☆聖書箇所 創世記19:1〜22
1そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。ロトは彼らを見るなり、立ち上がって彼らを迎え、顔を地につけて伏し拝んだ。 2そして言った。「さあ、ご主人。どうか、あなたがたのしもべの家に立ち寄り、足を洗って、お泊りください。そして、朝早く旅を続けてください。」すると、彼らは言った。「いや、わたしたちは広場に泊まろう。」 3しかし、彼がしきりに勧めたので、彼らは彼のところに向かい、彼の家の中に入った。ロトは彼らのためにごちそうを作り、パン種を入れないパンを焼いた。こうして彼らは食事をした。 4彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。 5そしてロトに向かって叫んで言った。「今夜おまえのところにやって来た男たちはどこにいるのか。ここに連れ出せ。彼らをよく知りたいのだ。」 6ロトは戸口にいる彼らのところに出て、うしろの戸をしめた。 7そして言った。「兄弟たちよ。どうか悪いことはしないでください。 8お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」 9しかし彼らは言った。「引っ込んでいろ。」そしてまた言った。「こいつはよそ者として来たくせに、さばきつかさのようにふるまっている。さあ、おまえを、あいつらよりもひどいめに会わせてやろう。」彼らはロトのからだを激しく押しつけ、戸を破ろうと近づいて来た。 10すると、あの人たちが手を差し伸べて、ロトを自分たちのいる家の中に連れ込んで、戸をしめた。 11家の戸口にいた者たちは、小さい者も大きい者もみな、目つぶしをくらったので、彼らは戸口を見つけるのに疲れ果てた。 12ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内の者をみな、この場所から連れ出しなさい。 13わたしたちはこの場所を滅ぼそうとしているからです。彼らに対する叫びが【主】の前で大きくなったので、【主】はこの町を滅ぼすために、わたしたちを遣わされたのです。」 14そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。 15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。さもないと、あなたはこの町の咎のために滅ぼし尽くされてしまおう。」 16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。――【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。 17彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」 18ロトは彼らに言った。「主よ。どうか、そんなことになりませんように。 19ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。 20ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。あんなに小さいではありませんか。私のいのちを生かしてください。」 21その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。 22急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこに入るまでは、わたしは何もできないから。」それゆえ、その町の名はツォアルと呼ばれた。
☆説教 アブラハムの生涯(13)憐れみに応える
しばらくアブラハムの生涯から学んでまいりました。 今日開いていただきましたのは(創世記)19章で、しかも非常に長い箇所を(司会の)O兄に読んでいただきました。 前回の続きです。ソドムという町の出来事が記されています。
ソドムというのは、ずっと性的な罪の代名詞になるほど汚れた町でありました。 そればかりか、住民は非常に傲慢であったと聖書に記されています。 神さまはこの町を滅ぼすために、アブラハムの甥であったロトの家族をこの朝救い出されます。 余程重要な出来事を含んでいたのでありましょう。 恐らく物語の中では、これが一番詳細に記されています。
ソドムの人々の乱暴ぶり、堕落ぶりも詳細に記されていますし、ちょっとそれを見ていただきたいと思いますが、4節に――ふたりの旅人が来たことを知り――
4彼らが床につかないうちに、町の者たち、ソドムの人々が、若い者から年寄りまで、すべての人々が、町の隅々から来て、その家を取り囲んだ。
5節――(ソドムの町の人々は)叫びます。「ふたりを出せ。彼らをよく知りたいのだ」。 この「よく知りたいのだ」という言葉は、性的な関係を持つ時に使われる言葉です。 ですから町中の人々、隅々から、若い者も年寄りもこのふたりを強姦しにかかったというような印象さえいたします。
この詳細な物語の中に入っている3つの大きな要素を、きちんと聖書から見ていきたいと思いますので、ご自分の聖書でありましたら、今から一緒に読むところは印をつけられると後の助けになると思います。
1)神さまの大いなる憐れみを見ることができます。
神さまはこの夜、ロトの家族にだけ危険を知らせます。12節を見てください。
12ふたりはロトに言った。「ほかにあなたの身内の者がここにいますか。あなたの婿やあなたの息子、娘、あるいはこの町にいるあなたの身内をみな、この場所から連れ出しなさい。
彼らにだけ危険を知らせます――これは考えますと、非常に大きな意味を持っています。 つまり、助けようとしているのは、ロトと直接の家族だけではない――娘の婿、つまりあなたの息子となった者がいるならば、いやあなたの身内の者は全員連れ出す――という神さまの恵みです。 ロトは14節を見ますと、家族をみな集めます。
14そこでロトは出て行き、娘たちをめとった婿たちに告げて言った。「立ってこの場所から出て行きなさい。【主】がこの町を滅ぼそうとしておられるから。」しかし、彼の婿たちには、それは冗談のように思われた。
婿たちというのは複数です。ですから結婚していた娘が複数人いたということがわかります。 でも彼らにとっては冗談のように思われた――最初から真剣には考えていなかった。 「何を仰います。お父さん、まさかそんなことを本気で仰っているわけではないですよね?」
朝になります。御使いはロトを促しました。15節――
15夜が明けるころ、御使いたちはロトを促して言った。「さあ立って、あなたの妻と、ここにいるふたりの娘たちを連れて行きなさい。……
もう冗談として相手にしない者は、説得している時間がない。せめてあなたと妻と、娘たちを連れて行きなさい。
(15の続き)さもないと、あなたはこの町の咎のために、滅ぼし尽くされてしまおう。」
と言った時でさえ、実はロトは16節の最初、ためらうんですね。私たちはためらう。 その時、16節に――
16しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの(結婚していない、と加えて)娘の手をつかんだ。
つまり神さまは力づくに、一方的に、強引にロトの夫婦と娘二人の手を引いて連れ出して行かれます。 そして明快に、16節には注釈が入ります。
(16の続き)――【主】の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。
読みますと、主の憐れみの大きさを感じますね。 それは時に私たちは様々なことでためらいますが、主は私たちの手をつかんで、強引と思う形で、私たちを滅びの町の外に置かれます。 ためらっていても、神さまは私たちを外に置きます。 神さまが救おうとしているのは、私たちだけではない――あなたの身内全員を救おうとしている。 そして迫り来る危機があれば、全員にそれを伝えてくださる。
憐れみはまだ続きます。 町の外に出たロトの家族ですが、そして「山に逃げろ」と言われるんですが、ロトにはその力がありませんでした。19節――
19ご覧ください。このしもべはあなたの心にかない、あなたは私のいのちを救って大きな恵みを与えてくださいました。しかし、私は、山に逃げることができません。(**自信がありません、と説明)。わざわいが追いついて、たぶん私は死ぬでしょう。
ロトは体力的に自信がない。彼の方から一つ提案します。20節――
20ご覧ください。あそこの町は、のがれるのに近いのです。しかもあんなに小さいのです。どうか、あそこに逃げさせてください。……
山は無理だと。でも平地のあそこの村なら何とかなります、という妥協案を彼は考えて、神さまに願います。 すると神さまの答えは何でしょう、21節――
21その人は彼に言った。「よろしい。わたしはこのことでも、あなたの願いを入れ、あなたの言うその町を滅ぼすまい。
このやり取りは、恐らく私たちが日常に体験している“神さまの憐れみ”というものを、実に明快に語っています。 私たちは聖書で教えられ、信仰の先輩方に教えられたことを、ためらいますね。 でもためらう私たちの手をつかんで、時に神さまは強引に、神さまの道に私たちを救い出してくださいますよね? しかし、それでも私たちは無理だと言って、何らかの妥協案を神さまに提案する時に、神さまは「このことでも、あなたの願いを聞き入れた」(と仰る)。 「このことでも、あなたの願いを聞き入れた」――もう私たちの人生に何百回、何千回と神さまは「このことでも、あなたの願いを聞き入れた」と仰っているんですね。 つまり、度重なる憐れみがあって、時に強引に手を引かれて町の外に連れ出されるようなことがあっても、私たちは神の恵みの中に置かれて生かされて来た。
そうして教会も守られ、教会も私たちもここまで成長することができた。 一切が神の憐れみ、恵み、神の助けです。 そして神さまは、私たちの不信仰に忍耐し、譲歩し、そのことでも、このことでも、あなたの願いを聞き入れると仰るのは、神の憐れみの大きさです。
2)しかし神はここで、ロトに一つの責任をお与えになります。
17節はご一緒に読みましょう。
17彼らを外のほうに連れ出したとき、そのひとりは言った。「いのちがけで逃げなさい。うしろを振り返ってはいけない。この低地のどこででも立ち止まってはならない。山に逃げなさい。さもないと滅ぼされてしまう。」
いのちがけで逃げなさい。未練がましく後ろを振り返ってはいけない――神さまはロトに仰った。 「いのちがかかっています。あなたのいのちが。だからいのちがけで逃げることを考えなさい」と。
津波の被害が大きかった東日本大震災の時に言われましたね。 「津波の危険を知ったら、『津波が来る。逃げよう、逃げよう』と周りの人に言わないで、真っ先にあなたが逃げなさい。真っ先に誰かが逃げることによって、周囲の人は事の緊急性を知るものだ。 なかなか立ち上がらない人を説得していないで、先ずあなたが真っ先に逃げることによって、事態の切迫感がみんなに伝わるものだ」と。
「いのちがけで行きなさい。逃げるのはあなただ」――神さまはロトに仰いました。 「わたしがあなたの代わりに逃げることはできない」と。 「わたしはあなたに事態の緊急性を十分に知らせた。中にはそれを冗談に思うような者たちもいた。あなたも迷っていた。でもわたしはあなたの手をつかんで町の外に置いた。しかもあなたの妥協案を受け入れた。それでも走るのはあなただ」と。
26節をご覧いただきますと――
26ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった。
ということは、ロトに妻には未練があったのか、後ろを振り返ります。 つまり課せられた責任を無視してしまいます。
イエスさまが「だれでもわたしについて来たい者は、自分を捨て自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」(***マタイ16:24,10:38)と仰ったり、あるいは、「いのちに至る門は狭き門だ、狭い道だ」(***マタイ7:13〜14)と仰った時に、 あるいは、パウロが「恐れおののいて、自分の救いを達成しなさい」とピリピの手紙(2:12)で言った時に、 イエスさまが開かれた救いの道が、どんなに憐れみ深く、誰をも招く道であったとしても、「そこを行くのは、紛れもなくあなた自身だ、わたしが代わりに走るわけではない」と、(釘をさされることでしょう)。 あなたの手をつかんで助けてあげ、そしていつも無理だと言う私たちに対して、私たちの妥協案を神さまは受け入れてくださり、妥協的な生き方を私たちはしているわけですけれども、「そのことでもあなたを受け入れた」とイエスさまは仰ってくださり、 しかし「そういうあなたも頑張らないと、後ろから来る炎に巻き込まれてしまうよ」と(私たちにも真剣さを求めておられるのです)。
今回、熊本大震災で、それ以前阪神淡路、中越、東日本と、とってもこの20年に連続して大きな地震が起こり、もしかしたらこの地震が他に波及すれば、なるほど災害大国日本だ、ということを私たちは今更ながら実感しているわけですね。
先ほど申し上げましたように、先週の日曜日の夜、T姉からご連絡をいただいた時に、熊本東聖書教会の話を聞かされました。 姉妹がテレビを見ていたら、その倒壊した家に挟まってしまった、出られないお嬢さんが救援隊によって助けられた、というニュースの中で、あ、もしかしたらあれが先生のお嬢さんかと思った時に、カメラはすぐにこのお父さんに向けられ、インタビューで東教会のお父さんが、「神さまの憐れみにより助けられた」と仰ったと。
まさにそうだと思います。 それは神の憐れみの故ですけれども、しかしそこに立ちすくみ、一生懸命声をかけ、救援隊が中に入り、救援隊の力によって、中に閉じ込められた者は、また自分の力を全力で出し切って初めて助け出されるわけですよね。 何とかいのちがけであそこから立ち上がろうとしている方々が、不安の中でいのちをかけて守っている方々がいる。 そして私たちは熊本から遠いこの地で、彼らを祈りをもって、また奉げものをもって支えるんですね。 それが私たちの全力です。 その私たちのいのちがけの努力がなければ、ロトがいのちがけで走らなければ、神さまがいかにして無理やり町の外にロトを置いたとしても、ロトは助からないです。
神戸の大震災の時も、インマヌエル神戸教会の会堂は無事でした。ほんのわずかの亀裂が入ったぐらいの話で無事でした。 しかし皆さんも思い出していただくと、あの時、私たちの神戸教会がある長田区を襲ったのは火災だったでしょう?
火の手があちらこちらから上がり、夜になりますと、その火災がざ〜っと六甲の風に乗ってどんどんどんどん西へと広がって行くのを、皆さんテレビでご覧になったと思います。 火災は教会から20メートルの所に迫っていました。
その夜、火が迫って来るので、手の空いている教会員たちは教会に集まりました。 そして手に手にバケツを持って、近くの消防車からちょろちょろ流れて来る水を分けてもらって、そして火を道路を越えてこちら側に来ないように――その道路というのはほんの数メートルの道路ですけれども――向こう側の火事を必死に消して回った。 ですから航空写真を見ますと、インマヌエル神戸教会の手前で火が止まっているんです。 わずか5メートル先は焼け野が原ですよね。
神さまは守ってくださった。それは神さまの憐れみにより、しかし同時に、教会は必死で会堂を守った。 この二つが揃わなければ(なりません)。 私たちは憐れみの大きさを、どんなに強調してもしすぎることがないことは事実です。 しかし、神さまはそれでも「走るのはあなただ」とロトを励ましておられる。 神さまは、私たちの手を使い、私たちの足を使い、様々な出来事の中で、私たちを憐れみの管として用いてくださいます。
3)先週ちょっと触れました。ロトが助けられたこの現実は、アブラハムのおかげですね。
27節をちょっと見てください。
<創世記19:27〜29> 27翌朝早く、アブラハムは、かつて【主】の前に立ったあの場所に行った。 28彼がソドムとゴモラのほう、それに低地の全地方を見おろすと、見よ、まるでかまどの煙のようにその地の煙が立ち上っていた。 29こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。
アブラハムのゆえにロトは助け出されたんです。 聖書の中には、いくつかショッキングな記事が出てまいりますけれども、ここもその一つですよね。
以前ロトが聖書の中に出て来るのは、アブラハムのしもべとロトのしもべが争いになって、そしてアブラハムが提案するわけですね。 「ロトよ。おまえが左に行けば、わたしは右に行く。別々の道に行こう。そしてもう私たちは親類関係なのだから、争いごとに巻き込まれるのはやめよう」と。 その時、ロトは緑が豊かな、土壌の潤っているヨルダンの低地全体を選び取りました。 ロトは近くにソドムがあることを知っていました。 で、その13章においては、「ロトはソドムの近くまで天幕を張った」(***12節)と書いてあります。 ところが、19章の1節を見ていただきますと、こう始まりますでしょう。
1そのふたりの御使いは夕暮れにソドムに着いた。ロトはソドムの門のところにすわっていた。……
ということは、ロトは低地の町、ソドムの町のすぐそばに天幕を張ったんですが、いつの間にかソドムの町に溶け込んでいたということです。 そして彼の娘の複数人はソドムの男性と結婚をしていた。 8節を見ていただきますと、ソドムの人々が、乱暴な行動に出たとき、ロトは、私(藤本牧師)はこれはとんでもないことを言ったと思うんですね。
8お願いですから。私にはまだ男を知らないふたりの娘があります。娘たちをみなの前に連れて来ますから、あなたがたの好きなようにしてください。ただ、あの人たちには何もしないでください。あの人たちは私の屋根の下に身を寄せたのですから。」
いくら昔の出来事でも、自分の娘をこうやって差し出す父親の頭ってどうなっているんだろうかと思いますでしょう? しかし事を辿れば、もう少し冷静に言えば、なんでこんな町に住んでいたんだろうと思いますよ。 想像もつきませんが考えさせられます。 そして私たちもまたどこかでソドムに近づき、気がついて見ると、ソドムの住人となり、そしてとんでもない出来事に巻き込まれるということはある。ある。
私たちもまた救い出される資格の無い者です。 私たちにとって、神の憐れみを受けるのはすべて「キリストのゆえに」です。 しかしそれに付け加えてもいいと思います――「教会の祈りのゆえに」、わたしはあなたを救い出すと仰ってくださる神さま。 「お母さんの祈りのゆえに」「お父さんの信仰のゆえに」「あなたの子どもの純粋な願いのゆえに」、わたしはあなたを助ける(と神さまは仰ってくださるんです)。
でもいのちがけで、助けられたらそこから先の人生を、信仰をもって走りなさい。 ソドムの炎はあなたに追いつく――そのことをよく頭に入れ、 私たちは互いを励まし、互いに教え合い、互いのために祈り、皆がこの炎から抜けて行くことができるように頑張ろう、とイエスさまは私たちの手を引っ張ってくださる――そのことを覚えておきたいと思います。
☆お祈り
恵み深い天の父なる神さま、私たちはみなイエス・キリストのゆえに、その恵みのゆえに救いに与かった者たちであります。しかしその背後には、私のために祈ってくださった私の友人、私の親たち、また教会のおひとりおひとり、時には子どもの小さな信仰によって、私たちは励まされ、「いのちがけで逃げなさい」と仰ったあなたのことばを受け留めて、ここまで来ることができました。しかし考えてみますと、そんな私たちでさえ、何度も後ろを振り返ったような記憶があります。それで塩の柱にならなかったとしたならば、それもまたあなたの憐れみのゆえです。
記事をよく見ますと、神さま、あなたはロトの直接の家族だけではなく、身内全員を助けようと思っておられたと記されていました。どうか私たち身内みながあなたによって守られますように、私たちを用いて、私たちにも祈ることを教えてください。そしてどこかでアブラハムの信仰のゆえにロトが助け出されたように、私たちの信仰と祈りのゆえに、私たちの身内の者みなが助け出されますように、よろしくお願いいたします。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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