☆聖書箇所 使徒の働き3:1〜10
1ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 2すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。 3彼は、ペテロとヨハネが宮に入ろうとするのを見て、施しを求めた。 4ペテロは、ヨハネとともに、その男を見つめて、「私たちを見なさい」と言った。 5男は何かもらえると思って、ふたりに目を注いだ。 6すると、ペテロは、「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、歩きなさい」と言って、 7彼の右手を取って立たせた。するとたちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 8おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。そして歩いたり、はねたりしながら、神を賛美しつつ、ふたりといっしょに宮に入って行った。 9人々はみな、彼が歩きながら、神を賛美しているのを見た。 10そして、これが、施しを求めるために宮の「美しの門」にすわっていた男だとわかると、この人の身に起こったことに驚き、あきれた。
☆説教 私たちを見なさい
来週からもう一度「ペテロの手紙」に話を戻したいと思いますが、今日は「使徒の働き」のこの3章、有名な、ペテロとヨハネが、「美しの門」に座っている足の不自由な男を癒す出来事で、先週の献堂記念の聖日とつなげながら、少しお話をしてみたいと思います。 1節から――(読んでいかれる)
1ペテロとヨハネは午後三時の祈りの時間に宮に上って行った。 2すると、生まれつき足のなえた人が運ばれて来た。この男は、宮に入る人たちから施しを求めるために、毎日「美しの門」という名の宮の門に置いてもらっていた。
エルサレムの神殿にはいくつもの門があったとありました。今でもその痕跡はあります。 その一つの門に、「美しの門」という門で、当時の歴史家が伝えるには、神殿の東側に位置していた青銅の門と言われています。 高さ23メートル、扉だけでも18メートルですから6階建ての高さぐらいです。
ペテロとヨハネが礼拝のためにこの門に入ろうとしたときに、一人の男が施しを求めた。 彼は人からの施しを頼りに生きていた人物で、彼は生まれながらに足の不自由な人物でありました。 世界中どこででも、人の多く集まるところ、有名な場所には物乞いも多く集まります。 2節にありますように、来る日も来る日も彼は、人に運ばれてそこに置いてもらっていた。 他人が暇なときにお願いして運んでもらう。 そして人の同情だけを頼りに生きて来た人物でその辛さはどんなに長くそこにいたとしても、慣れてくるものではなかっただろうと思います。 彼が座っているのは緑に輝く「美しの門」の脇で、多くの人々がこの「美しの門」に感動し、多くの人がここに座る彼を疎ましく思っていたに違いないですね。
そしてペテロとヨハネを見て、施しを求めますと、なんとペテロは4節に「私たちを見なさい」とこう言います。 「私たちを見なさい」――こういう表現がイエスさまの弟子たちから出て来るのはここだけだろうと思います。ま、パウロがそれに類したことは言っていますけれども(***ピリピ3:17)。 「私たちを見なさい」――こういう表現を発することができるとしたら、イエスさまだけです。 相手をじ〜っと見つめ、そして自分に視線を向けさせるほどの人間というのは、この世界にはイエスさま以外にはいないですね。 で、ペテロはイエスさまのように振る舞います。7節を見ていただきますと――
7彼の右手を取って立たせた。すると、たちまち、彼の足とくるぶしが強くなり、 8おどり上がってまっすぐに立ち、歩き出した。……
と、イエスさまのようですね。 で、今日はこの記事から、3つのポイントで一緒に見ていただきたいと思います。
1)「私たちを見なさい」というこの自信に溢れたものの言い方に、まず注目したいです。
ペテロもヨハネも「主イエスを仰ぎなさい」とは言いますけれども、「私たちを見なさい」とは滅多なことでは言いません。 「私たちを見なさい」と言ったこの二人は、いったいどんな二人だったんだろうと思います。 4章の13節をちょっと見ていただきますと、こう書いてありますね。回りの人たちはこの二人をこういう風に見ました。
4:13彼らはペテロとヨハネとの大胆さを見、(確かに大胆ですねと藤本牧師)またふたりが無学な、普通の人であるのを知って驚いた……
とこう書いてある。無学な普通の人であるというのは、見ただけで分かった、その語り口で分かったということでありましょう。 この二人はささやかな漁師上がりの弟子たちでありましたから、ペテロはギリシャ語は話せなかったと言われています。 足は自由に動きますけれども、それを除いたらここに座っている物乞いと大差のないただの人たちでありました。普通の人たち。 その彼が「私たちを見なさい」と胸を張って言うんですね。 ふたりは「金銀は私にはない」(6節)と言いますが、金銀だけではない。 学もなければ、立場もないし、経歴もなければ、見栄えもない。
人間が生み出した「美しの門」は確かに華やいでいました。そしてその脇に座っている物乞いは対照的にみじめです。 しかしある意味で、同じようにペテロとヨハネは、自分たちの小ささをよく知っていました。 彼らもまた暗い顔をして悩むこともあります。 ペテロとヨハネも疲れますし、失望しますし、惰性に流されますし、欠点だらけ、弱点を沢山抱えた、ただの人たちです。
ペテロはそれを他の箇所で、素直に認めています。 もう一度今度は10章の25と26節を見てください。 ここでコルネリオという異邦人のところに迎えられた時ですが――
10:25ペテロが着くと、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝んだ。 10:26するとペテロは彼を起こして、「お立ちなさい。私もひとりの人間です」と言った。
尊敬されて思わず、コルネリオからひれ伏して拝まれると、ペテロは 「いやいや、立ってください。私も一人の人間です。ただの人間です。拝まれるような権威も名誉も栄光もありません」
この3章の場面に戻っていただきますと、それどころではない、物乞いに与えるお金もないんですよ。少しぐらい物乞いに与えてもいいだろうと思いますが、 「金銀は私にはない」(3:6)――金銀だけではなくて、このペテロとヨハネには、ないものは実は沢山あるんですよ。 それにもかかわらず、「私たちを見なさい」とふたりは言う。ある意味での自信をもって、胸を張ってそう言っているということは、心に留めなければいけないです。
二番目に見ていただきたいのは、彼らがあるものを持っていた。それは――
2)「金銀は私にはない。しかし、私にあるものを上げよう。」(使徒3:6)
有名な言葉です。 「私にあるもの」というのは、紛れもなくイエス・キリストの恵みです。 罪赦されて、神の子どもとされて、神の愛に生かされて、神から力を受けて、キリストの愛を伝道している自分。キリストの愛によって守られているこの恵み。 それがゆえに、このふたりは「私たちを見なさい」と、こう言うんですね。 主の愛によって生かされている私たちを見てください。 神の救いに生かされている私たちを見てくださいと。 私たちの中に流れている神の力を見てくださいと、こう言える熱い思いを込めて、ペテロが私の持っているものと言ったのは、まさにそういうことです。 イエス・キリストの名によって与えられている素朴な恵みを見てください。
11節を見てください。この男が癒された後に、非常なうわさが持ち上がります。
11この人が、ペテロとヨハネにつきまとっている間に、非常に驚いた人々がみないっせいに、ソロモンの廊という回廊にいる彼らのところに、やって来た。
12節、ご一緒にちょっと読んでみましょう。
12ペテロはこれを見て、人々に向かってこう言った。「イスラエル人たち。なぜこのことに驚いているのですか。なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。
そうではないと言うんですね――自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたのではない。 さっきは、身体の不自由な物乞いに「私たちを見なさい」と言います。 でも一旦、人々の驚きが、その視線が集まって来た時に、ペテロは「私たちを見ないでください」とこう言うんですね。 見ないでくださいと。私たちが特別な力を持っているとか、特別に信仰深い者たちではない。単純に、起こった奇跡はキリストの力だと。私たちの信仰が大きかったわけではない。 ペテロは「私たちを見てください」と言って、次の瞬間、自分に注がれた視線をイエスさまに向けます。
マルチン・ルター(***1483〜1546ドイツ人・宗教改革創始者)という人は、「キリスト者の自由」という小さな小冊子の中で、こんな言葉を記しています。
「私たち一人ひとりは、冷たい、錆だらけの硬い鉄の棒に過ぎない人間です。どんなにこすっても、どんなに磨いても、ぼろ鉄が暖かい光など発することはありません。しかしその鉄の棒でも、イエスさまという灼熱の炎の中に投げ入れられるなら、見よ、鉄も真っ赤に燃えて炎となり、光を放つのです。」
私たち自身は、冷たい錆だらけの鉄の棒にしか過ぎない。それをどんなに磨いてもぼろ鉄はぼろ鉄のままだと。 でもそれが、キリストの恵み、灼熱の炎の中に投げ入れられるなら、見よ、そんな鉄でも真っ赤に燃えて、炎となり光を放つと。
私たちには、無いものとあるものの区別は明確にありますね。 そして金銀がないことにはこだわりません。 同じように、学歴や、社会の地位や、仕事や、家庭環境や、そんなことにも実は全くこだわりませんね。 ちょっとこだわらなさ過ぎると言いますかね。
先週のフェローシップで、そこに座っておられるY兄が、T医療センターの皮膚科のお医者さんだということを聞いて、えっ、お医者さんだったの?と(笑)。 私(藤本牧師)はもう、教会にいらっしゃる方の職業は、全然無頓着というか、聞かないようにしています、あえて。 それは一度失敗しました。 以前、教会に来ておられたO兄、教会にもう3年も来て振り返ってみたら、会話も何もないので、ある時、私はふとOさんを呼び止めて、「Oさん、どんな仕事をしていらっしゃるのですか?」って思わず聞いてしまったんですね。 そしたらOさんが、「あやしい仕事ではありません」(大笑)と、その一言で去って行かれましたからね(笑)。 「あやしい仕事ではありません」――あぁ、聞いちゃいけないんだ(笑)。そんなこと聞いちゃいけないんだ。
でもほんとに私たちの教会っていうのは、ほとんどそういうことに関心ないんですね――社会的地位とか、学歴とか、どうでもいい。 なぜなら、私たちは「美しの門」の脇に置かれている物乞いと同じですよ。 「あるもの、持っているもの」というのはある。それは絶対に手放さない。いつも明確にそれを握っているんです。 それがイエス・キリストの救いで、イエス・キリストの力とイエス・キリストの愛の中に自分を投ずることができれば、こんな錆だらけの冷たい鉄の棒でも、灼熱の炎によって赤く光ることができる、と私たちは信じて礼拝に来るんですね。
この聖句にまつわる有名な逸話で、中世の神学者トマス・アクイナスが、当時の教皇イノンケンチウス二世と交わした会話ですね。 トマスが教皇の部屋に入ると、教皇は山と積まれた金貨を数えていた。 「トマス、見てご覧。もう、金銀は私たちにはない、という時代は終わったよ」 すると、聖トマスは、 「教皇、確かにそうです。しかし、教会は、キリストの名によって歩きなさい、という力を失ってしまいました」 権威を持ち、金銀を持った時に――それは、持って悪いという問題ではない――でも当時の教会は地上の繁栄の中に埋もれて、何が無くてもしっかりと握っていなければならない神の恵みを手放して行ってしまった――という私たちの人生もあり得る。 私たちは、「私たちを見なさい」と胸を張って言えるように、キリストの恵みをしっかり握っていたい。 そして握っているときだけ、私たちはキリストのように輝くことができるんですね。
先週、森 清先生をお迎えして、私(藤本牧師)はとっても感動しました。 (***お話の内容は、聖日説教の方に掲載しています。T・Y) ある意味、献堂記念の聖日に、高津教会の歴史をほとんどご存じでない森先生をお迎えするのは、どうなのかなと一瞬私の心を過ぎりました。 でもお迎えして、神さまのお導きであったということを実感しました。
なぜなら、森先生はお医者さんだから輝いているのではないですね。 在宅の終末期医療に関わっておられるから、人のいのちや人の死や、あるいは午後のお証しにありましたように、認知症の問題や、もう学ぶこと、気づかされること、そんなお話は森先生の中から溢れています。 でも、一番私たちの心に響いたのは、森先生が輝いていたのは、そういう職業的な経験と知識の故ではないですね。 あの先生の内にある「キリストの救いに対するこだわり」、そして「教会に対する思い」。 もうほんとに「教会に対する思い」っていうのはすごいなぁと思います。
あれほど私たちの教会において、ま、牧師があまり言わないことを牧会的な配慮をもって、ありとあらゆる方面で仰った先生は、ま、本田 弘慈(***ほんだ こうじ・1912〜2002)先生以来かなぁと思うぐらい(笑)、珍しいぐらいの配慮ですね。 教会に沢山献金を置いて行かれました。 私たちが先生に差し上げた謝礼と同額の献金を(笑)置いて行かれたので、本当に申し訳ない思いでいっぱいでしたし、先生が持って来られた書籍を、皆さんが高く買ってくださいました。(***10冊分の献金だけでも)全部で……円だったかな? それで教会備え付けの讃美歌が最近足りないので、もう少しそれを備え付けさせていただこうと思っています。
先週、「小さないのちを守る会」の辻岡先生もいらっしゃいました。 何百人という、本来なら中絶されていく赤ちゃんを、先生は養子縁組みするために、日本を奔走されます。 森先生も辻岡先生に久しぶりに会われて、辻岡先生の若さに驚いておられました。 辻岡先生は、いつも赤ちゃんを抱っこしているから、元気をもらうんだ、と仰っておられましたけれども、 でも、先生の輝きというのは、そういう働きに就いておられるから輝いているのではないですね。 先生の内にあるものは、やはり神の愛、小さないのちを尊ぶキリストの愛にいつも触れているから、先生は輝いているわけでしょう?
高津教会の60数年の歴史を作って来たのは、特別な立場、教育、社会的なその存在感、賜物のある方々が高津教会の歴史を作って来たのではない。 み〜んな冷たい錆だらけの黒い鉄の棒に過ぎない私たちが、キリストの愛に触れることによって私たちもまた輝いて、この教会を作り上げて来たわけですね。 ああ、キリスト者はみな同じだなぁと思いましたよ。
3)ペテロとヨハネが「私たち」と言ったときに、もう一つ深〜い意味があるように思います。
このペテロとヨハネの背後に、ちょっと2章を見ていただけます? 最後の方の2:46と47です。私(藤本牧師)が46節を読みますので、皆さんで47節を読んでください。
2:46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、 2:47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
このペテロとヨハネの背後に、この最後に出て来る「心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれていた」教会があった。 確かにペテロとヨハネはその筆頭であったかもしれませんが、教会が彼らの背後にあった。 つまり、私たちが「私たちを見なさい」と言ったときに、その私たちの背後には、いつも教会が共に立っているという。 その教会は、昔から身分とか、階層とか、社会的な区別が全くない、一つの家族のような世界です。 その世界が私たちとともに立ちながら、「私を見てください。私のような鉄の棒でも主の愛に輝くことができるんです。 私たちは心を一つにして礼拝をし、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をし、周りの人々に好意を持たれる生活を心がけています」。 ペテロとヨハネは、その教会に支えられて、「私たちを見なさい」と言うことができたんですね。
私たち一人ひとりは、傷を持っていて、人間的には欠けだらけであります。 でもこんな私たちを支え、受け入れ、一緒に祈り、とりなしてくれる信仰の家族が、私の後ろにはある。 彼らは、いつでも真剣に祈ってくれる。希望を持つように励ましてくれる。暖かく包んでくれる家族がある。 その多くの仲間の支えがあるから、私たちもいざという時に「私たちを見なさい」と言えるのではないでしょうか。 「私たち」と言うときに、それは「教会」を指すんだと思いますね。 こんな私たちに、そして教会からにじみ出る神さまの恵みに、周りの注意を向けるために、堂々と「私たちを見てください」と言えるような、私たちでありたいし、教会でありたいと思います。 先週の日曜日は、TR姉が天に召された日でありました(2014年2月8日召天)。 ですから、辻岡先生がわざわざいらっしゃったわけですが、辻岡先生がつくづく仰っておりました。 音楽の賜物があり、様々な機会で奉仕をされたRさんは本当に沢山の苦労を背負われて、心病んでしまうこともあったでしょうね。 Rさんの生涯で一番幸せだった期間は、T兄と結婚して、高津教会の家族に温かく受け入れられ、小さな音楽の奉仕を楽しみ、一生懸命にお祈りをし、みことばに生かされ、この最後の数年が、Rさんにとっては慰めであり、幸せだったと。
私たちは何もRさんの過去は知らないんですよね。 それはご葬儀の時に、どこかで見たことがあるという牧師先生が何人かいて、ご葬儀の時にものすごい人がいろいろ来て、あ、Rさんってそういう人だったんだと、その時初めて知るような私たちでしょ? Rさんが初めて教会に来られた時に、「先生、私たちこんなCDも出していたんです」みたいなことを、CDを出してくださるんですけれど、「関心がない」と言うと申し訳ないんですけれども、高津教会に一旦入ったからには、あなたが何をして来たのか、何ができるのか、どんな賜物があるのか、どういう家柄なのか、そんなことは全くと言っていいほど関心がない。
私たちはみんな、錆ついた、冷たい鉄の棒なんです。 それがこの交わりの中に入って、主の愛に生かされて、赤く輝くことができるなら、それがすべてです。 私が、「私たちを見てください」という時に、私がどんなにボロボロでも、拙い者であったとしても、私の後ろには、力強い神の恵みに生かされている高津教会という家族がある。 それが私にとっては一番の誇りだということを、先週の日曜日につくづく実感しました。
森先生が帰られる時に「いい教会ですね」と(仰いました)。 きっと森先生だったら、どこの教会へ行ってもそう言うだろう(大笑)と思いますけれども、「ほんとに温かな雰囲気のいい教会ですね」と仰っていただいた時に、あ、やっぱり嬉しいなぁと思いますよ。
それは私たちの教会が、個々人の背景を全く頓着せず、み〜んな黒い錆付いた鉄の棒であり、でも温かなキリストの愛の交わりの中に入った時に、こんな自分でも平安に生かされ、神の力をいただくことができる、ということを堅く信じて、70年の歴史を数えようとしているこの教会は、やはり神さまの愛に生かされた教会だと思います。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、「私たちを見なさい」と言ったペテロとヨハネは、瞬時にイエス・キリストを指さしました。恐らく瞬時に、自分の背後にいる教会家族を指さしたのにも違いありません。 私一人では全く輝くことができなかったとしても、この教会の愛の交わりの中に入れられたら、私でも輝くことができる、私でも力をいただける、私でも神の愛を受けることができることを心から信じて、あなたを賛美し、宮に集まり、聖餐の恵みにあずかり、交わりを共にしている私たちを今年もまた祝福してください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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