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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   1/1 元旦礼拝・聖餐式:栄光(1)主の栄光はあなたの上に イザヤ60:1〜7
☆聖書箇所    イザヤ 60:1〜7

1 起きよ。光を放て。
    あなたの光が来て
    【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。
2 見よ。やみが地をおおい、
    暗やみが諸国の民をおおっている。
    しかし、あなたの上には【主】が輝き、
  その栄光があなたの上に現れる。
3 国々はあなたの光のうちに歩み、
   王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。

4 目を上げて、あたりを見よ。
   彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
   あなたの息子たちは遠くから来、
   娘たちはわきに抱かれて来る。
5 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
   心は震えて、喜ぶ。
    海の富はあなたのところに移され、
   国々の財宝はあなたのものとなるからだ。
6 らくだの大群、
   ミデヤンとエファの若いらくだが、
   あなたのところに押し寄せる。
   これらシェバから来るものはみな、
   金と乳香を携えて来て、
   【主】の奇しいみわざを宣べ伝える。
7 ケダルの羊の群れもみな、
   あなたのところに集まり、
   ネバヨテの雄羊は、あなたに仕え、
   これらは受け入れられるいけにえとして、
   わたしの祭壇にささげられる。
   わたしは、わたしの美しい家を輝かす。

☆説教    栄光(1)主の栄光はあなたの上に

今年与えられたみことばはイザヤ書60章の1節です。
イザヤ書60章の1節にこう始まります。

1 起きよ。光を放て。
    あなたの光が来て、
    主の栄光があなたの上に輝いているからだ。
2  見よ。やみが地をおおい、
   暗やみが諸国の民をおおっている。
   しかし、あなたの上には、【主】が輝き、
   その栄光があなたの上に現れる。

数年前から、アクアラインを皆さん渡って千葉の方にいらっしゃって、そうして川崎の浮島の上を高速道路が通るようになりました。アクアラインから戻って来ますと、その高速を走ります。
すると左手に不思議な未来都市のような世界が広がります。夜になると格別にわかります。
一面の石油精製のプラントなんでしょうか。配管の建物がジャングルのように広がっていまして、ライトに照らされ、無機質な魅力というものがあります。何か所から炎が出ています。
調べますと、ナイトツアーの名所になっていまして、中には屋台船に乗って、そのプラントを見に行くこともできます。
不思議な闇の世界と言いますか、もちろん安全に働いている人たちも沢山おられるのでしょうけれども、無機質な闇の世界というものは有るのだと思います。

私たちが未来に関する映画やあるいは小説を読みますと、大体核戦争やあるいは地球の気候的な変化によって、私たちの前に闇が広がっている中、生き延びて行く人々――こういうセッティングも多いことであります。

でしたら、人が沢山いる世界がそんなにいのちが溢れているのか?と言いますと、必ずしもそうではありません。
私たちは自分の心の中に心配という闇があるのを知っています。
自分の人生に自己中心という闇があり、あるいは人間関係の闇があり、失望の闇から立ち上がれず、悲しみの闇に包まれることもしばしばあります。

今日読んでいただきましたイザヤ書は、イスラエルの人々がバビロンに捕囚に捕られて70年、とことん奴隷の生活に疲れ果て、戦いに敗れて、捕囚に捕られてそれから明るい日は一日もなかったに違いないですね。
多くの愛する者たちを失い、家族を失い、家を失い、故郷を失い、尊厳を失い、自信を失い、闇の中に完全に閉じ込められている中、
あるとき、神さまが力強い声を響かせます――それが一番最初の行「起きよ。光を放て」(イザヤ60:1)です。「起きよ。光を放て」
英語はとっても簡単で、“Rise and shine”です。“Rise and shine”

私(藤本牧師)は神学校の頃に、二人部屋で友人といましたが、彼はめっちゃめっちゃ早起きで4時半ごろに起きるんですが、起きるなり私の布団をバッと捲って、「起きよ。光を放て!」(大笑)。
実はそれがトラウマになりまして、今でもあまり好きなみことばではない(大笑)。
“Rise and shine”と言いますと、いきなりカーテンが開けられ、布団がはがされる――そういうのばっかり思い出しますが。

1)この光について、ちょっと皆さん見ていただきたいと思います。

1節に「あなたの光……主の栄光があなたの上に輝いている」
「あなたの光」というからには、この光はイエス・キリストご自身だったと思いますが。
この光について、特徴的な表現が繰り返されています。
――それが、1節の最後「あなたの上に輝いている」、2節の3行目に「しかし、あなたの上には【主】が輝き、2節の4行目に「その栄光があなたの上に現れる」
――3回繰り返して「あなたの上に」です。
感覚としては、これは「あなたを目がけて」光が輝くという感じです。

ちょっとイザヤ書をどこかに挟んでおいていただいて、創世記の28章を見ていただきたいと思うんですが――
創世記の28章、11節を私(藤本牧師)が読みますので、皆さんが12節を読んでください。

<創世記28:11〜12>
11あるところに着いたとき、ちょうど日が沈んだので、そこで一夜を明かすことにした。彼はその所の石の一つを取り、それを枕にして、その場所で横になった。
12そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。

読んでいただきました12節、「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている」というのは、ヤコブ目がけて立てられています。
なぜなら、13節を見ていただきますと、「そして、見よ。【主】が彼のかたわらに立っておられた。」
天のはしごはヤコブ目がけて立てられていました。

そのヤコブのことをちょっと思い出していただきますとね――
彼はその夜、石を枕にして荒野で寝ることになります。
それは自分の父親の死を間際にして、祝福の権利、長男の権利を兄エサウに成りすまして彼は奪い取りました(***27章)。
それを知った兄は怒り狂って、彼のいのちを狙います。
そうして弟のヤコブは、お母さんの遠い実家、伯父さんの住んでいるところを目指して荒野を旅した。
その夜、彼は枕が石でありました。

その夜、彼は荒野の闇に包まれました。
しかし彼の心の中はもっと暗い闇に包まれていました。
愛する父親の死、兄を裏切ってしまったという罪責感、そして本当に自分を大事にしてくれた母との別れ、これから先、遠い旅路に自分は耐えられるのだろうかという不安、またこれから新しい土地での仕事・生活がどういうものなのかという不安――まさにヤコブは闇に包まれて寝ていました。

しかし、その夜、「彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて(まさに自分目がけて、と付け加えて)立てられている。」(創世記28:12)。
そして、見よ。【主】が(光ご自身・イエス・キリストご自身が、と言い換えて)彼のかたわらに立っておられた(同13)。
主の栄光は、彼に向けて、彼を目がけて輝いていました。
どん底のヤコブ目がけて、失意と不安のどん底のヤコブ目がけて、主の栄光が輝いていました。

それにヤコブが気づいたというのが16節――

16ヤコブは眠りからさめて、「まことに【主】がこの所におられるのに、私はそれを知らなかった」……

とあります。実は主の栄光が自分目がけて輝いていることを、彼はここで初めて気がつきます。

この瞬間に至るまで、ヤコブは、個人的に神を知りませんでした。
父イサクから神の話を聞かされました。父イサクが神に祈る姿を彼は見て来ました。その祝福にあこがれを抱くようになりました。
しかしヤコブは信仰に目覚めてはいませんでした。

聖書を見ますと、この創世記28章に至るまで、たった一度だけ、ヤコブが「主、神」という言葉を口にしたことがあります。
でも、その時彼は、主の名を使って嘘をつきました。

もう自分の人生が長くないと知ったお父さんは、(ヤコブの)兄のエサウに言います。息子のエサウに言います。
「野原に出掛けて行って、狩りをして、私のために食事を作ってくれ」
その隙に彼はエサウに成りすまして、料理を運んで来ます。
父イサクは驚いて言います。「どうしてこんなに早く用意できたのだ?」(笑)
その時ヤコブは嘘を言いました。「あなたの神、主が私のために、そうさせてくださったのです」と(同27:20))。

これは創世記27章20節のことばです。「あなたの神、主が私のために、そうさせてくださったのです。」
この時初めて彼は神の名を口にしますけれども、それは人をだますためであり、しかもヤコブは「あなたの神が」とは言いますけれども、「私の神」とは言いません。

そのヤコブが、(いま不安におののいて、)暗やみに包まれて荒野で石を枕にして寝ていたその晩、神の栄光は彼を目がけて彼の上に輝きました。
イザヤ書の表現では、「輝いている」(イザヤ60:1)ですね。

しかし、このイザヤを通して語られている神のことばを聞きながらも、なおうなだれて起きることをしない、動こうとしない民もいるんです。
その民は言い張ります。
イザヤ書に戻っていただいて、60章ではなく、40章をちょっと見ていただけないでしょうか?
ここに「起きよ。光を放て」と言われる神に対して、民が答えている言葉が象徴的に記されています。
40章の27節、一緒に読んでみたいと思います。

<イザヤ書40:27>
27 ヤコブよ。なぜ言うのか。
     イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
      「私の道は主に隠れ、
     私の正しい訴えは、
     私の神に見過ごしにされている」と。

どんなにみことばの慰めを受けても、彼らは言い張るんですね。
「私の道は主に隠れ、私の正しい訴えは、私の祈りは、私の神に見過ごしにされている」と。
神の光が人のたましいに届かない。届かないんです。

名探偵のシャーロック・ホームズとその同居人ワトソン博士がキャンプに行きました。そういう場面があります。
二人とも星空にそれぞれテントを張り、そして眠りにつきました。
夜中、シャーロック・ホームズがワトソンを起こして、いきなり言います。
「ワトソン君、星空を見てごらん。どういう状況か、君にわかるか?」
ワトソン博士は眠い目をこすりながら、
「満天の星空ですね。これだけの星があれば、一つや二つ地球と同じような惑星があって、だとすればそこに生命体が存在していても何らおかしいことはないですよね?」

ホームズは笑って言いました。
「バカだなぁ。君には状況が解っていないんだね。いま星空が見えているだろう。だとしたら、君のテントは誰かによって盗まれた(笑)ということが、君にはわかっていないね」

人生はこんな感じだと言うんですね。「君は状況が解っていない」
ワトソン博士は、満天の星空を見上げながら、それを遮っていたテントが盗まれていたという状況が解っていない。

私たちの状況は逆です。
暗やみというテントに包まれていたままで、失望というテントに隠されたままで、実はテントの向こう側に、あなたの光が、私の光が、私目がけて輝いているということが解ってない。
そして私たちは言い張るんです。「私の道は【主】に隠れ、私の訴えは、私の祈りは主に見過ごしにされている」(***イザヤ40:27)。

しかし神さまは仰いました。60章の2節――

2 見よ。やみが地をおおい、
   暗やみが諸国の民をおおっている。
   しかし、あなたの上には【主】が輝き、
   その栄光があなたの上に現れる。

地は闇に包まれている。しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に(あなた目がけて)現れる。

2)起きよ、光を放て

「光りを放て」というのは、当然、私たちは自分の光を放つことはできません。
私たちはむしろ闇に埋もれている者ですから、自分の光を輝かせることはできないです。
でも、私の光が私の上に現れ、私目がけて光を放つ時に、私はその光を反射することができる。あるいはその光に温められることができる。

元旦ですから、日本人の多くが今朝ご来光を仰ぎに、高い山を登られた方も多いのではないかと思います。
ご来光というのは、言うまでもなく仏教用語ですが、もっと一般的に言えば、高い山に登って、日の出を見ることですね。

私はまだ一生の間に一回しか、経験したことのない。ご来光を見るというのは一回しかないです。ま、朝焼けは見たことがありますけれども。
それは高校二年生の夏休みに、学校行事で白馬に登ったというものでした。白馬のどの山を登ったのか、ちょっと記憶にないですが、
覚えているのは、山小屋で食べたカレーライスのご飯が、気圧の関係で芯がある固〜いご飯だったことはよく覚えています。
そして真っ暗になりますと、もうくったくたですから、山小屋ですからすることもなく、もうすぐに寝ました。

そして翌朝、友だちに起こされて日の出を見に行こうと、まだ暗い中、日の出を見に行きました。
そして雲の一線から赤みを帯びた太陽が、すこしこう上がって来るんですね。その時はまだ赤いんですね。
それが雲からふっと出た瞬間、その赤い太陽が黄金に輝く。
上がった瞬間というのは、山の上から見ますと、自分自身がこの太陽と同じ目線と言いますか、太陽に正面に立っていると思った瞬間、自分の身が全身輝きますよね。
あれをご来光というんです。この身が全身輝くのです。

その輝きが増す瞬間というのは、突如増して、そして1秒、2秒、3秒、そしておそらく30秒ぐらいしますと、その全身受けてた輝きはすっとこうずれますよね。
私(藤本牧師)はまだ一生に一度しかご来光を見たことはありませんけれども、その輝きは忘れることはできないですね。
今日みたいに、太陽の輝きがさんさんと降り注いでいる中、ま、昔で言うならば縁側に座り、そして廊下で光を受ける。寒い日でも光を受ける。心底温まると言いますか、力を受けるような感じですよね。

「光りを放て」と言われても、私たち自身では光を放つことはできないということは誰でもわかっているんです。
ですから「起きて」というのは、立ち上がって、光に向きなさい。イエス・キリストにその身を向けなさい。
あなたを目がけて、神の栄光が輝いている。
みことばの力、祈りの平安、賛美の晴れやかさ、そこにあなたを向けなさい。
すると、神の栄光があなたを照らす。

そして月のようになって、その光を反射させなさい。
それが一番目の反射だとしたら、時には静かな湖のように、たましいのざわめきや不安や思い煩いを沈めて、月の光を映し出す二番目の光の反射となることもできるでしょう。

神の栄光の輝き、私の光が、私を目がけて、私を照らす。
ですから、せめて「起きよ」。立ち上がって主を礼拝せよ!
その汚れた服を脱ぎ捨て、十字架の血の注ぎを受けて、罪を真っ白に、雪よりも真っ白くきよめられ、主の光をたましいに受けるために、信仰をもって立ち上がれ。
2017年の元旦、主の愛と栄光が、私に向かって注がれている。
今その方向に顔を向け、全身を向け、たましいを向けて、主の光を受け取りなさい、という聖書のことばです。

私(藤本牧師)は以前、講壇から「アース・ライジング」という言葉を紹介したことがあります。その話をして終わりにしたいと思いますが――
アース・ライジングというのは、日の出ではなくして、地球の日の出。
地球が上がって来る。地球が太陽の光を受けて上がって来るというのが、アース・ライジングですね。

それは1968年の12月21日、アポロ8号、サターンV型ロケット、5型ですかね、これは。打ち上げられ、初めて月の軌道を周回するんです。
月っていうのは、いつでも太陽に同じ面を見せながら地球の周りを回っていますから、このアポロに乗った三人の宇宙飛行士が初めて月の裏側を見たんですね。

彼らが月の軌道に乗ったのは、クリスマスイブでありました。
そして、16時間、裏側の軌道を回って、そして後半に地球との交信が再び始まり、そして映像が送られて来ます。
地球からは見ることが一度もなかった月の裏側はどうだったのか?
船長のフランク・ボーマンが応えます。
「月の裏側の印象は、広く、孤独で、あらゆる生命の存在を排除しているかのように見えた」

と言った次の次、もう一人のクルー、ビル・アンダーズが言います。
「さあ、もうすぐ地球の日の出です」と。(Earth Risingですね、と説明)。
そうして送られて来た映像は、ブルーに青く輝く地球の日の出でした。
そしてビル・アンダーズはこう言います。
「私たちアポロ8号のクルーから、地球の皆さんにメッセージを送ります」
「初めに、神は天と地とを創造された。地は茫漠として何もなかった。闇が大いなる水の上にあり、神の霊は水の上を動いていた。その時、神が『光よ。あれ』と仰せられた。すると光ができた」(***創世記1章1〜3節)

そして、地上にいる私たちに向かって、その地球の日の出の映像が送られて来たわけです。
皆さん、インターネットで「アース・ライジング」って検索をされると、その美しい映像を今でも見ることができます。

人類で初めて月の周回軌道に乗った三人は、16時間、月の裏側で周回している間、交信は途切れてしまいました。
不安もあったと思います。そして、眺めている世界は荒涼とした、あらゆる生命を排除しているような孤独な闇の世界で、

私たちもいつの間にか、月の裏側に回り込んでしまうような者たちです。
霊的な交信は途絶え、一人暗い世界で、そこに吸い込まれて行くような気がいたします。

しかし、(私たちは)その瞬間を耐えます。耐えます。
しばらくすれば、主の栄光が輝き、私を照らしてくれるのを待ち望みます。
この(イザヤ書)60章の4節を見てください。

4 目を上げて、あたりを見よ。
   彼らはみな集まって、あなたのもとに来る。
   あなたの息子たちは遠くから来、
   娘たちはわきに抱かれて来る。
5 そのとき、あなたはこれを見て、晴れやかになり、
   心は震えて、喜ぶ。
    ……
  
「そのとき、あなたはこれを見、晴れやかになり、心は震えて、それを喜ぶ」――晴れやかな2017年でありますように。
そして、7節の一番最後を見てください。

7 ……(一番最後の行)
    わたしは、わたしの美しい家を輝かす。

主よ。教会を輝かせてください。
教会家族の住む家々を輝かせてください(アーメン)。
私たちがチャレンジする様々な出来事にあって、私たちを輝かせてください。
私たちに晴れやかな笑顔を与えてくださり、そのためには、今朝私たち、信仰をもって起き上がります。
私に向かって注がれているあなたの栄光を、この身に受けたいと思います。
そういう気持ちで、聖餐にあずかりたいと思います。

☆お祈り――藤本牧師

起きよ。光を放て。あなたの光が来て、【主】の栄光があなたの上に輝いているからだ。(イザヤ60:1)

恵み深い天の父なる神さま、一日一日新しくあなたは私たちに日の光を与えてくださいますが、今朝は格別です。

2017年の一番初めの日、私の光に向かって、全能の神の光に向かって、この身を向けることができました。どうか、「心の中の闇、この世界の中の闇、いや私たちの人生、これから待ち受けている様々な闇の中にあって、私たちは決して暗がりに吸い込まれることはない。信仰をもって待ち望むなら、必ずあなたは、私目がけて栄光を光り輝かせてくださる――この信仰に立ちたいと思います(アーメン)。

どうか起き上がって聖餐の恵みにあずかることができますように、私たちを憐れんでください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

☆聖餐式        以降は聖日説教に掲載


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