☆聖書箇所 Tペテロ3:13〜15
13もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。 14いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。 15むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
☆説教 善に熱心であれ
「ペテロの手紙」に戻りました。第20回目になりますけれども、昨年のクリスマス前に19回をした後、しばらく間が空いてしまいました。しばらくぶりのペテロの手紙ですので、少しだけ、皆さん聖書をめくって見て、復習を一緒にしていただきたいと思います。
「ペテロの手紙」というのは、特に日本人にとっては読むべき手紙です。逆に言いますと、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、アメリカ人が読んでも解らないのかもしれません。 それは、「ペテロの手紙」の宛先が、「ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ビテニヤに散って寄留している、選ばれた人々」(***Tペテロ1:1)で、実にキリスト教がマイナーで、そしてともすると社会に押しやられて、寄留して住んでいるような環境にいる信仰者ですね。 いずれも小アジヤの教会の人々ですけれども、教会が誕生してまだ10年、15年、20年という小さな、小さな群れです。
その群れに使徒ペテロが手紙を書いていますね。 小アジヤのクリスチャンたちは小さな者たちですけれども、ペテロは励ましています――「あなたがたは、選ばれている」と。 2章の9節にこういう風に記されています。
▼2:9しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。
教会ができてまだ10年、20年という小さな小さな群れの人たち、散って寄留しているような押しやられた人たちに対して、ペテロは「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。そしてあなたがたは、やみから光に移されたのです」という励ましの言葉が、この手紙の中心にあります。
そしてペテロは、やみから光に移された者たちの特権的な生き方をずっと記していきます。 2章の11節を見てください。こういう風に書いてあります。
▼2:11愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。
やみから光に移され、神に選ばれ、神の民となったあなたがたは、地上にあって旅人であり、寄留者であり続けなさいと。そしてたましいに戦いを挑む肉の欲を遠ざけなさいと。
あるいは2章の16節を見てください。
▼2:16あなたがたは自由人として行動しなさい。その自由を、悪の口実に用いないで、神の奴隷として(***神のしもべとしてと補足される藤本牧師)用いなさい。
あるいは2章の23節を見てください。これは昨年すでに礼拝でずっと見て来たところです。23節に――
▼2:23ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
そういうキリストに倣って、あなたがたも罵られても罵り返さず、苦しめられてもおどすことをせず、神にすべてを任せなさい。
3章の3節を見てください。
▼3:3あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものでなく、 ▼3:4むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。
3章の7節には――
▼3:7同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。
3章の9節を見てください。
▼3:9悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。
というような「神の民とされ、闇から光に移された者たちの生き方」を学んで来ました。 そのような生き方をすることによって、神の救いのみわざを、あなたは世に伝えるために選ばれたのです、というのがペテロのメッセージでありました。
そして今回注目したいのが、13節の「善に熱心でありなさい。」
13もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
「善に熱心であれ」――今日はここから、3つのポイントで簡単に学びたいと思います。
1)「熱心であれ」というのは簡単なことではありません。
「善に熱心であれ」というのは簡単なことではないですね。 パウロはガラテヤの6章の9節で、有名な言葉を善について言っています――「善を行うのに、飽いてはなりません。」 飽いてしまうというのは、疲れてしまうということ。 善を行うことに関して、あなたがたは疲れ果ててはなりません――パウロはそう言いました。 そして、ペテロはこの手紙の中で、「善を行うのに、熱心でありなさい」と(言っています)。
どうして疲れてしまうのだろうか? 善を行う時、往々にして私たちは周囲の反感を買うことがあるからですね。 ペテロもよくわかっていました。ちょっと13節のこの言葉をよく見てください。
13もし、あなたがたが善に熱心であるなら、だれがあなたがたに害を加えるでしょう。
14節に「いや、」と言っていますね。「いや、」というのは、いやいやそんなことはなかった、ですね。 善を行うことに熱心でありながら、沢山の害が私たちに及ぶのが往々ですね。 そして14節にペテロは言い換えて、 「いや、たとえ義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなこと」(3:14) だと思いなさいという風に、ペテロは言い直していますよね、「いや、」という言葉を加えることによって。
つまりペテロは善に熱心であれと言っておいて、善はすばらしいことであると言っておいて、でも善を行うことは抵抗に遭うことだ、苦しむことになる(とも付け足している)。 そうこうしているうちに、善を行うことに私たちは疲れ果ててしまう。情熱が冷めてしまう。 抵抗してくるのは、世の人々、いや、世の力ですね。 そしてその力があまりに大きくて、時に全世界が自分に反対してくるように思えてしまう。 この善は小さな善であっても、また大きな善であっても同じです。
私(藤本牧師)は昨年、家内と一緒に(観たのは)――ちょっとタイトルを忘れました――最近の映画で、アメリカの奴隷に関するハリウッドの普通の映画でしたが、改めて奴隷の現実ってすごかったんだなぁってことを考えさせられました。
ま、ヨーロッパ、欧米において、18世紀世界最大の問題、世界最大の悪が、奴隷狩り、奴隷売買ですね。 いったいどれぐらいの黒人がアフリカで狩られて、そしてアメリカや西インド諸島に売られて行ったのか? 奴隷貿易を始めたのはスペインやポルトガルです。 でもそれを一番盛んにやっていたのはイギリスとフランスで、長〜い歴史の中で、なんと1千万人以上のアフリカ人が、狩られて家族はばらばらになって、祖国から連れ去られて、奴隷として売られていきます。
半数以上の者が、その売られていく途上で命を落とし、でも命を落とした方が幸せだったと言われるほどの過酷な環境がアメリカで待っているわけですね。 砂糖、たばこ、綿の大きなプランテーションの労働力として売られて行くのです。
この奴隷売買のための裏組織が、公然とイギリス社会に横行していた時代に、ウィリアム・ウィルバーフォース(***William Wilberforce、1759〜1833)という若い英国会議員が、奴隷売買禁止法を通すために議会で戦うわけです。
ウィルバーフォースは、1784年に24才の若さで国会議員となります。 彼は、当時「アメージング・グレース」の讃美歌作者でありましたジョン・ニュートン(***John Newton、1725〜1807)から、信仰的にも奴隷問題でも多くの影響を受けます。 ジョン・ニュートンは西アフリカで奴隷船の船長をしていました。そして嵐の中で、彼は神の声を聞いて、回心して牧師となります。
そのニュートンの影響を非常に強く受けていたウィルバーフォースは、24才で国会議員となり、25才で明確な信仰を持ち、26歳で奴隷貿易廃止のための大々的な運動を開始し、周到な準備を、調査報告書をもって、奴隷貿易廃止のための法案を用意し、議会で演説をするわけです。
彼が驚いたことは、議会は全くその問題を取り上げようとしないことです。そして議会はこぞって、そんな事実はないと否定するんです。 やがて議会は調査委員会ができまして、実際の奴隷船の見取り図が提出される頃に、ようやくその事実を認める方向に動きますが、奴隷貿易廃止に至るまで、18年の年月を要するのです。 18年間、ウィルバーフォースは、そのことだけのために戦うんですね。 そしてその18年間の間に、何百万人という奴隷が狩られて、運ばれて、アメリカを植民地としてイギリス経済が成り立っていくわけです。
ウィルバーフォースは善のために立ち上がって、法案を提出したのは、1789年。そして議会で法案が成立するのは、1807年ですから、18年間戦い続け、そして何回も法案を通す度に、最初は少数派対多数派の戦い、だんだんそれが時を重ねる度に、逆転していって、法案が成立していくわけです。
常識的に考えますと、よくもまあ、と考えますよ。そうでしょう? イギリス経済は、様々な密輸貿易や、または奴隷貿易によって成り立っているということは、み〜んな知っているんですよ。 でもアフリカの人たちを、人を人とも思わず、奴隷として買って、そしてよその国に連れて行くということを、平気でするんですね。 イギリスで奴隷貿易禁止法が可決され、貿易が廃止されても、アメリカの奴隷制の廃止を見るのは、さらに50年先の南北戦争(***American Civil War, 1861〜1865)が必要です。さらに50年先。 いやいや、黒人の公民権運動(***1950〜60年代・Civil Rights Movement・アメリカの黒人の白人と対等の人権を要求する)の課題は、それよりもさらに100年経たなきゃいけない。 1960年代のマルチン・ルーサー・キング(***1929〜1968)牧師の働きを見るまで、いや現在もその働きは続いていると言った方がいいですね。
すると、ウィルバ―フォースはいったい何と戦っていたのか? 奴隷問題なのか?奴隷売買の現実なのか?いやいや、彼はイギリスの議会と戦っている。 議員のかたくなな心、罪深い強情な心、そして世の力と戦っている。、
「善をなすのに、熱心でありなさい」と言った時に、私たちは小さな善から大きな善に至るまで、必ずこの熱心を冷ますような、熱心を疲れさせるような周囲の力が働くということをまず第一に覚えてください。 2番目に14節をご一緒に読んでみたいと思います。
14いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
後半部分が大切ですね。2番目に――
2)「彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させてはいけません」――14節
どういうことか? 言い換えますと、善のための戦いは自分の臆病との戦いでもあるということですね。 反対者から現実に危害を加えられることもあるでしょう。 いや、それだけでなく、そもそも反対されること、抵抗を受けることを私たちは避けようとします。 私たちは当然のように、人の目を恐れます。――善を行うことによって批判され、善を行うことによって誤解され中傷されることを私たちは嫌います。
戦いは善を行う人の心を病ませてしまいます。 正しさを貫くことで大損害を被ってしまったかのように、私たちは感じます。 職場でも皆さん思いますでしょう?――「こんなところで声を大きくしなければ良かった」と。「こんなところで問題を指摘しなければ良かった」と。 人を前にして、どんどんエネルギーは吸い取られていきますよね。 すると、敵に回しているのは悪ではなくして、敵に回しているのは自分を取り巻く批判の声だということがわかります。 それに私たちは心を向けると、自分の心が萎びていきます。 その批判の声によって、心を動揺させてしまいます。
ペテロはそれが自分の最大の問題であるということをよく知っていました。 イエス・キリストの十字架を前にして、イエス・キリストが大祭司の官邸の中で裁判を受けているときに、ペテロは官邸の中庭でたき火にあたっていました。 すると女中が「あなたもイエスと一緒にいましたね。あなたも、あのガリラヤ人と一緒にいましたね」という追求の声を上げます。 そして官邸の下っ端の役人たちも同じようにペテロを攻めて来た時に、ペテロは何とも言えない恐怖に恐れおののいて、そしてイエスさまを「知らない」とのろいをかけて誓って、三度否定しますでしょう? ペテロはいったい何に負けたのか?――ペテロは自分の臆病に負けたんですよ。
私たちも自分の臆病に負けるんですね。 正しいと思っていながら、それを貫くことが大変だなと思ったら、私たちはすっと手を引っ込めてしまいます。 なまじ手を出したことでさえ、「手を出さなければ良かった」とこう思ってしまいます。
三番目にペテロはこう言いますね――
3)そのような恐れる心、動揺する心を抑える唯一の有効な方法がある。15節に――
15むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。……
皆さんは、自分なりに反対意見、批判の声をどう対応するのか、自分なりに技術を身に着けていると思うんですね。 その技術は身に着けていませんと、反対、批判の声が延々と頭の中をぐるぐるぐるぐる回ります。そして夜になって寝られないことがあったり、いっぺんに顔色を失って弱くなってしまいます。 そういう時に皆さんはどういう風にして乗り越えられるんですか? たとえばドカ食いをするという方法がありますよね(大笑)。例えばふて寝をするという方法もありますよね。いろんな方法があるんです。
私(藤本牧師)はお手紙やメールをいただいて、最初の2行ぐらいで、あっ、これは批判だなぁと思ったらすぐにゴミ箱に捨てます(大笑)。すぐ。もう見ない。そしてゴミ箱から消去します。 本当にこの人が批判の声があるのだったら、もう一度送って来るだろうと。2回目3回目ぐらいでようやく読みますね。 それほど自分自身、やっぱりそういう声に弱いという意識があります。
私たちはみんなそういう術をもって、少しでも正しいことを貫く方法を自分なりに考えているはずですね――友人に電話して勇気を得るとか。 ペテロが絶対的にこれが唯一の有効な方法だと挙げているのが、15節です。
15むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。
非常に意味があります。 かつてイエスさまは「人を恐れてはなりません」ということを、しきりに仰いましたね? イエスさまが仰った方法というのは、 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)という、非常に厳しい、強いことを仰いましたよね。
「からだを殺すことができても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはいけない。そんな人間でなく、たましいもからだも、ともに地獄で滅ぼすことのできる神を恐れなさい」――この「恐れる」という時に、その言葉がこのペテロの手紙では、「キリストを主としてあがめなさい」に変わっていますよね。 つまり、「恐れる」ということは、「敬う」ということであって、人の目を恐れるのでなく、絶対的な力を持っている「神を敬いなさい」。いや、もう少し簡単に言うと、「神を礼拝しなさい」。
私たちが日曜日、神を礼拝しに来るときに、もし自分の心が動揺し、自分の心を揺り動かすような、おびえさせるような人の声や批判があるならば、その批判の声を神を礼拝することによって吹き飛ばしなさい。 なぜなら、神があなたの側に立っているのなら、あなたは絶対的に守られているという自信を獲得しなさい。 圧倒的な神、圧倒的な力のある神を恐れて、キリストを主としてキリストを礼拝し、 キリストを圧倒的な力を持った主として礼拝するときに、あなたの心から人の目を気にする思いが吹っ飛んでいきます。
ついでに15節(後半)を見ていただきますとね、その次に――
15そしてあなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明ができる用意をしていなさい。
「そしてあなたがたのうちにある希望について説明を求める人には……」――これ、いろんな意味が含まれていると思います。 でも一つの意味は――もしあなたがそのように毅然として振る舞うなら、周囲の人々は驚き、そのような力の源はどこにあるのですかと説明を求めるよ。その時、自分が神に望みを置いていることを、神のみを恐れていることを説明できるようにしておきなさい。
少し普遍してものを言いますとね、私たちの心が動揺するのは、別に人による批判だけではないかもしれない。そうですね。 自分の将来が見えないとか、自分の仕事が順調でないとか、自分の体調が悪いとか、もうあらゆることによって、私たちは心が動揺します。恐れます。 ペテロはその時に、 「キリストを主と崇めるために、礼拝に来なさい」と言っているのです。 そこに於いて、「絶対的な力、主権を持っているのは神のみである」ということを心に留め、「自分の心配事を主に委ねなさい」です。 そのようにして心に落着きを取り戻しなさい。 礼拝から帰る時に、不安をそのまんま心に抱いて帰ってはいけません。 神を礼拝するっていうことは、自分の不安を絶対的な力を持っておられる神に委ねることです。
先ほどのウィルバーフォースに宛てて、ジョン・ウェスレー(***John Wesley、1703〜1791、英国教会の司祭・信仰覚醒運動を指導し、後にメソジストの父と呼ばれる)という人が、自分の生涯最後の手紙を書いています。 ウェスレーの手紙というのは、残っているだけで4000通あります。 その内の最後の一通が、自分の死ぬ前に、この若い国会議員、ウィルバーフォースに宛てて書かれていました。ちょっと読んでいきますね。
「神があなたを立てているのでなければ、英国の、人類のスキャンダルであるこの忌まわしい悪業に反旗を翻す、という栄光ある計画を完遂することはできないでしょう。(途中で冷めてしまう、途中で疲れてしまうと説明を加えられる藤本牧師)。 でも、神がまさにこのことのためにあなたを立てられたのであるなら、あなたは人と悪魔の反対に対して勝利を得ます。 もし神があなたの味方であるなら、だれがあなたに抵抗できましょう。彼らが一束になってかかって来ても、神に勝てるはずはありません。 善をするのに疲れないでください。神の御名によって前進してください。そして、史上最悪のアメリカの奴隷制度さえも、撲滅するまで前進し続けてください。」
という手紙を送っているんです。 【***それは、ウィルバーフォースが、最初の奴隷売買禁止法案を議会に提出して、あっさりと否決された後のことでした。 あと2週間でこの世を去るウェスレーは筆を執って、ウィルバーフォースを励ましました。】
「神があなたを立てている」という認識をウェスレーはウィルバーフォースに植え付けているんです。 たまたま様々な必要に応えて自分はリサーチを重ね、そして奴隷制に反対する運動を起こした――そう考えてはいけない。「神があなたを立てている」と(考えなさいと)。
それは私たちの日常生活においても考えさせられますね。 全く神さまと関わりのない働きなのかもしれない。でも神はあなたを選び、あなたを用いあなたを立てている。 だとしたならば、反対者が一束になってかかって来ても神には勝てない。 だから人を恐れず、批判に動揺せず、善をなすためにあなたを立てているキリストを主としてあがめなさい。 自分を意識するのでなく、周囲の反対の声を意識するのでなく、あなたを選び、このことのためにあなたを用いようとしているキリストを礼拝しなさい。 そうすればキリストはあなたを覆い、あなたを守り、あなたを力付けて、そのご計画通りにことを成し遂げてくださいます。
もう一度、「ペテロの手紙」の学びを今日から始めて、何とかイースターまでに終えてみたいと思います。 それは私たちが、あの小アジヤに離散して、散って、寄留している当時の読み手と全く同じだからです。 今の社会にあって、キリストの信仰を持っている人たちは非常に僅かです。 でも私たちは神によって選ばれ、神の愛と、神の善と、神の義を宣べ伝えるために、それぞれがそれぞれの場で、善をなすのに熱心でありたいと願います。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、ジョン・ウェスレーがウィルバーフォースに、何とかして「神によって立てられている」という自覚を植えつけたかったように、私たちは今この場で、「あなたが私たちを立てて用いてくださる」という自覚に立つことができますように助けてください。 もしあなたが味方であるならば、どんな力が束になってかかって来ても、あなたに勝てるはずがない。自分がなしている善に飽いてしまうことがないように、疲れ果ててしまうことがないように。 そして人々の目に、人々の批判の声に耳を傾けるのでなく、あなたがまず第一の守り手であることを、そしてあなたこそが私たちのなしていることの推進者であることを心から信じて、あなたを礼拝している私たちを守ってください。 いま心を揺らがす問題がありましたら、この礼拝の場でそれをあなたに捧げることができるようにしてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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