☆聖書箇所 イザヤ38:1〜5
1そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」 2そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、【主】に祈って、 3言った。「ああ、【主】よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。 4そのとき、イザヤに次のような【主】のことばがあった。 5「行って、ヒゼキヤに告げよ。 あなたの父ダビデの神、【主】は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。
☆説教 恵みの一日を加えられる
今朝はイザヤ書の38章、ヒゼキヤという王さまの物語に目を留めていただきたいと思います。
1そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。そこへ、アモツの子、預言者イザヤが来て、彼に言った。「【主】はこう仰せられます。『あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない。』」(ちょっと難しいと、藤本牧師) 2そこでヒゼキヤは顔を壁に向けて、【主】に祈って、 3言った。「ああ、【主】よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行ってきたことを。」こうして、ヒゼキヤは大声で泣いた。 4そのとき、イザヤに次のような【主】のことばがあった。 5「行って、ヒゼキヤに告げよ。 あなたの父ダビデの神、【主】は、こう仰せられます。『わたしはあなたの祈りを聞いた。あなたの涙も見た。見よ。わたしはあなたの寿命にもう十五年を加えよう。
この「加えよう」というみことばから、今朝は話をいたします。
私たちの教会は、赤ちゃんが多いので有名です。昨年6名、今年4名、あの〜なんて言うんですか、”赤ちゃんが産まれるマリヤさまの教会”みたいな名前を変えたら、沢山人が来るんじゃないか(大笑)というぐらいに、私たちの教会は出産に恵まれます。 でもやっぱり教会の恵みは、私(藤本牧師)はお年寄りにあると思います。
それはお年寄りが沢山おられる教会というのは、歴史の長い教会です。 新設の教会に行って、お年寄りが沢山いるということはないのです。 会堂ができて、教会ができて三十年、五十年すると、当時から忠実に信仰を守っておられた方々がずっと教会に集っているから、教会にお年寄りが沢山いらっしゃるのですね。 それは赤ちゃんや子どもたちが多い教会と同じ(神さまの祝福)です。
神さまは長寿をこの教会に与えてくださり、長生きで元気な人々をこの教会に与えてくださったというのは、祝福のしるしですね。 子どもが多く、赤ちゃんが多く、結婚式が多い、それもまた祝福でしょう。 しかし、それ以上に長生きは祝福です。
聖書の中に、私たちがよく引用する有名な尊い教えがあります。 レビ記の19章(32節)に――
32あなたは白髪の老人の前では起立し、老人を敬い、またあなたの神を恐れなければならない。わたしは【主】である。
「老人の前であなたは起立しなさい」というのは、老人を敬いなさい。敬うことによって、神を恐れるようにしなさい。
日本は平均寿命、女性は世界一番、男性は世界五番ですね。 そういう日本と、そして当時のユダヤの世界というのは、ある意味似ていることがあるかもしれません。 それは、ことさら神さまから「老人を敬うように」教えられている。 子どもを大事にするようにと教えなくても人は子どもを大事にするんですよ。特別に親は。 しかし「老人を敬うように」というのは、神の教えである。
当時のユダヤの村は、恐らくこういう光景だろうと思いますけれども、単純に牧畜で一日の生活、農耕社会で一日の生活。 男性は野に行きます。女性は粉を引いてパンを焼き、料理をする。食事は一日二度ですね。 夕食の後に、「ソード」という集まりがあって、共同体の広場に集まって、その日の出来事や昔話を語り合います。 そこで、聖書の話も語られるわけですね。 人生の経験を積んだ老人は、長老として昔話や、そして聖書の話を聞かせてくださいます。 時には若い人たちがその集まりの真ん中で、笑い戯れる集いの外に、静かにポツンと老人が座っていたということもあったに違いありません。
ともかく高齢者のいない教会はいない。その高齢者の前であなたは起立しなさいと(言われています)。 老人を敬い、神を恐れよ――これは積極的に捉えるといいですね。 それはもちろん、電車やバスの中で、自分が座っていて、自分の前にご高齢の方が来たら、起立する。 あるいは自分が席を譲ってもらったら、「いやいや次の駅ですから大丈夫です」なんて言わなくて、「次の駅でいいから座れ!」(大笑)と言いたいぐらいですね。 せっかく勇気を奮い起こして言っているのに、「次の駅ですから結構です」って言われると、なんだ断られたのかと思っちゃいますよね。
これね、いたわられていると思うと断っちゃうんですよ。 いたわられているんじゃなくて、尊敬されていると言えば、やっぱり受けなければいけない。 教会から贈られるお菓子が、いたわりのお菓子だと思うと、そんなものは要らないって、皆さん言うんですよ――違う、違う。 尊敬のしるしですよ。ぜひ素直に受け取っていただきたいという風に思います(笑)。
なぜご高齢の方々は尊敬を受けるようになったのか? 一言で言いますと、長く生きたからですね。神さまによって、長く生かされたからです。 そこには、ものすごく豊かな表現ですね。
私(藤本牧師)はあるとき、ご高齢の単身の先生の隣りに座った時、思わず、 「先生の牧会生涯の中で、一番心に残るみことばは何ですか?」と尋ねたことがあります。すると、その先生が仰るには――
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Tコリント10:13)
どういうことなのか? それは、長生きすれば、試練の数も多くなるという意味ですよね。 その試練の中で、耐える力と脱出の道を神さまが備えてくださる、その神さまの真実を味わうことができたのは、自分が長生きしたからだ、ということです。
こんな試練に会うぐらいだったら、長生きしない方がよかった――いやいや、そんなことはない。 その試練に耐える力と脱出の道を神さまが備えてくださった時に、神さまが真実なお方であるということが改めてわかる。
そして私たちはこのみことばをもって、思い出すのです――「人の知らないような試練はない」 もちろんそう言われても、厳しい試練もあり、果たして自分に耐えられるんだろうか、そういう思いもあります。 でもそこを耐えて来た方々を、私たちは尊敬しなければいけないというのが聖書の教えです。 そういう試練の中にあって、神さまの真実の中を生かされて来たということは尊敬をしなければいけない。
さて、聖書には「加える」という表現がありますね。 「加えられる」――それは与えるという表現でもあれば、今あるものに、新たに加える。載せるから加えるという言葉を使うわけです。
で、今日は二つ聖書の箇所を見ていただきたいのですが、第一番目が最初に見ましたヒゼキヤです。
1)ヒゼキヤ――加えられる恵み(生かされていることの感謝)
ヒゼキヤという王さまがある日、病気に倒れた。 病気に倒れた時に、彼はイザヤという預言者に「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない」(イザヤ38:1)という宣告を突き付けられたんです。
改めて思いますね――病気になる前に「家を整理せよ」と言われるのは大切ですね。 整理するのは物だけではないです。 皆さん、遺言があるんだったら、その遺言を家族のわかるところに置いておかないと、二十年、三十年先に遺言が出て来ても意味がないです(笑)。 亡くなったら、なるべく早いうちに遺言が出て来ますように、ね。
私たちの教会には長岡兄という税理士がいます。 長岡兄が相続財産を分けてくださって、あとは税金で持っていかれるんですよ。 で、皆さんが税金に持っていかれる分、遺留分として教会に捧げますと言ったら、それは免税対象になるんですよ(大笑)。わかります? それはね、あまり貯金のない方には関係がない。 でもね、ま、国を大事にしなければいけませんが、50万円税金で持っていかれたら、50万円教会に捧げた方が神さまは喜ばれますよ(大笑)。 そしたら、全部「家を整理する」ということの中に含めておくといいです。 家を整理せよ。病気になる前に、病気になったら、家を整理せよ。
彼(ヒゼキヤ王)は、神さまに懇願しました。泣いて祈りました。 「主よ。どうか私をもう少し生かしてください」 その時、神さまは彼に言われたんです。 「私はあなたの涙を見た。あなたの祈りを聞いた。あなたの寿命にもう十五年を加えよう」(イザヤ38:2〜5)
私(藤本牧師)の母(藤本幸子師)は60歳の時の12月31日に、くも膜下出血で倒れました。 そして元旦の1月1日、聖マリアンヌ(病院)で大きな手術をしました。 13時間の手術です。 母は年末ですから、鍋の底を磨いていてそのまんま倒れた。 私たち家族四人は買い物に行っていまして、丁度そこの角のあたりで、救急車が去って行くのが見えたんですね。 私はてっきり前の岡本さんのおばさんが心臓が悪かったので、「かわいそうにね、岡本さんのおばさん。こんな日に救急車で運ばれて」(と言っていたのです。笑)。 それで家に帰ったら、「おばあちゃん、倒れる」という父(藤本栄造牧師)の貼り紙がしてあったんですね。 それ以来、わが家では大みそかには掃除はしない(大笑)。 大みそかに頑張って掃除をすると――牧師はクリスマスからず〜っと忙しく、元旦礼拝の準備があって――その間に掃除をすると、倒れる(大笑)。
母はあの時60でした。今は84(歳)ですよ。 私(藤本牧師)はいつも思うのですね。人間っていうのは、必ず人生の曲がり角で、どこかで、何回か曲がる。 よく言いますよね――40が厄年だと言ったら、40歳で一回曲がり角が来る。 曲がり角は一回ではない。普通は2〜3回来る。 それを上手に曲がれば、神さまは私たちにもう10歳、15歳加えてくださいますが、そこであなたには糖尿病がありますよ、あなたは高血圧ですよと、言われておきながら放っておくと、そこから急激に下って行きますよね。 そして10年15年、加えられるという恵みはないです。
つまりね、生きているというのは、生かされているという日々の感謝があって初めて、自分は自分の一日を大切にしよう、自分の身体をきちっと整えようという思いに変わって行きます。 ただ漫然と自分は生きていると言いますと、70歳80歳になって、「なんでこんなに長生きしてしまったんだろう」(という人もいますが)――いや、そうじゃないです。 一日一日感謝して生きているうちに、神さまはこの寿命を私に加えてくださったと、今ある寿命に、一日一日を加えてくださったと(いうことです)。
ちょっと19節を見てください。 私(藤本牧師)が19節を読みますので、皆さんの方で20節を読んでください。 イザヤ書38章です。
19 生きている者、ただ生きている者だけが 今日の私のように、 あなたをほめたたえるのです。 父は子らにあなたのまことについて知らせます。 20 【主】は、私を救ってくださる。 私たちの生きている日々の間、 【主】の宮で琴をかなでよう。
ヒゼキヤはもう十五年加えていただいて考えたんですね――私の生きている日々の間、主の宮で琴をかなでよう、と。 曲がり角を曲がって、もう五年、十年加えられた時点から、彼の人生観は変わって行きます。
いつか葬儀で紹介したことがありますが、「千個のおはじき」という話があります。 昔の話で、見知らぬ男が、アマチュア無線の通信を通じて、聞かせてもらった話なんですね。 相手は、自分の人生をこういう風に語り始めます。 かなり意味がありますから、よく聞いてください。 相手が――見たこともない、アマチュア無線の通信相手ですが――
「僕はある日、書斎に座って簡単な計算をやってみたんだ。 男の平均寿命を75歳とする。それを越えて生きる人もいれば、それに満たない人もいる。でも、それを基準に自分の人生を簡単に計算してみる。 僕は、一週間で土曜日が一番好きだよ。土曜は仕事も休みで、ゆっくり自分の好きなことができる。 一年に土曜日が52回あるとして、それが75年分なら、3900回の土曜日がある。それだけ楽しめるんだよ。」
男は続けますね。 ここからが大切なところですが――
「この数字の意味するところを理解するまで、55年の歳月を費やしてしまった。 その時点で、すでに2800回の土曜日を過ごしてしまった。残るは、あと約1000回。 そこで僕は、近くのおもちゃ屋さんに行って、おはじきを千個買ってきた。 それを大きなガラスの瓶に入れて、それからの人生、毎週土曜日が来ると、おはじきを一つ取り出して、捨てていった。 なあ、おはじきは着実に減っていくんだよ。 それをじーっと見つめながら人は生きていくんだ。」
それから、その男は少し間をおいて、アマチュア無線の相手に告白しました。
「それでねぇ、僕は昨年のある土曜日、最後のおはじきを瓶から出して捨てたんだ。 そのとき、初めてわかった――これから先は、神の恵みだ、と。 それから僕は、新しくおはじきを瓶の中に入れることにした。」
土曜日が来るたびに、75歳を超えて、新しいおはじきを一つずつ瓶の中に入れていくんですね。
私たちの人生というのは、基本的に瓶の中からおはじきを取り出す人生です。 どんどんいろんなものが減っていきますよ。体力が減る。記憶力が減る。やる気がなくなって行く。 どこかで、もしかしたら自分の人生は空っぽになってしまうんじゃないかと感じることもあります。 まして病院に入院して大きな手術をするとなると、ま、これで自分の人生は空っぽになるかもしれない――どうぞそういう体験をされるといいと思います。
でももしそこから神さまが加えてくださるのだとしたら、人生の日々を加えてくださるのだったら、そこから先は完全に神さまの恵みによるという自覚をもって、一日一日を過ごしていくことができたならば、私たちの人生観は変わるんです。
ほとんどの場合、私たちは治るとお医者さんも言いますよね。 「藤本さん、最初は良かったですけれど、最近の血液の数値を見ていると、のどもと過ぎれば何とかですね」 という風に、だんだんまた自分を大事にしない。もとのもくあみに戻って行くわけでしょう。 でもその曲がり角を曲がってその先は、完全に神さまの祝福だ。 私はあの時、あそこから、数日、数週間、数か月以内に、いのちを落としても何ら不思議はないという中、今元気で生かされているとしたならば、それはきちっとした神さまの恵みのおはじきが毎週毎週入れられているんだという意識があるかないかで、私たちの人生観は変わるんですよ。
失う物は多いですよ。年齢と共に愛する者を失い、淋しさが加えられるという場合もあるでしょうね。 でも希望と慰めの神を信じている私たちは、加えられた全てのものが(試練や苦しみ・悲しみも含めて)相働きて益となし、神は真実な方ですから、その試練に耐える力と、また脱出の方法も与えてくださるということを私たちは知るようになるんでしょう。
2番目の聖書の箇所はすごく短く終わりにしますが、創世記の25章です。
2)アブラハム――加えられた恵み(死の先にあるいのちの交わり)
25章の8節を一緒に読んでみたいと思います。
8アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。
ここに出てきますね――「加えられた」 実はこの表現は、ヤコブの死に際しても出て来ます。また、ヨセフの死に際しても出て来ます。同じ表現です。 「民に加えられた」(という独特な言い方です)。
これは召天者記念名簿に加えられたという、そういう(死者の名簿に加えられたという)意味ではない。 死の先にある、いのちの交わりの世界に加えられたという意味です。
そこには、かつての自分の友がいて、家族がいて、仲間がいて、先輩がいて、兄弟姉妹がいて、自分の子どもがいる場合もあるでしょう? その交わりの中に加えられたと、自分の人生の最後を閉じるんですよね。
つまり私たちは生きている日の限り、神さまは恵みのおはじきを与えてくださり、私たちに様々な経験、忍耐する力、時に信仰、希望というものを、神さまは私たちの上に加えてくださる。 でも最後、主が私をこの世界から取り上げられて行かれる時に、私を新たなメンバーとして、天の御国に加えられる。 私たちはイエスさまの天国の晩餐の席に加えられるというのは、私たちのために、場所が備えられているということですね。
パウロは「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」(***ピリピ1:21)とこう言いました。 「私にとって、生きることはキリスト」ということは、キリストが日々私を生かしてくださるということでありますし、 「死ぬことも益だ」ということは、死ぬこと=永遠の世界へ、神のとこしえの祝福の中に加えられる、というこの独特な死生観を、クリスチャンとして大切にしていきたいと思います。 (そのことを希望として生きているのが、私たち復活のキリストを信じる者たちです)。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、もし私たちの人生がただおはじきが減って行くのを見ているだけだとしたならば、もうどこかで考え方を変えさせてください。なぜなら、一日を加え与えてくださるのはあなたであり、私たちの寿命にもう一年加えてくださるのはあなたの御力によります。
加えられた一日の中に、様々な試練もあるに違いありません。試練の杯ばかりが増えているような気もいたしますが、でもその盃を飲むことができるという信仰の力は、大したものです。その力は必ず希望に変わると、あなたは仰いました。
どうか私たちに自分の一日を見つめ直す勇気をお与えください。決して惰性ではなく、みことばによって、自分自身のあり方を考え直すことができるように助けてください。
ご高齢の方々にあなたは多くの日を加えてくださいました。ベストの時に、あなたは天国の御住まいの中に加えてくださることを、心から信じています。周囲で一生懸命介護をしておられる方々を、助けてあげてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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