあなたと一緒に今ここで礼拝をすることはできないんだ」と口では言いますけれども、
そのサウルを王に立てたのはサムエルですよね。
そう考えますと、自分のして来たこと、またあのアマレクとの戦いの後のサウルの姿、そんなものが何回も頭の中を巡って、彼は悲しみに暮れていた、というのが現状でありましょう。

で、彼の心の中にあったのは、悲しみだけではない。
「なんでこうなったのだろうか?」ということが根本的な問題であります。
「主よ、お語りください。しもべは聞いています」と言うのが、小さい頃からのサムエルの態度でありました(***Tサムエル3:10)。
しかしサウルの失態のゆえに、自分の指導責任を前に、悲しみに塞ぎ込んでいました。

もしかしたら民の中から批判があったのかも知れません。
「あなたが預言者ではないですか」
「あなたがサウルの面倒を看るはずではありませんか」
「サウルに油を注いだあなたが、もっとサウルを王として育てていたなら、彼はあのような人物にはならなかったのではないでしょうか」
と言われた途端、責任はサウルではなく、サムエルの方にかかってしまうわけですよね。

でも神さまは仰いました。
「いつまであなたはサウルのことで悲しんでいるのか」
「さあ、もう終わったんだ」ということですよね。
「わたしは既に、次の王になるべき人物を見出して来た」と。
神さまはサムエルに言うんです。
「次に行け」と。「わたしは次を備えているから」と。
サムエルが塞ぎ込んでいるのは、明日が見えないから。
過去は十分に見えているんですが、明日は見えない。
だけど神さは、「次に行け」と仰る。「なぜなら、わたしは次を用意してあるからだ」。

私たちはサムエルと同じように、何度も現状の嘆きの中で、その中に閉じこもってしまう性格を持っています。
《神の霊はあなたの人生を突き抜けて行く》という時に、神はその殻を突き抜けて仰った。
「次に行け。わたしはもう既に備えてある」と。

先程、今日の午後に会堂建設の委員会がある、という話をいたしました。
とりあえず、計画案はなるべく早いうちに備えておかなければいけないわけですよね。
そうして私たちは神さまを待つわけです。
耐震構造を考えたら、このままでいいはずがない。
でも私たちは、そのプロジェクトのあまりにも大きな大きな労苦のゆえに、いつまでもある所に留まって、できたらこの世界が一生このままであれば良しと。
会堂もずっとこのままであれば良しと――あるかも知れませんよ。
でも(震度)6強の地震が来たら、多分ないだろうなっていうのが、皆さんの自覚でもあるわけですよね。

そういう中で、いつまでもここに留まるということはふさわしくない。
神さまは「前に進め」と「わたしはあなたを遣わす。次なる王は決めてある」という風に、
《神さまは必要に答えてくださるお方》だということが、第一番目のポイントです。

2)主は心によって見る

7節、ちょっと一緒に見ていただきますね。これは映しますね。
これは難しいんですよ。これは本当に難しいですね。
【画面:Tサムエル16章7節「人が見るようには見ない〜【主】は心を見る」に山吹色のハイライト】
<Tサムエル16:7>
7【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」

つまりエッサイには七人の息子がいて、七人の息子全部をサムエルは検証し、これに違いない、これに違いないと七回やって、そしてそうではなかった。
で、神さまがダビデに駒を進めようとした時に仰った言葉は、
「人間が見るようにわたしは見ていない」と。
「人間はうわべを見るが、【主】は心を見る」と。
私(藤本牧師)はね、この聖句を今に至るまで
「人はうわべを見るけれども、神さまは心の中を見ている。
だからダビデの心は優れている」と。
「どれだけ背が高いか、どれだけ立派な体格をしているか、どういう業績を持っているか、人はそういうことに拘る。
だけれども、神さまは心を見て王を決める」
という風に、私(藤本牧師)は読んで来ました。

そしてこの一週間、色々調べてみたんですけれども、どうやらそういう訳にはいかないですよね。
それはなぜかと言いますとね、ちょっとこれ見ていただきますと、
【画面:Tサムエル16章7節「人は見るようには〜【主】は心を見る」に山吹色のハイライト】
<Tサムエル16:7>
7【主】はサムエルに言われた。「彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、【主】は心を見る。」

(※聖句を指で押さえて)「人はうわべを見るが」でしょう。
これ、そのまんま訳しますと、「人は目によって見るが、【主】は心によって見る」って書いてあるんですよ。
「目によって見るが、【主】は心によって見る」というのは、「心を見る」とはちょっと違うんですよ。
「人は目によって見る」と言う時は、人の見方、判断の仕方のことを言っていて、
何も私たちが人を判断するときに外見だけではないです。
その人物の性格のことも考えますし、その人物の能力のことも考えますし、或いはその人物がどちらかと言うと、自己中心な人間なのか、それともみんなに仕える愛ある人間なのか――私たち人間は、そういう所も見ますよね。
だからうわべだけ見て、王を判断しているのがサムエルでない、ってことは明らかなんですよ。

でもあくまでサムエルは、「サムエルの目によって」見ている。
でも「神は心によって見る」というその心は、ダビデの心ではない、というのが一般的な注解書の考え方でありました。
サムエルの心によって見ているわけではない。
神は「神の心によって見る」というのは、「わたしのみこころのままに、わたしは選ぶ」ということですよね。
それはもう聖書の特有の表現であって、
「人の意見によって、わたしは選んでいるわけではない。
わたしは既に次の王である人物を決めている。
わたしの心は、その人物を既に選んでいる」
という意味ですかね。

箴言の19章の21節をちょっと見ていただきたいと思います。
真ん中の詩篇の次が箴言なんですが、19章の21節にこうありますでしょう。
【画面:箴言19章21節全文に山吹色のハイライト】
<箴言19:21>
21人の心には多くの思いがある。
  しかし、【主】の計画こそが実現する。

人の心の中には、多くの悩みも失敗も悔いも悲しみも、沢山のものがうごめいている。
しかし主の計画が、あなたの人生を貫いていくという意味ですね。
これは莫大な真理ですね。「主の計画があなたの人生を貫いていく」という。

もうすぐ7月になりますと、(N)T君はニューヨークのコロンビア大学に留学をされます。財務省から派遣されて。
昨日、ハーバード大学の卒業式をテレビでやってましたね。
で、パレスチナのガザ地区の空爆その他に反対して、卒業資格を取り消された学生が100人程いましたよ。
卒業式を立ち上がって退室した学生というのは何百人もいましたでしょう。
今年の卒業式というのは、あのハーバード大学でさえ、ものすごく辛かったんだろうなぁと思います。
で、同じことはもしかしたら、私はニューヨークのコロンビア大学ではもっと大きかったかも知れない(と思う)。

T君は京大出身でバリにも留学し、そして財務省官僚ですから、色んな意味で期待され、優秀な大学殆ど声をかけてもらっているんですが、彼はニューヨークのコロンビア大学を選びました。
二年留学いたします。そういう中で、円高、為替レートが変わる、国際情勢は変わる、日本も変わる、自分の人生も変わる。
もしかしたら帰って来たら、何が待っているんだろうか?とか、自分は何をすればいいんだろうか?
もう人の心の中には、自分の人生の計画が沢山詰まっている。
だけど最終的に貫いて行くのは、神のみこころしかないという。

サムエルはこのエッサイの子どもたちの人生を見て、
一体この子たちはどういう風にして育って来たんだろう、
どういう資質を持っているんだろう、どういう将来の可能性があるんだろうと、
色んなことを考えますよね。
だけど、なるのは《神のみこころ》しかないと。《神のご計画》しかない。
わたしの心以外になるものはならない。
そういう風にしてダビデは選ばれて行くんですよ。

そう考えると、《そういう風にして皆さんは選ばれた》ということがものすごく尊いです。
パウロがコリントの手紙で言ってますよね。
(***Tコリント1:26~29、4/28説教で引用されていました。T・Y)
「皆さんの中で知恵ある者はいるのか?」と。
「皆さんの中で実績のある有名人はいるのか」と。
「わたしはむしろそのようなものを何も持っていない者を選んだ」
「わたしのみこころのみがなって行くために、わたしは皆さんをそのような思いで選んだ」と。パウロは記していますよね。

だれを次の王にするのかということで、私はサムエルは「行け」と言われましたけれども、すごく考えたんだろうと思います。
少なくともサウルのような同じ失敗を繰り返してほしくないという思いはありますし、
ですから実績のある人物を、彼は探したに違いないと思います。
エッサイの子どもの一番下の末っ子の、まだ少年ごときの人物に、十代の人物に神さまが白羽の矢を立てるとは、彼は想像もしていませんでした。
しかし主は心によって見る。みこころによって、ダビデを選ぶんですね。

3)私たちの人生を貫いていく神の霊を感じるために、皆さんの人生を貫いていく神の霊を感じるために、皆さんだったら何をなさるんですかね?

聖書を読む、或いは祈る、色々ありますでしょう?
ちょっとこの聖書の個所を見ていただきたいと思うんです。
14節から、いいですか?
【画面:Tサムエル16章14節「【主】の霊〜おびえさせた」、16節「上手に竪琴を弾く者を」に山吹色のハイライト】
<Tサムエル16:14〜16>
   14 さて、【主】の霊はサウルを離れ去り、【主】からの、わざわいの霊が彼をおびえさせた。

***ま、退けられていますからね、早くやめなきゃいけないような人物ですね。

15 サウルの家来たちは彼に言った。「ご覧ください。わざわいをもたらす、神の霊が王をおびえさせています。
16 わが君。どうか御前におりますこの家来どもに命じて、上手に竪琴を弾く者を探させてください。わざわいをもたらす、神の霊が王に臨むとき、その者が竪琴を手にして弾くと、王は良くなられるでしょう。」

で、その竪琴の音を聞いていると、彼の心は落ち着くんですね。落ち着くんですよ。
この竪琴弾きが、二代目の王になる、まだ少年であったダビデでした。
ダビデは、不安の霊できりきり舞いしているサウルを、落ち着かせるために、竪琴を弾くために、王宮にやって来たという人物なんです。
わざわいをもたらす神の霊にやられ、ヒステリックに暴れ回るサウル。

ま、自分が招いた結果なんですけれども、神は彼から離れてしまったことのゆえに、と言った時に、
皆さんにとって、竪琴っていったい何なんですか?

私(藤本牧師)の知っている牧師先生で、女性の先生で一人で秋田の教会を牧会し、そして役員さんに嫌がられて、非常に辛くなった時に、
ある時、秋田の楽器屋さんの前を通ったら、綺麗なアイリッシュハープが置いてあった。
彼女はそれに魅せられて、その音を聴きながら、購入するんですね。
そして秋田の山の音楽教室に通って、竪琴のハープの――アイリッシュハープって少し小さめですよねー―それを弾く練習をするんです。

やがてその先生は長崎の方に転任になります。
そこでも持って行くんです。
長崎に行った時に、二年間無牧であった教会を引き継ぎますので、また非常に強いミッション・スクールの校長先生であった役員さんに、彼女はやられてしまう。
ある日、長崎の町に出た。そこでペットショップでメダカが飼われていた。
そのメダカに魅せられるんですよ。
そしてメダカを買って来て、    自分の家でメダカのための綺麗な水槽を作って、それを見て慰められる、というのは、皆さん、竪琴ですよ。

そういう竪琴を、皆さんは自分の人生で持って来られたのか?という、それを私(藤本牧師)は今日、問いかけてみようと思ったんです。

コロナ禍という厳しい中で、たとえば戸塚区に住んでおられるHさん、町田市に住んでおられるHさん、お二人ともお茶の先生で、途中で怪我して(戸塚の)Hさんは、ひざを骨折されるのかな、それでもお茶を続けていきたいという信念があるあまり、訓練をされて、お茶は彼女にとって、竪琴なんですね。

私たちは、自分の心をなだめるために、もっぱら聖書とお祈りと礼拝という、それでもいいと思います。
でも日常的に、何か自分の心を落ち着かせるもの、或いは落ち着かせる自分の趣味なり、所作なり、山に登るのも良し、

ダビデは竪琴を持っていたということは、彼は自分で弾いたんでしょうね。
そして辛いことがあれば、その竪琴で弾きながら――彼は詩篇沢山書いてますので――詩を書いたわけですよ。

すると、今日のオリーブのように、或いは星野さんのように、辛いことの中で詩を書き、曲を付けて、歌を歌い、それを聞かせることによって、今度は同じように辛い中を通っている人たちの心を慰めることができる。

ま、ぜひ趣味の豊かなクリスチャンになってください。
誰しもが音楽ができるわけではないです。
でもメダカを飼うだけでも、私たちは癒やされるとしたら、
自分の人生の中に、竪琴を弾いてくれる人、自分が弾ける竪琴というものを、いくつか持っていないと、
神の霊はあなたの人生を貫いて行くことができない。
貫こう、貫こうとしているのに、いつの間にか、悲しみのるつぼの中に入って出て来ない、ということもあるんだということは覚えておいてください。

☆お祈りをいたします――藤本牧師

愛するイエスさま、サムエルの中にも一体誰に油を注ごうかと、ものすごい勢いで彼の頭は巡って行ったに違いありません。でも最終的には、神のみこころしかならない、ということをサムエルはこの場で学んだに違いありません。

自分が予想もしなかった展開で次の王が決まって行ったという、神さま、このようなことを私たちの人生にも、何度かあなたは起こしてくださいました。私たちが考えあぐねた案ではなく、あなたの計画のみがなった、という場面が私たちの人生の中にもあります。

どうか私たちに竪琴を与えてください。私たちの傍に竪琴を弾いてくれる人を備えてください。そして慰めと平安を持つことができるように、あなたが貫いてくださる真っ直ぐなご計画に、人生を添わせて行くことができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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DATE: 2024.05.26 - 21:54
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