☆聖書箇所 マタイ1:18〜25
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。 19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。 20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。 21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」 22このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。 23「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。) 24ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 25そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
☆説教 ヨセフは迎え入れた
マタイの福音書から、今日はヨセフの信仰を見ていただくことにしました。 アドベントの期間に、私は(今日で)3回メッセージをしています。
一番最初がザカリヤという祭司でありました。 ザカリヤとエリサベツという祭司は高齢でありますが、若い頃には子どもが与えられることを切に望んでいました。 そこに天使ガブリエルが現れて、生まれる子どもは、バプテスマのヨハネとなります。 イエスさまの前を行き、人々を悔い改めに導くためにいのちをささげる人物となります。
そんな大事な使命を担う子どもの親として選ばれたザカリヤは、ごくごく普通の祭司でありました。 高齢出産の危険を担ったのは、ごくごく普通の女性エリサベツでありました。
これから始まろうとしているクリスマスの大きな出来事を、神さまは普通の信仰者を選んで、担うように仰いました。 ザカリヤは、一瞬戸惑い、戸惑いの故に、彼はことばをしゃべれなくなります。 ザカリヤはいきなり降りかかった神さまの出来事を、時間をかけて受け止めたに違いありません。 しばらくして、言葉が戻ってきた時に、彼は改めて神さまの恵みを味わう余裕ができ、そして神さまが示してくださった方向と沿うように、向かうようにと、人生を受け止めていきます。
前回のアドベントの第三週では、マリヤの信仰から学びました。 天使の挨拶は「おめでとう、マリヤ」で始まりますが、聞かされた内容は決して、マリヤにとってはありがたい内容ではありませんでした。 いいなずけで、しばらくしたらヨセフという男性と結婚しようとしているマリヤが、まだヨセフを知らないのに、聖霊によって男の子を宿したというのです。
まだ男性を知らないマリヤが男の子を産む、ということは物理的に不可能です。 マリヤは、「どうしてそのようなことがあり得ましょう」と言いますが、天使は実に単純に答えてしまいます。「神にとって不可能なことは何一つない」と。
しかし、問題はそういうことではありませんでした。 普通の人にとっては、それはスキャンダルになることであり、マリヤは自分のお腹が目立ってくるようになりますと、遠い山里に住んでいるエリサベツのところに身を隠します。 マリヤは、このとんでもない出来事をどのように受け止めたんだろうか?
彼女は、自分を「主のはしため」と呼びます。 はしためというのは、神さまに仕えるしもべのことです。 自分の人生に降ってわいた大きな出来事です。 でも、その大変な出来事を担うことで、神さまのお役に立てるのなら、とマリヤは喜んでそれを受け止めます。
そして、マリヤは「私は主をあがめる、神を大きくする」と賛美します。 つまり、自分は小さくなる、自分の喜びは少なくなるかも知れない、自分の計画はひっくり返るかもしれない、でも、それによって神さまが大きくなり、そのみわざが実現するなら、喜んで自分の身をささげようと――それがマリヤの信仰でありました。
そして、今日はヨセフです。3つの点で見ていただきたいと思います。
1)またしても普通の人に突然ふりかかる、神さまの不思議なみわざ
マタイの1章の18節を見てください。このように始まります。
18イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
たった3行ほどの間に、こともなげに書かれていますが、とてつもなく重要なことです。 ヨセフは婚約者であって、自分以外の何者かによって(マリヤが)妊娠したんだという事実をヨセフがつきつけられたということです。 自分は身に覚えがないのに最愛の婚約者が妊娠してしまう。 男性にとってこれほど残酷な出来事はなかったと思います。
このような状況の中で、ヨセフは一つの決心をします。19節です。
19夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
ここに正しいとありますが、それは彼のやさしさを伝えています。 自分の名誉を守るためではなく、マリアが裁かれることがないように、マリヤをそっと自分のもとから去らせる、婚約を解消するということを決めます。
この結論に達するまで、ヨセフは一人でこの問題を悩み、抱え込んでいたに違いありません。 決断しても、ヨセフの心は穏やかではありませんでした。 なぜ、どうして、こんなことになってしまったんだろう? マリヤは、「聖霊によって」と言っているけれども、そんなことがあるだろうか? 単なる言い訳に過ぎないのではないだろうか? 出て来るのは、普通の人に降りかかったら、突然の一大事です。
私たちは今年一年、自分の人生を振り返って、普通の人に降りかかった突然の一大事というものをいくつも持っているはずです。 ものすごく大きくて、今に至るまで引きずっているものもあれば、もう忘れてしまった出来事もあるに違いありません。 クリスマスの出来事を見ると、突然の出来事が普通の人に降りかかってくる。 しかも神のご計画の中で降りかかってくるということがよくわかります。
2)神の語りかけ
2番目にその場における神の語りかけを見てください。20節にこのように記してあります。
20彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。
かわいそうに、夢に見る程に深く悩んでいたのでありましょう。 でも、その悩み苦しみの中で、神さまは語りかけてくださいました。 「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」 恐れないで迎えなさいと、それは聖霊による、神さまの働きによる、神さまのご計画によると迫られました。
まさにそれは、私たちに対する声ですね。 振り返って考えてみると、なぜあんな出来事が普通の人である自分の身に降りかかったんだろうかと、私たちが思う時に、神さまは仰るでしょう。 恐れないで、その出来事を迎えなさい。その試練を受け入れなさい。 ヨセフの心の中はぐるぐる回ったに違いありません。 いったいなぜですか? マリヤを妻として迎えて大丈夫ですか? 自分が父親ではないとしたら、果たして自分はその子どもを普通に育てることができるのだろうか? 天使は言います。 「恐れることはない。神さまは、その出来事を知っておられる。その出来事は神さまから来た。あなたがこの出来事を担うことができるように、神さまはあなたを支えてくださる」。
皆さんのご自宅に郵便物ってどれくらい届きます? 教会には様々な郵便物が届きます。いろいろな封筒、ダイレクトメールも入ってあれば、時にいろんな宅急便の荷物が届きますね。 皆さんそれが皆さんのお家に届いたときに、それを見た時に皆さんどういう風にします? いきなり開けます? 私(藤本牧師)は、自分の習慣を振り返ってみたときに、私は荷物をいきなり開けるということはないですね。 必ず差出人を見ます。いったいどこからその荷物が来ているのかを確認します。 そして、開けずに捨ててしまう場合もあります(笑)。あ、この差出人だったらいいかと思って、そのまんま捨ててしまいます。 まず、差出人を見ますでしょう?
仮に、明日のこともわからない私たちのところに、明日という一つの荷物が毎朝、毎朝届けられるとしたならば、その荷物を紐解くことの恐ろしさは、どれほどであるかと思います。 天使は言います。 「差出人を見てごらん。よ〜く見てごらん。中身を空ける前に、じっくりと信仰の目をもって見てごらんなさい。 人生のすべての荷物、その差出人は神さまになっているでしょう。 神さまは、あなたが箱を開ける前に、その箱の中身が何であるのかを知っておられる。 どんな荷物か、あなたが荷をほどく前に、神さまはすでに知っておられるのだよ」と。
ヨセフはそういうメッセージを聞いたんです。 何の確証もない中でありますけれども、ヨセフはそういうメッセージを聞いた。 私(藤本牧師)以前に申し上げたことがありますよね。マリヤとヨセフを比べると、信仰という点ではマリヤの方が幾分楽ではなかったかと。 マリヤにとっては全く身に覚えのないことですから。しかしやがて自分につわりが来て、赤ちゃんが運動しお腹の中で動き始めると、まさしく聖霊によって自分には子どもができたと彼女は納得せざるを得ない。 でもヨセフの心は違います。 ヨセフの心はいけばいくほど、疑わしく感じてしまう。 でも3番めに――
3)ヨセフは迎え入れました
不思議にも、不思議にもヨセフは、その出来事を受け入れました。 24、25節を見てください。私が24節を読みますので、皆さんの方で25節を読んでください。
24ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、 25そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。
「迎え入れなさい」ということばに対して、ヨセフは「迎え入れた」。 一番最初にヨセフが考えたことは「去らせる」(19節)です。 最終的に「去らせる」代わりに、20節の「迎えなさい」、そして24節の「迎え入れた」。
迎え入れるとは、ある意味、大変なことです。 マリヤを妻として迎え入れた彼は、これから生まれる子どもを迎え入れます。 同時に父親となって、幼子を育てていく責任を迎え入れます。
後に彼は、幼子イエスを守るために、エジプトにまで逃げていかなければなりません。 しかし、それは大変なことを迎え入れたのではない。 それは不思議な祝福を迎え入れたのですね。 そのときヨセフにはまだ実感はなかったに違いない。 しかし、現実に神さまのご計画を迎え入れ、救い主を迎え入れ、それによって自分の人生が大きく変わっていくという神さまの祝福を迎え入れたのです。 今日、洗礼を受けたお二人は、そして以前に洗礼を受けた私たちは、イエス・キリストを迎え入れたのですね。
黙示録3:20 見よ。わたしは戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
自分というこの住みかの中に、イエス・キリストを迎え入れたのです。 このイエスさまの言葉は、イエスさまが、私たちに向かって、「迎え入れよ」と仰っていることを意味しています。 「心を開いてわたしを迎え入れよ」と。
ヨセフがそうであったように――彼は祭司でも何でもない。 聖書によれば彼は大工の仕事をしていた堅実な男であった。 聖書を見ると、なぜ神さまはヨセフを選んだのか、ザカリヤを選んだのか、マリヤを選んだのか、一言も書いてない。 でも神さまは、ヨセフに目を留め、柴田姉に目を留め、田中勇伍兄に目を留め、そしてそのお二人は、神さまに目を留めていただいたという事実を、そのまま去らせることはしなかった。
「あなたが迎え入れようとしているキリストの福音は、これからあなたの人生を変えていく。これからあなたの価値観を決めていく。 そして、神の子どもとされる特権は、あなたを神の子どもらしく、愛と平安のうちに生まれ変わらせていく」という、その(約束に対する)期待とともに、今日洗礼にあずかる事ができたんだろうと思います。
私たちもまた、神さまの目に留まったという事実を去らせなかった者たちです。 そして幾度も、不思議な程、天の使いから語りかけをいただけました。 「去らせないで、迎え入れなさい。 あなたの人生に降りかかるその課題、その試練、その嫌な出来事、その悲しみ、それを去らせないで迎え入れなさい。 なぜなら、わたしはあなたの人生をつぶさに見ている。つぶさに知っている。 そしてあなたを徹底的に支える。 いつまで経っても、自分の失敗、自分の身に降りかかった様々なマイナスな出来事に拘泥して、ああだったこうだった言わずに、それを素直に受け入れてごらん。 あなたは明日に向かって、大胆な一歩を進み出すことができる。」
ザカリヤにとってもマリヤにとっても、そしてヨセフにとっても、クリスマスの出来事は実は試練でした。 しかし、不思議にも彼らは受け入れ、心を開いて、神さまのご計画に自分の人生を沿わせることが出来た。 そうして、初めは驚きと恐れに包まれていた試練は、やがて祝福に変えられていきます。 普通の私たちが、神さまの祝福の中に取り込まれるということは、まさに主から与えられた神さまの試練をどのようにして受け入れていくかに、すべてがかかっていると言っても過言ではないと思います。
「恐れるな、わたしがあなたの神だから。わたしの義の右の手があなたをしっかりと握っている」(イザヤ41:10)という、このみことばを握って、私たちは新しい年へと踏み出していきたいと思います。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、現実に訳の分からない封筒や郵便物が次から次へと私たちの日常に届くように、明日をも解らない私たちの所に毎日新しいパッケージが届きます。天の使いは言います。「よくその差出人を見てごらん。その厳しい試練の中にも、パッケージの中身が何であるかを知っておられる神さまが、あなたを守り、あなたを支え、あなたを強め、あなたを慰め、大胆にそのパッケージを担う力をあなたにくださる」というこの約束を心から感謝いたします。
ヨセフは何が何だかわからなかったに違いありません。しかし彼は実に不思議にもこの約束を受け取ることができました。神さま、どうか私たちにもその力を与えてください。その素直さを与えて、「すべてのものはあなたから来る。同時に、すべてのことをあなたはご覧になっている。同時に、あなたはすべての事の中にあって、神の子どもである私たちをことさら尊んでくださる」――そのことに深〜い信頼を傾けるクリスマスとさせてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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