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::: 高津教会 説 教 :::
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fujimoto
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卑しいことを口にするな――エレミヤの祈り
卑しいことを口にするな――エレミヤの祈り
エレミヤ書は、14章から始まって39章までの長い区間、エルサレムの滅亡に関する預言が記されています。その預言の言葉をエレミヤに授ける前に、神はエルサレムの徹底した堕落ぶりを説明されます。
「クシュ人がその皮膚を、ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行なうことができるだろう」(一三・二三)。
イスラエルの民は、確かに偶像崇拝を実行してきました。しかし、それだけでなく、神は、彼らが悔い改めを拒んで、罪に慣れ親しみ、罪の中にとっぷりと浸って、嘆くこともしない姿にあきれておられるのです。
そして一四章二節から、滅びの預言が始まります。
「ユダは喪に服し、その門は打ちしおれ、地に伏して嘆き悲しみ、エルサレムは哀れな叫び声をあげる……」
この滅びの預言は、エレミヤにとって大変ショックなものでした。神の裁きは、当然と思っていても、まさかエルサレム全体が滅亡に追い込まれるとは思っていませんでした。国が滅ぶとは、多くの民が死ぬことを意味します。家族がバラバラになり、故郷がなくなるのです。
●エレミヤの揺れる思い
エレミヤの揺れる思いが祈りの中に出てきます。七節では、潔く裁きの宣告を受け止めます。
「私たちの咎が、私たちに不利な証言をしても、主よ、あなたの御名のために事をなしてください。私たちの背信ははなはだしく、私たちはあなたに罪を犯しました」。
ところが、祈りを締めくくる九節では、裁きの宣告を認めることができないのです。
「なぜ、あなたはあわてふためく人のように、また、人を救うこともできない勇士のように、されるのですか」。
主の裁きは当然であるとしながらも、国の滅亡については主よ、思いとどまってください、とエレミヤは訴えます。しかし、エレミヤには苦しいことですが、神はストレートにおっしゃいました。
「主は私に仰せられた。『たといモーセとサムエルがわたしの前に立っても、わたしはこの民を顧みない。彼らをわたしの前から追い出し、立ち去らせよ』」。(一五・一)
もう決定されていることなのです。この預言を背負うことは、エレミヤにとっては、大変つらいことでした。一五章一〇節に、その状況がよく出ています。
「ああ、悲しいことだ。私の母が私を産んだので、私は国中の争いの相手、けんかの相手となっている」。
エレミヤは、全国民を敵に回して、裁きを予告しなければならなかったのです。誰にも理解されず、誰にも受け入れてもらえず、彼は孤独に迫害に堪えるしか他ありませんでした。
しかし、彼は誠実な預言者のつとめを果たしてきました。
一六節を見てください。
「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです」。
たくさんの我慢も重ねてきました。
「私は、戯れる者たちの集まりにすわったことも、こおどりして喜んだこともありません。私はあなたの御手によって、ひとりすわっていました。あなたが憤りで私を満たされたからです」(一七節)。
少々の挫折はあるでしょう。抵抗もあるでしょう。しかし、辛いことは、延々と同じ状況が続いていくのです。試練に終わりがないのです。
「なぜ、私の痛みはいつまでも続き、私の打ち傷は直らず、いえようともしないのでしょう」(一八節)。
私たちにもエレミヤの気持ちがわかります。これほど、誠実な信仰生活を歩んできたのに、神さま、どうしてでしょう。さまざまな試練が次から次へと私に襲いかかり、誰の理解も得ることなく、これほどつらい預言を長期間背負って、私の人生はどうなるのでしょう。喜びもなく、涙ばかりです。もう限界です。
エレミヤの祈りは、当然の祈りであり、彼の心の中の素直な思いを表現した祈りでした。しかし、それに対して、神は、一九節で、少々厳しい回答を出されます。
「もし、あなたが帰って来るなら、わたしはあなたを帰らせ、わたしの前に立たせよう。もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる」。
卑しいことを口にするな、卑しい祈りをするな。貴いことを口にせよ、貴い祈りをせよ、というのです。
●卑しい祈り、貴い祈り
単純な一般論として、卑しい祈りと貴い祈りの区別は、確かにあるでしょう。私たちはどんなことでも祈って良いのです。どんな小さなことも、どんな願いも心配も、主の前にさらけだすことが祈りです。その意味で、私たちは大して考えもせずに、ただ感情を神の御前にさらけ出します。それで良いのです。考えることによって帰って祈れないことの方が多いからです。しかしそれでも、卑しい祈りと貴い祈りの区別はあります。
一つ貴い祈りを紹介します。敗戦後、進駐軍を指揮したマッカーサー元帥は、熱心なクリスチャンでした。彼は戦後のキリスト教の発展に最も寄与した人物でしょう。彼は国際基督教大学の設立を促し、多くの宣教大会や伝道活動を支援しました。このマッカーサーの有名な祈りで、「父の祈り」と題された祈りがあります。父親が息子のために祈る祈りです。私も親として、子どものために多くの祈りを捧げてきました。しかし、この祈りに比べれば、それは卑しい祈りだと実感します。
主よ、私の息子に、自分が弱いときにそれを認めるだけの強さを、自分が恐れているときに恐れている自分と直面するだけの勇気を与えてください。敗北の中でも誇りを失わず、勝利の中では謙虚に優しくなれますように。
主よ、息子があなたを知り、あなたを知ることこそが知識のはじめであると悟ることができますように。
彼を簡単な安楽な道へと導くのではなく、困難と挑戦に満ちたストレスの道へと導いてください。その中で、彼が嵐に立ち向かうすべを学び、倒れている者をかばう優しさを学ぶことができますように。
主よ、心が清く、その目標が高い人物へと、彼を作り上げてください。他人を制する以前に自分を制することができ、笑うことを学び、しかし泣くことを決して忘れない人物とし、将来に向けて手を伸ばしつつも、過去を決して忘れない人物としてください。
加えて、彼にユーモアのセンスを与えてください。常に真剣でも、気負いすぎないようになるためです。彼に謙遜を与え、偉大であることはシンプルであることを教えてください。真の知恵とは広い心であること、真の力は優しさであることを教えてください。
主よ、これらを聞いてください。そうしたら父である私は、小さな声でささやく勇気を得ることでしょう。「私の人生は無駄ではなかった」と。
願い事の中に、私たちの野心やわがままが込められているとき、それは卑しい祈りでしょう。自分の足りなさ、自分の弱さ、自分の失敗に、いつまでもこだわって、そればかりを見つめている祈り、神の恵みよりも、そちらの方を見つめて嘆く祈りも、卑しいでしょう。信仰の勇気がなく、いつでも消極的で、さまざまな課題から逃げて回るような祈りもまた、卑しいでしょう。
もっとも、何が卑しい祈りか、そんなことを反省していないで、貴い祈りを読むことです。キリスト教の歴史に刻まれたような、キング牧師の祈り、マザーテレサの祈りを読むことです。そして、その祈りを自分も繰り返して口にするとき、自分の祈りもまた貴くされていくことを信じることです。
●エレミヤの祈りの何が卑しいのか。
さて一般論ではなく、この聖書の箇所を考えてみましょう。エレミヤの祈りのどこが卑しいのでしょうか。神は、エレミヤの気持ちを理解しておられたはずです。エレミヤが体験している苦悩を知っておられたはずです。彼が宴席に座らず、小躍りして喜ばず、孤独な姿を見ておられたはずです。では、何をもってして、神はエレミヤに「卑しいことを口にするな」とおっしゃるのでしょうか。
それは、おそらく、一八節の最後に記されているエレミヤの不平です。
「あなたは、私にとって、欺く者、当てにならない小川のようになられるのですか」
エレミヤがふと口にした言葉です。中近東の世界は、緑の深い山に囲まれた日本とは違います。川は少なく、乾期になれば小川はすぐに干上がってしまうでしょう。つまり、水を求めて行ってみると、そこにあるはずの川の流れがないのです。ひび割れた川底が姿を現しています。
神よ、あなたは当てにならない小川のようで、信用できません。試練の中で助けを求めてあなたのところに行ったときに、あなたはそこにはおられません。あなたは真実ではない。当てにならない、という訴えでした。
神は、独特な言い回しで、エレミヤを叱ります。一九節の最後にこう記されています。
「彼らがあなたのところに帰るようなことがあっても、あなたは彼らのところに帰ってはならない」
どういうことでしょか。「エレミヤ、おまえは、わたしの預言者だ。わたしの愛する、わたしが選んだ器だ。そのおまえが、神を信頼しない、神を侮辱する、神をあなどる民と同じようになるな。おまえは、本当にわたしが欺く者、当てにならない小川のようだと思っているのか。おまえが、人々の中に入っていって語っている。彼らがおまえの説教を聞いて帰ってくるのは良い。しかし間違っても、おまえが彼らのような不信仰に陥るな。ただの人のようになるな。信仰者として、襟を正せ」。
エレミヤは神さまに叱られました。彼は、はっと我に返って、その手で自分の口を押さえたに違いありません。
高津教会では、宮本兄の弟さん、大宮シオンルーテル教会の宮本嘉也兄のために祈っています。肺ガンの四期で抗ガン剤と闘っています。ミュージシャンでアコーディオンを弾いいらっしゃり、教会学校の教師を十数年しておられると、インターネットに掲載されている彼の闘病日記に記されていました。
その日記の中に、八月八日「折れない心」と題された箇所があります。
「頭がわれそうでつらい。午前一時前に寝たのに、三時過ぎに頭痛でおきた。それからズート激痛。マッサージしたり、お風呂に入ったりしたけど変わらない。眠りたいけど眠れない。どうしようもないので、今、朝食を食べて、痛み止めの薬を飲んだ。そのうち楽になるだろう。
今回の頭痛を通して1つ自分の中で変化が起こった。それは、いつもだったら、痛みに心が負けて弱気になったりするけど、今日は心が折れなかった。とっても苦しいけど、心だけは負けなかった。なぜなら、自分ひとりで闘うのでは無いという事に気付いたからだ。自分には、たくさんの人の支えがあり、祈りがあり、励ましがある。これは大事な宝物だ」
その日彼は、入院する前の最後の礼拝に出席します。そして、礼拝のあと、みんなが彼を囲んで祈ってくれます。
「今日、泣きました。涙があふれて止まらなかった。その涙は、悲しい涙やつらい涙では無く、本当に、心からの感謝で一杯の嬉し涙だった。……明日から入院します。不安や怖さはあるけど、もう大丈夫です」
ガンが様々に転移していると聞かされ、不安や怖さが押し寄せてくる中、彼は腹をくくったという内容でしょうか。いいえ。彼はあらためて信仰のありがたさ、信仰の尊さに気がついたのです。神は、当てにならない小川のようではない。ふらふらになって小川にたどり着いたら、やはりそこに恵みの流れがあった、という告白です。主の力が、この弱い自分を覆っていることに、宮本さんは気づかれたのです。
卑しいことを口にして、神さまに叱られ、はっと気がついて信仰の正気に戻ったエレミヤに、神は確かな約束を与えられました。
「わたしはあなたを、この民に対し、堅固な青銅の城壁とする。彼らは、あなたと戦っても、勝てない。わたしがあなたとともにいて、あなたを救い、あなたを助け出すからだ。――主の御告げ」(二〇節)。
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