☆藤本牧師の聖書のお話(***講壇左側スクリーン横に立ち、マイクを持って語り始める)
皆さん、今日はよく来てくださいました。久しぶりに雨の日曜日になったかなぁと思いますが、子どもたちと一緒に礼拝を守ることができました恵みを心から感謝いたします。
************************************************* <来週の音楽礼拝について> 週報の中に、来週の特別音楽礼拝の案内を入れました。私(藤本牧師)の方でこれが作るのが遅くなってしまって申し訳なかったなぁと思いますが、礼拝の時間はいつもと同じ10時半です。 そして中村祐二先生はご夫妻ともに音楽家でいらっしゃいまして、今は東北のツアーをずっと続けておられます。
日本に帰って来られたメインの目的は、10年ぐらい前に患われた癌の検診です。それを乗り越えて、長期闘病期間を乗り越えて、今は音楽をもって主に仕えておられる中村先生ご夫妻――奥さまの方はどちらかというとクラシック、ご主人の方はどちらかというとポップスですね。
ご主人は東京聖書学院を出ておられて、北米ホーリネス教会の牧師です。ぜひ楽しみに礼拝にお出でいただきますようによろしくお願いいたします。
***************************************************** それでは短くお話をします。 (***スクリーンには「自分はドラゴン?」というタイトル)。 「自分はドラゴンか?」。いいですか?君はドラゴンか?ぼくはドラゴンか? (***スクリーンに老人ルイスの写真) C・S・ルイスというこのイギリスのおじいさん、もう亡くなりましたけれども有名な人です。イギリスのオクスフォード大学で教え、ケンブリッジ大学でも教え、有名な本を沢山書きました。その中に「ナルニア国物語」というのがあります。
「ナルニア国物語」というのは、この世界を神が支配しておられる世界に、私たちを招いてくれるという話なのですが、子どもたちが――次見ていただきますと――夏休みのある日、部屋の壁にかかっている船の絵の中に吸い込まれてしまいます。 この女の子は今その絵を触っているんですけれども、そうしてナルニアの冒険の旅をします。 冒険に出かけて行く乗り物は、この「朝明け丸」という船です(***スクリーンに船の写真)。
冒険の旅の仲間に、ユースチスという(***スクリーンに彼の写真)――彼はこの演技をしまして、映画界で一躍有名になりました――ものすごく意地の悪い男の子です。わがままで自分のことしか考えない。人を平気で利用して、そして自分の楽しみしか考えない子どもなのですね。
「朝明け丸号」が長〜い航海を経て、そして船が壊れてしまいます。そしてこの船を島に寄せて直さなければならなくなります。 でもこのユースチスは、そんな修理の手伝いなんかしたくありません。彼は仲間を残して島を探検します。
その島にはドラゴンが住んでいました。ドラゴン(***写真)。 ドラゴンは世界中から宝を集めて、自分の洞穴に隠しています。 ユースチスはこのドラゴンの巣を見つけ、恐る恐る洞穴の中に入ってみました。幸いドラゴンはいません。 そしてその中には輝く宝の山がありました。自分の人生でこれだけの宝の山は見たことがない。 彼はその中から一番きれいな宝石をちりばめた腕輪を、気に入って腕にはめ、そして探検で疲れてしまって、いつの間にか巣の中で眠ってしまいました。
どれくらい時間が経ったのかはわかりません。 ふと夢からさめますと、戻ってきたドラゴンが自分の隣で寝ているんですね。 その恐ろしい悪魔の顔、その姿、なんとそのドラゴンが静かに自分の隣で寝ているんです。 ユースチスはそれを見た途端、心臓が口から飛び出るほど驚きました。彼は息をひそめました。しばらくじ〜っとしていました。 でももしこれでドラゴンが目を覚ましてしまったら、絶対に食べられてしまいます。 彼は勇気を出して、そして右の手をそっと動かしてみました。 すると、ドラゴンの手も動くんです。足を動かしてみました。するとドラゴンの足も動くんですね。 いったいどうなっているんだ?と思って、よ〜く考えて、そして手を動かし、首を動かし、足を動かしている内に気がつきました。 隣にいると思ったドラゴンは自分だったのですね。(***スクリーンに大きな悪魔の姿) このドラゴンが自分自身だということに気がつきました。 欲張りな心がいつの間にか、自分を欲張りな悪魔にしてしまいました。 自分が恐れていた、嫌っていたドラゴンが自分そのものでした。
叫び狂って、彼は洞穴を出ます。そこはきれ〜いな湖でした(***ひとり周囲の山の中に立つ姿)。 水辺に行って、自分の姿を映してみます。すると、なんとこのドラゴンが自分自身でした(***再び先ほどの悪魔の姿)。 彼は焦って、湖のそばにあった鋭い石を持って来ます。そしてドラゴンの皮を自分からはがそうとします。一生懸命はがしました。はがれます。 でも一枚はがすと、下から出てきたのはまたドラゴンの皮でした。 もう自分はドラゴンそのもので、自分が悪魔になってしまいました。 そしてどんなにはがしても、どんなにはがしても、自分の内側からドラゴンの皮が出て来ます。
先ほどのおじいさんのC・S・ルイスが言いたかったことはですね、欲張りな思いが、自分中心な思いが、だんだん自分の心に根を張ります。しばらくしますと、「欲張りなドラゴン」にあなたはなっていると。 悲しみに追い回されて、悔しさに溺れて、いつの間にか気がついたら、私たちは「悲しみのドラゴン」になっています。 <ふと気がつくと、なんと私はドラゴンに>ということは、多々ありますね。
先生(藤本牧師)は最近――こんなこと言うと、皆さんも気にするようになるんですが――ここのしわが気になってしようがない。(額に手を当てて)ここのしわが。 あんまり鏡って見ないでしょう?でもねぇ、こうやって考えていることが多いんだよね。 そして考えてるだけじゃなくて、最近、目が見えなくなっちゃって、何か見る時にこうやって見るのね。それでこうやって見ている内に、ここにしわがついちゃったの(笑)。 ということは一日24時間あると、たぶん16時間こうなっているんだよね。
忙しくて、焦って、仕事がうまく行かなくて、考え込んでいると、「忙しさのドラゴン」になるんですよ。 つまんないなぁと思って一日過ごしていて、なんで自分の一日はこんなんだろうと思っている内に、「なんでこんなんだろうというドラゴン」になっているんですよ(笑)。 皆さんのお家で、ひかりちゃん、お父さんがドラゴンになりやすい?お母さんがドラゴンになりやすい(笑)?ことはちゃんがすぐドラゴンになる(笑)?それともきみがドラゴンになる?
みんな一瞬にしてドラゴンになるんですね。 昼寝から気がついて、自分の顔を鏡で見たら、え〜っ、どうしてこんなに疲れ切った、不幸せな顔をしているんだろうと、ふっと思うのね。 こうやって一生懸命顔を動かして、しわを伸ばしても、もう遅いの(年配の女性?大笑)。ドラゴンのしわはここに(額に手を当てて)くっきりとついてしまっているんですよ。 人はみんなドラゴンになるよと。そして一旦なってしまったドラゴンは、ぼくの心そのものになってしまって、もう離れない。
聖書のことばで、イエスさまがこんなことを仰いました(***スクリーンのみことばを読み)、
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
一つ前、英先生(PCを操作している英兄に)、めくっていただけます? これは、湖のほとりでユースチスがアスランというライオンに出会っているシーンですね。 アスランは、C・S・ルイスの話の中では、イエス・キリストなんです。 ユースチスは自分の心の思いを話します。自分がドラゴンになってしまったことを、このアスランに話します。 するとアスランは、その鋭い爪で、ざっくりとその皮をはがしに行きます。 ユースチスはまるでアスランの爪が自分の心臓をえぐり出すほどの力だ、ということに気がつきます。非常な痛みを感じます。 でもなぜかドラゴンの皮がはがされて行くのが気持ちよかった、と後で友だちに話します。
イエスさまはユースチスに近づいて、この聖書のことばを仰ったに違いない。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(***マタイ11:28)
ユースチスがなぜそんなにわがままになってしまったのか?そもそもわがままで生れて来たのか?そんなことはないですね。 自分の家庭の状況や、自分の人生の忙しさや、また自分が欲しいものを何でも手に入れたいという思いが、何となく彼の全体を包んでしまって、いつの間にかドラゴンそのものになって来た。 イエスさまはそのユースチスをまず招いて、「わたしのところに来なさい」と。 そして「あなたの心にへばりついているそのわがままな思い、疲れ切った焦り、人生を生きる重荷をわたしのところに下しなさい。あなたを休ませてあげます」と(仰った)。
教会に来るとね、昼寝をしなかった分だけ疲れるかもしれない。で、そのまんま教会から帰ったら大損ですね。 神さまを賛美し、神さまを礼拝した時に、一週間あれもしなければいけない、これもしなければいけない、先週こんな嫌なことがあった、というその重荷を神さまの前に下すことをせずに礼拝から帰ったら、礼拝、大損ですよ。
私たちが「主の祈り」を祈る時に、日用の糧を与えて下さる神さま、私たちの罪をゆるしてくださるイエス・キリストの十字架を考えながら、「わたしのところに来て、あなたの重荷を下ろしなさい」と仰る、イエスさまの仰るその言葉に従って、重荷を下ろす。 イエスさまは休ませてくださいます。
その次のみことばはこうですね(***マタイ11:29) 「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って――次の言葉――わたしから学びなさい」 神にゆだねることを学びなさい。 心配したからと言って、身の丈1センチも伸ばすことができないということは、どんなに心配したからと言って、次の日に身長が1センチ伸びたってことはないんだよ。 どんなに心配したからと言って、次の朝起きてみたら、財布の中に10万円入っているってことはないんだよ(大笑)。 いろいろな必要は神さまが備えてくださる。その心配も必要も神さまにゆだねて、ドラゴンから普通のあなたに戻りなさい。わたしが戻してあげる
その招きをイエスさまから聞いて、今日これからお祈りするときに、イエスさまに私たちの心配や私たちの必要をお話しして、おゆだねしましょう。
☆お祈りをいたします――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、なんと愚かなことでしょう。ず〜っと悩み事を抱えている内に、鏡で自分の顔を見てびっくりするほど、悲しげな、不幸な、怒りに満ちた、焦り狂った、ドラゴンの自分をふっと見てしまいます。 あれほどお祈りし、あれほどあなたの御名を賛美しながらも、聖書から離れて、あなたを忘れて生きている自分に、ふと気がついた時に、イエスさまどうか、私に声をかけてください。 「わたしのところに来なさい、重荷を下ろしなさい。わたしから学びなさい。神にゆだねなさい。神はすべてあなたの必要を知っておられます。あなたは神の全能の力によって守られているのです」と、イエスさま、どうか私に語りかけてください。 そしてたましいの安らぎを得るということを、学ぶことができるように私たちを導いてください。イエスさまの御名によってお祈りをいたします。アーメン。
<お願い> 藤本牧師のお話の前後、ほとんど礼拝のすべては「聖日説教」で読むことができますし、動画でもご覧になれます。 今回は大人と子どもの合同の独特の礼拝形式ですが、伝道礼拝としても力がありますし、色々楽しめますので、ぜひ礼拝の全部をご覧いただくことが教会としての希望です。よろしくお願いします。T・Y
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