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::: 説  教 :::


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Name   T・Y
Subject   9/17 敬老の聖日:人生の経験から  申命記29:29
☆聖書箇所    申命記29:29

  29隠されていることは、私たちの神、【主】のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。

☆説教    人生の経験から

申命記のわずか一節だけでありますけれども、もう少し前後も読みますけれども、特にこの一節を心に刻んでいただくために、あえてこの1節だけを読んでいただきました。
もう一回ご一緒に読みたいと思います。申命記の29章29節です。

  29隠されていることは、私たちの神、【主】のものである。しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。

先程申し上げましたように、私たちの教会にはご高齢の方々が元気に沢山おられます。
それだけで、それらの方々が歴史を積み重ねて教会にいらっしゃった、ということでありますけれども、
でも振り返ってみますと、いま元気で、いや、いまだに元気で教会に来ておられていても、お一人お一人の方々がどれほど多くの苦悩のトンネルをくぐって来られたかということがよくわかります。

なかなか今、フェローシップ以外に証しを聞く機会はないんですけれども、幼い頃、あるいは仕事上のこと、子育てのこと、家族のこと、ご自身の病気のこと、家族の病気のこと、そういうトンネルをいくつもくぐりながら、信仰を成熟へと導かれ、そして今がある。
あるいは今もまたそういうトンネルをくぐっておられるという、単純にその事実のゆえに、私たちは多大な尊敬を払います。
長生きはすばらしいことです。

しかし多くの人が、長生きをあんまり望まないことの一つの理由に、長く生きても、その苦労は変わらないからです。
人生には沢山の試練があり、沢山の苦しみがあります。
長く生きるということは、それだけ苦労も多いでしょう。
でも神さまが私たちを磨いて、私たちを御国にふさわしく成熟させてくださる。
また神さまは神さまの時を持っておられ、それがまた私たちの感覚とは全く違うということをよく知っています。

私(藤本牧師)たちは夫婦でこの教会を牧会して、30年を超えました。
30年を超えたことの喜びというのは、その30年の中で、皆さんの苦しみや苦悩や喜びも沢山見ることができたということでございます。
一人ひとりの人生にどれほどの悩みや苦悩が込められているかを知る意味でも、この今日のみことば、申命記の29章29節はとっても大切です。

モーセの言葉です。120歳位にして発せられたモーセの言葉です。
彼はエジプトの王宮で仕えること40年、そこを逃げて遊牧民として生活して40年、そして最後80歳になってから、神さまの召しを受けて、奴隷に捕われているイスラエルの人々をエジプトから脱出させるために、あなたを指導者として抜擢すると。
しかし民の不信仰のゆえに、なんと40年間荒野をさまよい、そしていよいよ約束の地に入るんですけれども、その彼は入ることができない。
その代わりに、民に、長い長い、自分の信仰のバトンを渡すかのような説教をいたします。
教訓的な言葉が29章から始まって行きます。

で、実は28章から始まるんですけれども、30章まで続く、そのちょうど真ん中位に、「隠されていることは、私たちの神、【主】のものである。しかし、現されていることは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、」(申命記29:29)というこの言葉が入って来ます。

で、短く、3つのポイントで話をいたします。

1)先ず第一番目に、この言葉が出て来る文脈をちょっと考えていただきたいと思います。

28章の冒頭を見てください。28章の冒頭の1節に、こういう風に始まります。

<申命記28:1〜6>
1もし、あなたが、あなたの神、【主】の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行うなら、あなたの神、【主】は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
2あなたがあなたの神、【主】の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
3あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
4あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
5あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
6あなたは、入るときも祝福され、出て行くときにも祝福される。

という、祝福の宣言が始まります。
「もしあなたが神の声を信じ、神の声によく聞き従うなら」と始まって行きます。
でももしあなたが、神のみことばから逸れて行くときに、あなたはそういった祝福を失うという。

「祝福を受けるか、祝福を失うか」という長い長い話の中で、対句になって出て来るこの(29章の)29節――「隠されていること」そして「現されたこと」
この世界に私たちの知り得ない、またどんなに賢くなっても、どんなに調べ上げても知り得ないことが沢山ある、というわけですね。
そしてモーセは、そのように知り得ない、隠されたことは神のものだと。私たちのものではない。
すなわち、神だけが知っておられ、私たちのものではない。

他方、神が現してくださったこともある。
そして神が現してくださったものは、永遠に私たちのものだと。いや、それだけではなく、私たちの子孫のものである――こういう風に言っています。

ま、中学生が英語を勉強する時に、5W1Hと言いますが、5W1Hというのは、Wが5つあるわけですね。
誰がWho、いつWhen、どこでWhere、What 何を、Whyなぜ、で、1H のHはHowどうやって、です。
私たちはあらゆる物事を整理する、人生を整理する、認識するのに必要な事柄が、この5W1Hです。だれが、いつ、どこで、何を、なぜ、どうやってと。
あらゆる教育に当てはまる整理事項なんでしょう。
大体2歳半から3歳ぐらいから始まるんじゃないですかね、これは。
子どもはひっきりなしにこれを聞きますね。

先日私(藤本牧師)飛行機に乗っておりましたら、4歳ぐらいの男の子を連れて来たご夫妻がいらっしゃいまして、週末に実家に帰るのかなぁと見ているんですけれども、
男の子は飛行機に初めて乗る、そのわくわく感と言いますか、飛ぶ時の迫力がまだ解りませんから、先ずシートベルトをやたらいじるわけですね。
しては外し、しては外し、何回それをやるんだという位に。
で、シートの所についているラジオのライトや、前の席のタッチパネルを触って、小さな窓から外を眺めて、飛ぶ前に興奮しているわけですね。

そして一巡しますと、質問が始まります。
「ね、どこへ行くの?」Where ですね。「いつ飛ぶの?」When ですね。「だれが運転してるの?」Whoですね。「どうやって飛ぶの?」How ですね。「これって本当に飛ぶの?」(大笑)――って、ま、これは大人の質問でもあるわけですけれども。

私たちは生きている限り、この5W1Hを繰り返し繰り返し問い続ける。
そして、人生最大の質問、難問中の難問は、What でもない、Who でもない、Whenでもない、Where でもないんです。それは、Why なぜ?です。
なぜ?――こればかりはわからない。

私(藤本牧師)はもう20年ぐらい前に、インドの神学校で短期間教えていたことがありました。
で、食事がままならない時もありますので、時々週に二回ぐらい、一人で暮らしておられるキリスト教カウンセリングを教えておられた女性の先生の所に、面倒を見てもらうんですが、「我が家に来て食事をしなさい」という。
私は割と、正直言うと、苦痛でございました。
それは食事はいいんですけれども、食事を終わった後、「ごちそうさま」と言って帰る訳に行かない。そこから先が割と長いんですよね。
一人のご夫人ですから、日頃なかなか話し相手がいないということで、話が長くなるんですが、
でも部屋の至る所に、若くして天に召されたご主人の写真が飾ってありました。

ご主人はインドの優秀な牧師で、あまりにも優秀なので、アメリカの教会から奨学金を受けて、二人で40歳半ばにアメリカの神学校に留学なさいます。
そして学位を取られて数週間後、ご主人は心筋梗塞でアメリカで天に召されました。
その悲しみの中に浸りながら、この奥さん先生はアメリカに留まり、そこからカウンセリングを勉強なさって、インドに帰って来られます。
勉強することで、悲しみを乗り越えようとしたと仰っておられました。このままインドに帰っても、悲しみは膨らむばかりだ。勉強することで、何とか乗り越えようとしたと。

そして、自分の悲しみの体験から、人の痛みや悲しみが解るようになって、そしてカウンセリングを勉強するようになった。
浮かんでは消え、浮かんでは消えていく質問は――なぜ?なぜ、主よ。元気であればもっとあなたの働きができて、アメリカでせっかく学んだものを活用できたはずなのに、どうして神さま、どうしてなんでしょう――そのことをいつも考えていたと仰っておられました。

私(藤本牧師)は、海外にいらっしゃる仕事人の方にも、留学生の方にも、皆さんに申し上げます。
「適当にしてね。身体を大切にしてね」と。
勉強なんか、どうせみんな学んだものも忘れちゃうんだしね(大笑)、そんな所に力を入れてどうなるわけではない。
適当にしてね――それは、私はいつも父親(藤本栄造名誉牧師)からも言われていたことです。
私に留学を勧めてくださった朝比奈先生からもいっつも言われました。
「身体を大事にしなさい」と。
「勉強しなさい」なんて言われたことは一度もなかったです。
いつでも「身体に気をつけなさい」

で、後々帰ってから、朝比奈先生に聞かされたことがありました。
それは朝比奈先生は、留学されて、留学中に命を落とした神学生を何人か知っていると。

私たち夫婦は面識はありませんでしたけれども、アズベリー神学校を卒業したすぐ後に、日本から牧師の息子さんが、優秀な神学生が、入って来られました。
その頃ちょうどケンタッキーにトヨタの工場ができて、日本人の駐在員が増えた辺りでありまして、自然に日本人教会ができるようになりました。
で、必ずその神学校の日本人留学生がその教会のお世話をする。

その神学生は、ある日、教会員のお宅を訪問された後、ケンタッキーの曲がりくねった道路、対向車線をはみ出して対向車と正面衝突をして天に召されました。
即死でありました。ぶつかった相手方は大丈夫でした。ほとんど無傷でありました。
はみ出したのは彼の方ですから、相手方にせめて何ともなかったのは幸いだったと、お父さんから聞いたことがあります。
お父さんは牧師でいらっしゃいますから、お父さんとその教団のもう一人の先生がすぐに現地に飛び、そして事情を聞き、葬儀をして帰って来られました。
「あぁ、本来だったら卒業式に渡米をして、息子の晴れ姿を見たかっただろうな」と思いますね。
日本の教会の皆さんも、教団の皆さんも、その帰りを待ちわびていた、この祈られた器。祈られた器、それが対向車線にはみ出して、そして即死ですね。

私(藤本牧師)は、日本に帰ってから10年ぐらいして、その教会に、お父さんの教会に招かれたことがありました。
召されたのは、私と年齢が同じぐらいの息子さんですから、お招きをいただいた時に大変躊躇いたしました。
私と会って、先生はどういう風に思われるんだろうかな?と。

遺稿集をいただきました。遺稿集のタイトルは「主の用なり」
これはイエス・キリストがエルサレムに入って行く時に、ろばの子が「主の用なり」と、イエスさまのお役に立つために引き出されて行きます。
遺稿集が「主の用なり」
「主の用なり」と言って、彼は大学卒業後、英語の教師をしていましたけれども、それを辞めて献身し日本の神学校に行き、そして留学しました。

そして「主の用なり」と言って、天に召されたのだろうか?
いえ、そうではないと思いますね。
「主の用なり」というのは、あくまでも天に召された彼の信仰姿勢、彼の信仰の証しに付けられたタイトルで、天に召された理由は全く分からない。
別に天国で人手が足りないから、「おまえ、ちょっと上がって来い」って(大笑)呼ばれて召されたわけじゃないわけですから、「主の用なり」というのは、天国に召された、それを語っているわけではない。
でも地上に生きている限り、彼は「主の用なり」と言って、自分の信仰生涯を歩んで来たわけですね。

解っていることは、彼が対向車線にはみ出た。不注意と言えば、それまでですが、しかし私たちは、その程度の不注意は往々にしてある、ということはよく解っているわけです。
そこのところは解らない。どんなに考えても解らない。
で、モーセは言うんです。
それは隠されている。分からないではない。それは隠されている。

そして「隠されている」ことは、「主のもの」だと。
「神のものだ」という時には、聖書は独特なものの言い方で、「神のものである」ということは、それは「あなたのものではない」ということになる。いつでもそうです。
「神のものだ」ということは、神さまはそのことを握っておられる。
でも私たちはそれを握ることはできない。
人生長く生きていればいるほど、この隠されていることが増えていくんです。
なぜこうなんだろう?なぜこうなったんだろう?なぜ私の上に?そして自分にふりかかる所の悲しみ・被害というのは、人のそれの数十倍大きい。大きく感じる。
長生きすればするほど、時には自分の子どもが先に召されるということもあるでしょうし、長く生きていれば、孫が病気になるということもあるでしょうし、もちろん自分の不自由さ、それから自分の病、様々なことが加わって来るでしょう。

それらの矛盾の中で、なおも前を向いて歩んでいかれるご高齢者の信仰程、私たちの励みになるものはないです。
教会の小さな子どもの何とも無垢な姿。イエスさまが仰ったように、
「神の国はまさにこのような者たちのものです」(***マルコ10:14)と、
なるほどなぁと思う程、無垢な姿。
そして淡々と年齢を重ねつつ、信仰を保ちながら教会に来ておられるご高齢の方々の姿。それが私たちの信仰の励みですね。

2)では、どのようなことが現されているというのか?

これはちょっとつまらないものの言い方で申し訳ないんですが、
「世界の始まり」について、「人間の罪深さ」について、「私たち人間がどこから来てどこへ行くのか?」「神さま」について、「救い」について、「罪」について、「神さまのみ心」について、
つまり聖書以外では絶対に見出すことのできない、ありとあらゆる情報、「神の教え、神の力、神の出来事」それが私たちに現されている。
すべての回答が聖書にあるわけではない。しかし必要十分なものは、明確に記されている。

そういう意味で、30章の11節をちょっと見ていただきますか?
私が11節を読みますので皆さんの方で12節を読んでみてください。
現されているということは、どういうことなのか、よくわかります。
(申命記)30章11と12節を交読いたします。

<申命記30:11〜12、14>
11まことに、私が、きょう、あなたに命じるこの命令は、あなたにとってむずかしすぎるものではなく、遠くかけ離れたものでもない。
12これは天にあるのではないから、「だれが、私たちのために天に上り、それを取って来て、私たちに聞かせて行わせようとするのか」と言わなくてもよい。
14まことに、みことばは、あなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる。

「できる」(14節)というのは、私たちの可能性ではなく、神さまの可能性です。
恵みに助けられて、あなたはみことばを実行することができる。
現されたものは、あなたのものであり、子々孫々のものである、という時に、モーセはいったい何を考えていたのか?
それは神さまのみこころや、み教えというのは、難しすぎるものでもなく、遠くかけ離れているものでもなく――「それは天にあるから、私たちには何のことだかさっぱりわからん」――そんなことを言うなと。
みことばはあなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはそれを行うことができる。

もちろん私たちは聖書を読みながら、「さっぱりわからん」と思うことは沢山ありますね。
マーク・トウェイン(***1835〜1910トム・ソーヤーの冒険、ハックルベリー・フィンの冒険など)というアメリカの作家の言葉で、私(藤本牧師)はこれをよく皆さんに引用するんですけれども。

ある時、彼の友人が、彼に言います。
「君は信仰を持っているけれども、ぼくはなかなか信仰を持てない。聖書の中には理解できないことが沢山ある。わからないことが沢山ありすぎる。
それがぼくの頭を悩ませ、それがつまずきとなって、ぼくはなかなか信仰を持てない」

その友人に対して、マーク・トウェインはこう言います。
「そうか、ぼくは逆だよ。ぼくの頭を悩ませるのは、聖書の中にある理解できない、わからないことではない。
聖書の中にあるよくわかっていること、よくわかること、それが僕を悩ませ、ぼくの自己中心な生活を追いつめる」

モーセは言いたいですね。
「わからない、出来ないと言うな。みことばはあなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあり、あなたが主の恵みに信頼するなら、あなたはこれを行うことができる。
そしてなかなか行うことのできない自分に悩め。自分に悩んで、そして祈れ。
間違っても、神の御心は遠く天にあり、私にはわからない。聖書のことは私にはわからない。そんなことを口にするな。現されたものはあなたのものだよ」と。

31章の6節を見ていただきたいと思います。
これも一緒に読んでいただきたいと思います。

<申命記31:6>
6強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、【主】ご自身が、あなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。

この言葉もあなたのごく身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあり、あなたはそれに従って生きることができるんですね。
強くあれ、雄々しくあれ。何事も恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神ご自身があなたとともに、その人生を進まれる。
どんなに老いても、あなたを見放さず、あなたを見捨てず、最期私たちが死の陰の谷を行く時でさえ(***詩篇23:4)、主は共に私たちと歩んでくださる。
モーセも、そして彼の後を指導者として引き継ぐヨシュアも、この神の力強い救い、神を信じる者に対する限りない真実、神の真実を味わってきたんですね。

私たちには、わからないことが沢山ある。それは神のものだ。しかしあなたがたは、確かに神の真実を味わって来た。
そして、それはあなたのものであり、そして3番目に、(申命記)29章29節に戻っていただいて、やっぱり何と言っても興味深いこの言葉ですね、二行目――

3)「しかし、現されたことは、永遠に、私たちと私たちの子孫のものであり、」(申命記29:29)の、「子孫」という言葉。

「子孫」という言葉は興味深いと思います。
子どもたちがおじいちゃん、おばあちゃんに尋ねるんでしょうね。
「おばあちゃん、この苦しみの多い世界に神さまはいらっしゃるの?
台風が来て、山がくずれ、川が溢れ、竜巻が物を倒し、地震が私たちの人生を揺らし、私たちの学校生活も大変ですし、病気も苦しいし、
神さまはいらっしゃるの?神さまはお祈りを聞いてくださるの?神さまを信じていて、いいの?神さまを信じているということで、私たちは救われるの?」

モーセもヨシュアも、言います。
「大丈夫だよ。隠されている事は確かに神さまのものだ。
私たちにはわからない。でも大切なことはあなたの身近にあり、あなたの口にあり、あなたの心にあり、それは私たちのもので、私たちの子どもたちのもので、それは私たちの孫たちのもので、私たちの子々孫々のものだ。
神さまはあなたの信仰のゆえに、あなたの家族を愛される。
神さまは愛なるお方だ。あなたの目と耳をお造りになった神が、あなたの苦しみを見ていないということは絶対にない。
あなたの訴えを聞いていないということはない。あなたの苦しみも、あなたの訴えも神は見ておられ、聞いておられる。」

「聖書に書いてあるだろう」――おじいちゃん、おばあちゃん、言うんですよね――
「神さまを愛していれば、神さまはすべてのことを相働かせて益としてくださる。(***ローマ8:28)だから大丈夫。十字架の後に、必ず復活がやって来る」

29節の最後に「みことばを行いなさい」とあるように、どういうことか?
つまり、解らないものに振り回されないで、解っていることをしっかりと握って実行しよう。
私たちは解らないものに振り回される――これが人生の80%ですね。
これは人間というものはそういうもんだというくらい、私たちは不安の塊ですよ。
不安のない人なんていないと思います。
だからモーセは自分の120歳の生涯を閉じるにあたって、自分の人生経験から、明確に彼は語っているわけです。
「大切なのは、解っている20%だよ。それをしっかりと握っていたら、残りの80%があなたの人生を振り回すことがない。そういう信仰者であろうね。
その恵みはあなたの子どもに、あなたの孫に伝えられて行くんだよ」
ということを、神さまは、モーセは、私たちに語りかけたいんですね。

☆お祈り――藤本牧師

恵み深い天の父なる神さま、私たちはひとりでこの地上生涯を生きているのではありません。家族がいて、友人がいて、私たちにとって大切な者たち、人々が沢山います。その中にあって、時には私たちの愛するものが苦しみの中に、時には私たち自身がトンネルの中に、その解らない80%が私たちを振り回します。

でも主よ。どうか、解っているあなたの真実、それが私たちの心の20%しか占めていないとしたならば、そのような場面にあっては、どうか逆にあなたの真実が私たちの心の80%を占め、そして「明確に勇気をもって進んで行きなさい。あなたの行く所、どこにあっても神を求めるなら、神はあなたとともに歩んでくださる」という信仰に立つことができますように、私たちの耳元でささやいてください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。

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