☆聖書箇所 創世記43:16〜34 16ヨセフは、ベニヤミンが彼らと一緒にいるのを見るや、彼の家を管理する者に言った。「この人たちを家に連れて行き、家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と昼食をともにするから。」 17その人は、ヨセフが言ったとおりに、一同をヨセフの家に連れて行った。 18一同はヨセフの家に連れて行かれたので、怖くなって言った。「われわれが連れて来られたのは、この前のとき、われわれの袋に戻されていた、あの銀のせいだ。われわれを陥れて襲い、奴隷としてろばとともに捕らえるためだ。」 19彼らはヨセフの家を管理するその人に近づいて、家の入口のところで話しかけた。 20「ご主人様、最初のとき、わたしたちは食糧を買いに下って参りました。 21ところが、宿泊所に着いて、袋を開けると、なんと、私たちの一人ひとりの銀がそのまま自分の袋の口にあったのです。それで、私たちはそれを返しに持って参りました。 22また、食糧を買うために、別の銀も持って参りました。だれが私たちの銀を袋の中に入れたのかは、私たちには分かりません。」 23彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。あなたがたの銀は、私が受け取りました。」それから、彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。 24その人は一同をヨセフの家に連れていき、水を与え、彼らは足を洗った。また彼は、彼らのろばに餌を与えた。 25兄弟たちは、ヨセフが昼に帰って来るまでに、贈り物を用意しておいた。自分たちがそこで食事をすることになっていると聞いたからである。 26ヨセフが家に帰って来たとき、彼らはその家まで携えて来た贈り物を彼に差し出し、地に伏して彼を拝した。 27ヨセフは彼らの安否を尋ねた。「以前に話していた、おまえたちの年老いた父親は元気か。まだ生きているのか。」 28彼らは答えた。「あなた様のしもべ、私たちの父は元気で、また生きております。」そして、彼らはひざまずいて彼を拝した。 29ヨセフは目を上げ、同じ母の子である弟のベニヤミンを見て言った。「これが、おまえたちが私に話した末の弟か。」そして言った。「わが子よ、神がおまえを恵まれるように。」 30ヨセフは弟なつかしさに、胸が熱くなって泣きたくなり、急いで奥の部屋に入って、そこで泣いた。 31やがて、彼は顔を洗って出て来た。そして自分を制して、「食事を出せ」と命じた。 32それで、ヨセフにはヨセフ用に、彼らには彼ら用に、ヨセフとともに食事をするエジプト人にはその人たち用に、それぞれ別々に食事が出された。エジプト人は、へブル人とはともに食事ができなかったからである。それは、エジプト人が忌み嫌うことであった。 33彼らはヨセフの前で、年長者は年長の席に、年下の者は年下の席に座らされたので、一同は互いに驚き合った。 34また、ヨセフの食卓から彼らの分が与えられたが、ベニヤミンの分は、ほかの者より五倍も多かった。彼らはヨセフとともに酒を飲み、酔い心地になった。
☆説教 ヨセフ(13)保証人が身代わりとなって
先週は林間聖会の前半の司会の部分、私が収録し、WMさんが最後のお祈りをし、そして会衆賛美を歌いました。会衆賛美は牧師三人と、それからオリーブ二人と、あと信徒の方が三人加わって、前で歌ったんですけれど、気持ちよかったです。 大声で思いっきり歌ってすごく気持ちが良かったですね。讃美をみんなで歌うことの喜びというのは、ああ、こういうもんかと。ま、Oさんにしてみれば「妙に男性の声が、録音してみれば強かった」ということでしたけれども、きっと調子に乗って歌ったんだろうと思います。
Kさんに聞きますと、全体的に毎回行っております讃美動画が徐々に尽きて来る。なかなか巡らせるのが難しいということで、ご指名で礼拝の後に讃美動画を数名で歌うということがあります。皆で歌ってもいいんですけれども、マイク収録の関係で、ま、7名位かなと思いますけれども、そういう時にはご協力いただきたいと思います。
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今日は長い聖書の個所を読んでいただきました。 実は43章から始まりますけれども、45章まで行きます。僅か20分の間に行きますので、少し急ぎですけれども、話について来ていただきたいと思います。
ざっとあらすじをお話をいたします。 最初にヤコブの息子たちが、エジプトに飢饉のために食糧を買い出しに行って来た時のことをお話ししました。 ものすごい人口だったと思いますけれども、ヨセフと鉢合わせをしてしまいます。 ヨセフにはすぐに兄だと分かりました。しかし兄たちにはヨセフが分かりません。 十数年ぶりですからね。 ヨセフは「何しに来た?」と対応しながら、「父はどうしているのか?」「おまえたちの兄弟はこれだけか、他にもう一人いるんじゃないか」的な、家族の話を突っ込んで聞くんですよね。 で、妙な疑いを掛けます。そして兄たちの中でシメオンを人質に捕って、そして穀物を彼らに買わせ、帰らせます。 しかし穀物と一緒に、彼らが持って来た代金の銀貨も中に入れて帰してしまいます。 ま、愛情のゆえだったと思いますけれども、しかし帰りの途中で、自分たちの袋の中にみな銀貨が入っているのを見て、「一体これはどういうことなんだろう?」と却って兄弟たちはいぶかしげに考えながら、父親の所に帰って行きます。 ヨセフの思いやりだったのでしょうけれども、わざと事が複雑になって行ってしまいます。
驚愕の言葉ですが思わず出たのが、42章の28節ですね。銀貨を発見した時の言葉がここに書いてあります。 【画面:創世記42章27節「彼らの一人が〜袋の口にあった」28節「私の銀が戻されている」にオレンジ色の傍線。28節「神は私たちにいったい何をなさったのだろう」に黄色のハイライト】
<創世記42:27〜28> 27・・・袋を開けると、自分の銀が、見よ、自分の袋の口にあった。 28・・・「私の銀が戻されている。しかもこのとおり、私の袋の中に。」彼らは動転し、身を震わせて、互いに言った。「神は私たちにいったい何をなさったのだろう。」
というこの不思議ないぶかしさが、私たちの信仰の旅路で、神の摂理に導かれながら私たちは歩んでいるんですけれども、 思わず「神さまはいったい何を私たちになさろうとしているんだろうか」という出来事が多々起こるという話をいたしました。
帰って、長男のルベンが父に報告します。 「もう一度行かせてください。 シメオンはエジプトに人質になっています。シメオンをどうしても取り戻さなければいけません。 そのためには一番末のベニヤミンを連れて行かないと、エジプトの宰相は納得しないと思います。」 父は許しませんでした。 「愛するヨセフを失った。(***下から二番目ですね、と説明)。 そしてお前たちは今、一番下のベニヤミンを連れて行こうとしている。 絶対ベニヤミンは殺される。 となれば、私は白髪頭のまま、よみに下って行くことになる」と断ります。
でも、やがて食糧は尽きてしまいます。 今度は、四男のユダが立ち上がります。ユダはこう言いました。 「私がベニヤミンの保証人となり、私のいのちを引き換えにしてでも、ベニヤミンを帰します。行かせてください。」 その言葉に、父ヤコブは腹をくくります。 43章の14節ですね。こうあります。 【画面:創世記43章14節全文に黄色のハイライト。「私も〜失うのだ」に黒ペンで傍線】
<創世記43:14> 14全能の神が、その方の前でおまえたちをあわれんでくださるように。そして、もう一人の兄弟(***これはシメオンですね、と説明)とベニヤミンをおまえたちに渡してくださるように。私も、息子を失うときには失うのだ。」
というのが、腹をくくったという意味です。 それはユダが、「私が彼の保証人になる」と言ってまで出て来たわけですから、親父としても腹をくくらざるを得なかった。
これが前回のお話でありました。 イエス・キリストは私たちの保証人となって、十字架にかかってくださる。 私たちはこの保証人に支えられて、生きていく。 その時、私たちもまた腹をくくる場面が多々ある。 人生の苦しい決断をされる時に、一体どうしようか、と思う。 しかし《イエス・キリストが私たちの保証人になってくださっている》という事実を前にして、私たちも腹をくくる、 という話を前回いたしました。
さて、今回であります。 こうして一行はもう一度出かけて行きます。 今度は贈り物を携え――二倍の銀貨。前回の分と今回の分――出かけていきます。 すると会ったなり、ヨセフはこういう風に言うんですね。 これは43章の16節ですね。 【画面:創世記43章16節「ベニヤミンが彼らと一緒にいる」「料理しなさい」「昼食をともにするから」にオレンジのハイライト。18節「一同はヨセフの家に連れて行かれた」21節「そのまま自分の袋の口にあったのです」「それを返しに持って参りました」に黄色のハイライト】
<創世記43:16〜18> 16ヨセフは、ベニヤミンが彼らと一緒にいるのを見るや、彼の家を管理する者に言った。「この人たちを家に連れて行き、家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と昼食をともにするから。」(※17節は飛ばして) 18一同はヨセフの家に連れて行かれたので、怖くなって言った。「われわれが連れて来られたのは、この前のとき、われわれの袋に戻されていた、あの銀のせいだ。われわれを陥れて襲い、奴隷としてろばとともに捕らえるためだ。」
という風に恐れるわけですね。 その時に、ヨセフの家を管理するその人に近づいて、入り口のところで話しかけたんです(19節)。 「決して銀を盗ったわけではありません。銀は確かに払いました。 でもそれがそのまんま自分の袋の口にあったのです。それで、私たちはそれを返しに持って参りました。また食糧を買うために、別の銀も持って参りました。」(21節) とこう、言い訳を言うわけですよね。
兄たちは思いました――何か展開が違う。 食糧を買いに来た。銀を戻しに来た。シメオンを取り返しに来た。 でも、これからエジプトの宰相と昼食が始まるというのは、一体どういうことなんだろうか?と。
23節に、このヨセフの家の管理人の優しい言葉がありますね。 【画面:創世記43章23節「安心しなさい。恐れることはありません」「あなたがたの父の神が〜私が受け取りました」「シメオンを彼らのところに連れて来た」に黄色のハイライト】 <創世記43:23> 23彼は答えた。「安心しなさい。恐れることはありません。あなたがたの神、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。あなたがたの銀は、私が受け取りました。」 (***いや、確かに受け取りましたよと。前回袋の中に戻っていた銀は、神さまがそうさせてくださったんでしょう、と説明。) それから、彼はシメオンを彼らのところに連れて来た。
という所で昼食が始まって行きます。 この言葉も非常に象徴的ですよね――「あなたがたの神が、あなたがたの父の神が、あなたがたのために袋の中に宝を入れてくださったのです。」 様々な形で、この長〜いストーリーの中に《神》が出てまいります。 私たちは苦しみの中にあって、「一体神は私たちに何をしようとされているんだろうか?」という疑問もあれば、 自分たちが意図していない以上の恵みを神さまから授かって、そして誰かが私たちに言ってくれるんですよね。 「神さまがあなたがたのために配慮してくださったんじゃないのか?」と。
さて、(ヨセフは)16節でベニヤミンと会いました。 「家畜を屠って料理しなさい。この人たちは私と一緒に昼食をする」という16節の言葉どおりですね。 シメオンが連れて来られ(23節)、昼食のためにヨセフが帰って来るまでに、25節、贈り物を用意しておきます。 そしてヨセフが来るなり――ちょっと聖書を見ていただきますね。 【画面:創世記43章26節「贈り物を彼に〜彼を拝した」27節「ヨセフは〜尋ねた」「年老いた父親は元気か」29節「これが〜末の弟か」に同色のハイライト】 <創世記43:26〜29> 26ヨセフが家に帰って来たとき、彼らはその家まで携えて来た贈り物を彼に差し出し、地に伏して彼を拝した。(※すると、いきなりですね、と説明して) 27ヨセフは彼らの安否を尋ねた。「以前に話していた、おまえたちの年老いた父親は元気か。まだ生きているのか。」 そして(***と28節を飛ばして) 29ヨセフは目を上げて、同じ母の子であるベニヤミンを見て言った。「これが、おまえたちが私に話していた末の弟か。」そして言った「わが子よ。神がおまえを恵まれるように。」
ヨセフは自分の正体は明かさないんです。 でもベニヤミンと分かっていて、「これがおまえたちの末の弟なんだな」と言って、このベニヤミンを祝福するわけですね。
さらに興味深い33節。33節をちょっと見ていただきますね。 【画面:創世記43章30節「弟なつかしさに〜泣いた」32節「それぞれ別々に食事」33節「ヨセフの前で〜驚き合った」に黄色のハイライト】
別々に食事をする(32節)んですけれども、この11人は―― <創世記43:33> 33彼らはヨセフの前で、年長者は年長の席に、年下の者は年下の席に座らされたので、一同は互いに驚き合った。
こう出てまいりますね。 なぜ年齢順を知っているんだろう(笑)と。 なぜルベンが一番上で(笑)、ベニヤミンが一番下で、その間の者っていうのは、今のところ何がどうなのか出て来ませんけれども、 きちっと年齢順に座らせた。いったい、このヨセフというのは何者なんだろうか? ということで驚くわけです。いいですか?
さて、食事が終わりました。で、帰るんですよね。 食事が終わる頃に、またもや、彼らの袋に食糧を満たして銀を戻すんですよ、ヨセフは。 そして家の管理をする者に命じるんですね。 「私のあの銀の杯を、一番年下のベニヤミンの袋の中に入れておけ。銀と一緒に入れておけ」(創世記44:1〜2)と。 そして(創世記)44章の4節で、彼らは町を出て、そして遠くへ行かないうちに追いかけるんですね。 ヨセフの家来たちが追いかけて行って、 「私たちのご主人さま、エジプトの宰相の銀の杯を盗んだな」と。 「いいえ、滅相もございません。もしそんなことになっていたとしたならば、私たちみんな奴隷になります」と。 (創世記44章)12節ご覧いただきますと―― 【画面:創世記44章12節「杯はベニヤミンの袋から見つかった」に黄色のハイライト】
<創世記44:12> 12彼は年長の者から調べ始めて、年下の者で終えた。すると、その杯はベニヤミンの袋から見つかった。
これで大変なことになってしまうわけです。 さて、(ポイントの)3点。5分で3点話したい。何とか5分で話したいです。
1)いったいヨセフは何を考えていたのか?
彼もよく分からなかったと思います。 彼は別に兄弟に恨みを抱いていたわけではないです。 少なからず再会を喜び、ベニヤミンの姿を見て涙をし、それでも彼らが故郷に帰って行ったらもう会えないのかもしれない、という思いがあったんでしょう。 だからベニヤミンとだけは別れたくない。だから彼は自分の銀の杯をベニヤミンの袋の中に入れるという小細工に出たんだろうと思います。 でもこんなことをしますと、問題は複雑になりますよね。
往々にして私たちは神さまの摂理の中で、これがベストだと思って、思いついて何かをするんですけれども、それは却って複雑になるという場合が多々ある、ということですね。
2)その時に四男のユダが出て来ます。
父親を説得したユダ。(44章)14節見てください。 【画面:創世記44章14節「ユダと兄弟たちが」16節「ユダが」「何の申し開きができるでしょう」「何と言って弁解することができるでしょう」「今このとおり〜奴隷となります」17節「その者が私の奴隷となるのだ」に黄色のハイライト。16節「神がしもべどもの咎を暴かれたのです」にオレンジのハイライト】
<創世記44:14〜17> 14ユダと兄弟たちがヨセフの家にやって来たとき、ヨセフはまだ、そこにいた。彼らはヨセフの前で顔を地に伏せた。 (※15節を飛ばして) 16ユダが答えた。「あなた様に何を申し上げられるでしょう。何の申し開きができるでしょう。何と言って弁解することができるでしょう。神がしもべどもの咎を暴かれたのです。 (***また神が出て来ますね。必ずしもそういうわけではないんですけれども、と説明)今このとおり、私たちも、そして、その手に杯が見つかった者も、あなた様の奴隷となります。」
「ユダ、ルベン、もう全員、シメオンもそしてベニヤミンも、エジプトの宰相であるヨセフの奴隷となる。何の申し開きもありません。あなた様の銀の杯をベニヤミンが盗んだとしたならば。」 ここでユダがリーダーとなって、ベニヤミンだけではない、全員が、自分も含めて奴隷となる。 このユダは、かつてヨセフをエジプトに売ることを提案したユダですよ。 ヨセフは思わず、「いやいや、そこまですることはない。一番下の弟だけここに残していけ。あとは帰っていいよ」(17節)と、こう言うんです。
すると、この18節からですね――ず〜っと弁解を話し始めるんです。 【画面:創世記44章18節「ユダが彼に近づいて言った」に黄色のハイライト。
<創世記44:18〜34> 18すると、ユダが彼に近づいて言った。「ご主人様。どうか、しもべが申し上げることに、耳をお貸しください。・・・・・・
と言って、ず〜っと弁解を話し始めるんです。 この弁解っていうのは、前回家に帰ってから何があったのかを延々と話しているんですよ。 シメオンが人質に捕られた。 払ったはずの銀貨が袋に戻っていた。 父親にそれを言った。 父親にシメオンを取り戻しに行きたいと言った。しかし、許してくれなかった。 そこで食糧を尽きた段階で、私が父親に申しました。 「私がベニヤミンの保証人となります。ですからどうしても、エジプトに皆で行かせてください。 もし何かありましたならば、私が一生あなたの御前に罪を負い、そして私のいのちと引き換えにして、どうしてもベニヤミンを戻します」と。 ヨセフ、宰相に、ユダは言うんですね。 「どうか、私を焼くなり煮るなり、どうにでもしてください。 私のいのちはなくていいです。でも父のためにも、ベニヤミンのためにも、どうしてもベニヤミンだけは家に帰してやってください。 私一人を奴隷にしてください。私が全責任を負います。喜んであなた様の奴隷になります。 末の子を兄弟たちと帰してください。」
(創世記)44章の34節―― 34あの子が一緒でなくて、どうして私は父のところへ帰れるでしょう。父に起こるわざわいを見たくありません。」
ということは「年老いた父を憐れんでください」ですね。 このユダの姿に、ヨセフは心を抑えることができませんでした。
そして(創世記)45章―― 【画面:創世記45章1節「自分を制することが」「叫んだ」2節「声をあげて泣いた」3節「ヨセフは兄弟たちに〜お元気ですか」に黄色のハイライト】 <創世記45章1〜3節> 1ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「皆(***というのはエジプト人です、と説明)を私の所から出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。 2ヨセフは声をあげて泣いた。エジプト人はその声を聞き、ファラオの家の者もそれを聞いた。(***外でね、と説明) 3ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして、驚きのあまり、答えることができなかった。
その後は、また来週学んでいただきたいと思いますが―― ヨセフは自分を抑えることができなくなって泣くんですね。
かつて奴隷に入れられ、エジプトの宰相になり、冷静沈着で、悲しみに耐え、批判に耐え、中傷に耐え、賢く遜って正しく生きてきたヨセフですね。 知恵と、関係作りに、圧倒的な力量を発揮してきたヨセフです。 でもその泣き声は、部屋の外にいたファラオの家の者にまで聞こえる程、彼は大声で泣いたんですね。
どういうことか?ヨセフの心は溶けて行きます。 胸が熱くなり、抑えることができなくなり、自分の愛を兄弟たちに明かします。 穀物を買いに来た兄弟たちに、なぜこういう対応をして来たのか、作戦があったわけではないです。 でも言えることは、冷静に自分がヨセフであるということを隠し通して来た。 そして、微妙に父と弟の様子を聞き出し、彼らを再度エジプトに来させるために、シメオンを人質に捕っておいた。 ベニヤミンの姿を見た。一緒にいたかったんでしょうね。彼にわなを仕掛けて、自分の銀の杯を彼の袋の中に入れておいた。 でもすべてを突破して、3番目にヨセフの心を溶かしたのは、今ご覧になったユダの言葉です。
3)ユダの言葉がヨセフの心を溶かした。
包み隠さずこれまでの経緯を話しました。 穀物袋に入っていた銀のことも、父ヤコブの心配も、ベニヤミンを出したくないという父の思いも、全部素直に話しました。
で、ユダは「私が彼の保証人になりました。私のいのちはここで終わっていいんです。 喜んで犠牲になります。どうか、あの子を父のもとに帰してやってください」という、 この自己犠牲の愛、そしてユダの勇気ある決断が、ヨセフの心を動かしたんですよね。 これまでの厳しい体験から得た隙の無い、しっかりとしたヨセフは、優しい人となり、そして胸が熱くなり、泣いてしまったんですね。
私たちまたユダのようになれます。 時にユダのようになって、誰かの保証人となり、いのちをかけて何かを守ろうとする時に、周囲の者たちは心を熱くします。 友人であったり、部下であったり、或いは家族であったり、いのちをかけてその人物を守ろうとする時に、周囲は心を動かされます。
でもそれ以前に気づかなければいけない。 それはユダの子孫、ユダ族からキリストはお生まれになった。 イエス・キリストは私たちの保証人となって、私たちのいのちを救うために、犠牲となられた。ご自身のいのちを投げ打った。 それによって、私たちの心は溶かされた。 私たちも、キリストの十字架が私のためにあるということを知って、涙を流して自分の罪に、自分の愚かさに正直になる。 そして自分の殻に閉じこもることを止め、家族の愛に再び触れようと手を伸ばす、優しいヨセフになれるということを覚えて、一週間頑張っていきたいと思います。
☆お祈りをいたします――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、ユダの決意、ユダがベニヤミンの保証人となって、体を張ってベニヤミンを守ろうとしている姿に、ヨセフは思わず涙して、自分の正体を明かしました。
ということは、もし《イエス・キリストが私たちの保証人である》ということに気がつけば、私たちも自分の殻に閉じこもる必要はなく、私たちも素直に胸を熱くして、涙して苦労のゆえに私たちも悲しみ、私たちも辛い思いをしながら、ありのままの自分を皆の前にさらけ出すことができる。
なぜかと言えば、イエスさま、あなたが私たちの保証人だからです。どうか虚勢を張って生きていくのではなく、あなたが私の保証人であるということを堂々と認めながら、静かに優しく生きていくことができるようにお助けください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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