私たちが公同教会論を論じる背景には、負い目があります。それは、「日本の教会は教会論に弱い」と言われるような体質は、概して福音派にも当てはまるからです。日本のプロテスタントキリスト教は、欧米の宣教師によって一九世紀後半から始まります。当時の欧米の教会の多くが信仰復興運動の影響下にあり、総じて敬虔主義の傾向を持っていました。敬虔主義の積極的面はいまでも福音派に色濃く残っています。伝道への情熱、回心の意識的な体験、祈りや聖書研究への熱意、証しの重視、禁酒・禁煙といった聖潔な生活――こうした敬虔主義のパイエティなくして、福音派のいのちを語ることはできません。 しかし、敬虔主義的傾向は、教会観に陰を落としました。敬虔主義は、教会ではなく、個人の内面を中心にして信仰を理解します。したがって、敬虔主義は「個人主義的」になることを免れられません。このように個人の救いを第一として、教会を第二のこととして考える傾向を、「無教会的個人主義」とでも呼ぶことができます。初めに教会ありきなのですが、初めに個人の救いありきになってしまい、時には教会論に関わる信条や神学や制度というものに関心を寄せないどころから、それを嫌悪する傾向さえあったと言えるでしょう。 またそこには第二の陰があります。それは、「各個教会主義」です。教会と言えば、自分の属している教会しか考えないことです。自分の教会が歴史的にどのような脈絡の中に誕生したのかをほとんど意識しないのです。これは教団・教派にあっても該当します。個々の教派が自らの伝統や組織に固着して、公同の教会につながろうとする努力の欠如、これを「教会的個人主義」と呼ぶこともできますが、ひと言で、自らの教会が「全体にあっての部分である」という自覚に欠けている状態です。 加えて、神学的な理由から福音派は多岐に分かれて日本で宣教してきました。宣教師が教派主義をそのまま宣教地に持ち込んだことも事実でしょう。しかし、自らの神学的な確信がさらに大きな隔てを作り上げてしまったという反省もあります。「和解の福音」を柱とした二〇〇〇年の沖縄伝道会議においては、そのことが宣言文に次のように織り込まれています。 「教会内の対立や分裂は、福音の真理への熱心さのゆえばかりではなく、肉の弱さの現れでもありました。私たちは、分離することで自らの信念を保とうとし、本質的でないことがらへの執着や、異なる考え方に対する過剰な警戒心によって、交わりを損なってきました」。 沖縄伝道会議を越えて、JEAは、内においては協力と一致をさらに堅くし、公同の教会を意識して、外においては自らを全体の一部として、公同の教会に貢献し、また公同の教会から学ぶ姿勢を目指しています。 そこで以下に、 T. 「一つとなる」――理想と現実から見る U. 公同教会論の視点 V. 福音派と公同の教会 と題して、論じることにします。