☆聖書箇所 創世記45:16〜46:4 <創世記45:16〜28> 16ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、ファラオの家に伝えられると、ファラオもその家臣たちも喜んだ。 17ファラオはヨセフに言った。「おまえの兄弟たちに言うがよい。『こうしなさい。家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、 18あなたがたの父と家族を連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたに、エジプトの地の最良のものを与えよう。あなたがたは、地の最も良い物を食べるがよい。』 19おまえはこう命じなさい。『子どもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。 20家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」 21そこで、イスラエルの息子たちはそのようにした。ヨセフは、ファラオの命により、彼らに車を与え、その道中のための食糧も与えた。 22彼ら一人ひとりに晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五着を与えた。 23父に贈ったものは、エジプトの最良のものを積んだろば十頭と、穀物とパンと父の道中の食糧を積んだ雌ろば十頭であった。 24こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「道中、言い争いをしないでください。」 25彼らはエジプトから上って、カナンの地、彼らの父ヤコブのもとへ戻って来た。 26彼らは父に告げた。「ヨセフはまだ生きています。しかも、エジプト全土を支配しているのは彼です。」父は茫然としていた。彼らのことばが信じられなかったからである。 27彼らは、ヨセフが話したことを残らず彼に話して聞かせた。ヨセフが自分を乗せるために送ってくれた車を見ると、父ヤコブは元気づいた。 28イスラエルは言った。「十分だ。息子のヨセフがまだ生きているとは。私は死ぬ前に彼に会いに行こう。」 <創世記46:1〜4> 1イスラエルは、彼に属するものすべてと一緒に旅立った。そしてベエル・シェバに来たとき、父イサクの神にいけにえを献げた。 2神は、夜の幻の中でイスラエルに「ヤコブよ、ヤコブよ」と語りかけられた。彼は答えた。「はい、ここにおります。」 3すると神は仰せられた。「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下ることを恐れるな。わたしはそこで、あなたを大いなる国民とする。 4このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。そしてヨセフが、その手であなたの目を閉じてくれるだろう。」
☆説教 ヨセフ(17)ファラオの招待
創世記の45章から46章にかけて見ていただきました。 読んでいただいた46章の最後に出てまいりますよね、4節―― 「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る」 というのが、今年の元旦の聖句です。 ヨセフの招きに応じて、エジプトへ下って行く父ヤコブというのは、130歳です。 で、旅の途中で不安に駆られ、神に祈った時に約束が返って来た。 「このわたしが、あなたとともにエジプトに下り、また、このわたしが必ずあなたを再び連れ上る。」 この約束をいただいた時に、ヤコブがどれほど不安であったのか。 またそこで祈った場所は、1節にありますように、ベエル・シェバ。 何度かアブラハムもここを祈りの場としていました。
元旦のお話では、高津教会というのは皆さんにとってのベエル・シェバだ、というお話をしました。 一年の巡りの中でどのようなことが起こるのかは甚だ不安であったとしても、皆さんはいつもベエル・シェバにやって来て、そして神の声を聞きます。 130歳になるヤコブであったとしても、神の声を聞いた――「わたしがあなたとともにいる」ですね。
さて、今朝注目していただきたい箇所は、(創世記)45章の後半部分です。 前回3週間前、45章の前半部分を見ていただきました。 前半で注目したのは、ヨセフがエジプトの宰相でありながら、自分の身分を隠し、穀物を買いに来た自分の兄弟たちと接します。 でもとうとう、ヨセフは自分の正体を明かします。 そして兄弟たちに訴えるんですね。 「飢饉はまだまだ続きます。どうか家族を呼び寄せましょう。お父さん共々、みなエジプトに引っ越して来てください」と。 45章の9節をちょっと映しますね。(※映らないので、読むだけ) <創世記45:9> 9どうか、急いで父上のところに上って行き、言ってください。『息子のヨセフがこう言いました。「神は私をエジプトの全土の主とされました。ためらうことなく私のところに下って来てください。
「ためらうことなく」というタイトルで話をいたしました。 ためらう必要がないというのは、この(創世記45章)7節に書いてありますね。 ヨセフは兄弟たちに裏切られ、エジプトに奴隷として売られたんですね、現実は。 でもその現実の見えないところで、「神が私をあなたがたより先にエジプトにお遣わしになったのです」 この出来事というのは、ここにありますね。 「大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるために、神は私を――ま、大変な苦労でありましたけれども――先にエジプトに遣わしたのです」と。 その神の主導、そして神の「大いなる救い」(7節)があるがゆえに、どうか「ためらうことなく、エジプトに下って来てください」(9節)ということでありました。
私たちは前回ヨセフの招きに注目いたしました。 今回見ていただくのは、ファラオの招きです。ヨセフだけでなく、ファラオがヤコブの家族がエジプトに来るように願っているんですね。 ちょっと聖書をまた見ていただきますね。(※再起動しなきゃだめ?と今回新しくされた?ためか、タブレットを触りながら、Oさんに尋ねる藤本牧師) ちょっと再起動している間に、話を進めます。それで皆さん、ぜひ聖書を見ていただきたいと思います。 <創世記45:16〜20> 16ヨセフの兄弟たちが来たという知らせが、ファラオの家に伝えられると、ファラオもその家臣たちも喜んだ。
***「え、ヨセフの兄弟が来たのか!」と誰も脅威を感じる者はいなかった。 エジプトの王、そしてエジプトの王の家来たちはみんなヨセフのために喜んで、そして17節に王ファラオはヨセフに言います。
17ファラオはヨセフに言った。「おまえの兄弟たちに言うがよい。『こうしなさい。家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、 (***すぐに戻りですね、と説明)
18あなたがたの父と家族を連れて、私(***ファラオ、と説明)のもとへ来なさい。私はあなたがたに、エジプトの地の最良のものを与えよう。あなたがたは、地の最も良い物を食べるがよい。』 19おまえはこう命じなさい。『こどもたちと妻たちのために、エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい。 20家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」
ファラオがヨセフに語りかけ、そしてヨセフは、これから兄弟たちにそのように伝えるんですね。 で、見ていただきたいこの言葉です。
1)王が招く時に用いたこの言葉(※それは、神さまが約束しておられる私たちのための最良のものを連想できる)
これでOさん、映っている?遅れちゃう。なかなか難しい。そしたら今日は(※と言いかけて) 大丈夫ですか(※と聞いて安心して、タブレットを操作して)、ここにありますよね? 【画面:創世記45章16節「ファラオもその家臣たちも喜んだ」17節「ファラオはヨセフに言った」18節「エジプトの地の最良のものを与えよう」19節「エジプトの地から車を持って行き、あなたがたの父を乗せて来なさい」20節全文、21節「ファラオの命により」にオレンジのハイライト】
<創世記45:17〜18> 17ファラオはヨセフに言った。「おまえの兄弟たちに言うがよい。『こうしなさい。家畜に荷を積んで、すぐカナンの地へ行き、
***兄弟たちが、そして食糧を待っているヤコブの家族が十分に食べれるように、当面の食糧を積めと。そして家族ごと連れて来いと。
18あなたがたの父と家族を連れて、私のもとへ来なさい。私はあなたがたに、エジプトの地の最良のものを与えよう。あなたがたは、地の最も良い物を食べるがよい。』
という所で、私たちは気がつくではありませんか。この言葉ですよね。 ちょっと詩篇を見ていただきたいんですが、詩篇の81篇です。 「最良の小麦をあなたがたに食べさせる」と神さまが私たちに約束しておられます。 詩篇の81篇の16節ですね。ここです。いいですか? 【画面:詩篇81篇16節をと指で押さえながら読む。ハイライトなど印はなし】
<詩篇81:16> 16 しかし主は 最良の小麦を御民に食べさせる。 わたしは岩から滴る蜜で あなたを満ち足らせる。」
開きませんけれども、詩篇の147篇の14節にもこうあります。 <詩篇147:14> 14 主は あなたの地境に平和を置き 最良の小麦であなたを満たされる。
神さま自身が、「最良の物をもって、あなたがたを満たす。満足させる」と仰ったのと同じように、 エジプトのファラオは、遠くカナンの地からヤコブの家族を迎えるにあたって、 「私はエジプトの最良の物であなたがたの家族を満たす。だから安心してこちらに向かいなさい。」(創世記45:18) しかも、ファラオは「出迎えを出そう」(同19)と言うんですね。 「私の方から車を出す」と。
45章の21節なんですが、これもちょっと画面、試みてみますね。Oさん、ごめんなさい。映らなかったら、あれですが。45章の21節です。 【画面:創世記45章21節「ファラオの命により」「食糧」22節全文、23節「父に贈ったものは」24節「道中、言い争いをしないでください」にオレンジのハイライト】
<創世記45:21〜24> 21そこで、イスラエルの息子たちはそのようにした。ヨセフは、ファラオの命により、(***ファラオがそれを命令しているんですね、と説明)彼らに車を与え、また道中のための食糧も与えた。 (***しかも、と強調して) 22彼ら一人ひとりに晴れ着を与えたが、ベニヤミンには銀三百枚と晴れ着五着を与えた。 23父に贈ったものは、エジプトの最良のものを積んだろば十頭と、穀物とパンと父の道中の食糧を積んだ雌ろば十頭であった。 24こうしてヨセフは兄弟たちを送り出し、彼らが出発するとき、彼らに言った。「道中、言い争いをしないでください。」(※笑って)
***というのは、一番下のベニヤミン、ベニヤミンは彼の直接の弟ですね。つまり母親が同じなんです。 ベニヤミンにだけ晴れ着五着と銀三百枚を上げていますので、ま、ちょっとしたえこひいきですから、でもどうかそれは許してくれと。 自分の直接の弟で、彼にどんなに会いたかったか、ということをヨセフは兄弟たちに伝えたに違いありませんね。
車を出し、道中の食糧を与え、そしてエジプトがどんなにすばらしい所なのかを想像することができるように、父には最良のものを積んだろば十頭と、穀物とパンと父の道中の食糧を積んだ雌ろば十頭を送り出すんです。
2)そして言った言葉が、今日の説教のポイントの2番目になりますけれども、20節ですね。
<創世記45:20> 20家財に未練を残してはならない。エジプト全土の最良の物は、あなたがたのものだから』と。」
一言で言いますとね、家財に未練を残してはならない。 引っ越す時に、王はヨセフの兄弟、父親、家族たちに言うことになるんですね。 「身一つで、エジプトに来てください。」 「何もかも持って来られません。お父さん、あなたは130歳です。あれもこれもと持ち込むよりも、家財に未練を残さず、取り敢えず来てください。」 なぜならば、「エジプト全土の最良のものはあなたがたのものとなるから」ですね。
皆さん、コロナの二年半で何に専心されました? 思い出すと分かりますでしょう。2020年の前半期、日本の国民の皆さんが――特に都心部ですね――精を出したのは断捨離でしたよね(笑)。 ニュースになりました。粗大ごみから様々なごみが、もう角の隅々に山積みになっていて、ごみの業者がこれを処理するのに、大変苦労していると。 「少しは控えてください」的なニュースが出ましたでしょう? みんな家にいるものだから、やることないんですよね。そして考えたことが断捨離ですよ。 要らないものはともかく捨てて行こうという。
この精神はとっても大切ですけれども、仮に皆さんが今いらっしゃる自分の家からどこかの施設に引っ越しをされるとなったらば、皆さん、一体どうされます? できるだけ良い引っ越し業者を呼んで、できるだけそのまんま引っ越そうとは思いませんよね。 行った先がどういう場所かも分かりません。 でもそれ以上に、人生の一つの区切りをつける、という意味でヨセフは言うんですね。 「家財に何の未練も残さず、それは置いて来てください。 その代わりに、エジプトに最良のものを用意いたしますので、その中から必要なものを採ったらいいじゃないですか?」と。 王さまは招いたんですね。喜んで、力強く保証を付けて招きました。
ヨハネの福音書の14章の1節に、皆さんの大好きな一節。 <ヨハネ14:1〜3> 1「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。 2わたしの父の家には住む所がたくさんあります。そうでなかったなら、あなたがたのために場所を用意しに行く、と言ったでしょうか。 3わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」
とイエスさまは仰ったんですよね。 つまり、天の御国には、あなたがたのために住む所がたくさんあるだけではない。 イエスさまはあなたがたのために、最良のものを用意しておく。そして時が来たら、あなたがたを迎える、と仰った。 それにもし続く言葉があったならば、「家財に未練を残してはいけない」でしょう。
またパウロはこんなことを言いますね。 <ピリピ4章19節> 19また、私の神は、キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊さにしたがって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。
あなたがたの必要を満たすのは、あなたがたではない。 キリスト・イエスの栄光のうちにあるご自分の豊さに従って、神はあなたがたの必要をすべて満たしてくださる。 しかし私たちの多くは、パレスチナに築き上げた家財を残しておくことができないんですね。 そのまんま、何の未練もなく、自分の築き上げた家財を放り出すなんてことは、そうそうできるものではない。
でもパウロは自分が築き上げた家財を、ちりあくたのように思っている、と後に言いますよね? 彼が築き上げた家財というのは、立派な家ではないんです。 彼は立派なユダヤ人としての生粋の教育を受け、育ちを受け、生まれも育ちも教育も立場も、ユダヤ教のエリートでありました。 それはパウロにとっては、最大の誇りと言ってもいいんです。 それは彼が着実に築き上げて来たものなんです。 でもそんなものには、何の未練もなく後にいたします。 先程言いましたように、後にするだけではない、「そんなものはちりあくたに等しい」と言う。
それは、ピリピの3:8にありましたように、《私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに》です――これがすべての鍵ですね。 《私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに》、私はこの世で築いて来た家財に未練を残さない。 私の立場、私が築き上げて来たものも、未練を残さない。 勿論、それらは大切なものです。それを大事にして、それを愛おしんで、その築いて来たものの中に、神さまのこれまでの様々な祝福を見出すべきなんですね。 自分は、神さまがこんなに用意してくださっていた、神さまが与えてくださったとは思わなかった。自分はがむしゃらだった。 でも実は、この世界における自分が築いて来たもののそこかしこに、神さまの御手が入っていて、自分はここまで来ることができた――そう思うべきなんです。
しかし、これから皆さんがやがて引っ越すことになる神の国は、そんなもんじゃない。 いざそういう時が来たならば、いや今神の国へと扉が開かれるならば、自分の過去の様々なことに未練を残さず、 迎えの車がやって来る。そこに道中の食糧も積んである。 そして、しばらくの間持つように、また私たちが歓待しているということが分かるように、 なんと遊牧民の洋服ではなく、ま、晴れ着でも着て来たらどうですか?と晴れ着まで用意されるんですよ。 安心して来てくださいと。 で、それを見た時に、ヤコブは安心するんですね。 それが46章の最初に書いてあるわけですけれども、ヤゴブは安心するわけです。 「こちらに来てください。」
3)私たちに当てはめたら、神の国にはさらに大きな祝福が待っている。
にもかかわらず、私たちは地上で財を築くことに一生懸命で、自分の立場、自分の家財を守る事に一生懸命で、一向にその未練を捨てようとしないんですね。
ローマ人への手紙を見て終わりにしたいと思います。5章の8節ですね。 前回も新約聖書のへブル人への手紙を見たんですが、今日はローマ人への手紙の5章の8節からを見ていただきたいと思います。 ちょっと読んでいきますね。 【画面:ロ―マ5章8節「私たちが〜明らかにしておられます」9節「なおいっそう確かなこと」10節「なおいっそう確かな」にオレンジ色のハイライト8節「ご自分の愛を」に黒ペンで5節から数字の上に矢印の線を引っ張って来る】
<ローマ5:8〜10> 8しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。
十字架によって、ご自分の愛を明らかにされました、というのは道中の食糧です、いわば。
9ですから、今、キリストの血によって義と認められた私たちが、この方によって、(***後の日に、エジプトで、神の国で、終わりの日に、を加えて読んで)神の怒り(***神の裁きです、と説明)から完全に救われるのは、なおいっそう確かなことです。
というのはなんで言えるのか? それは道中の食糧がこんなに立派だったら、あちらで待っているエジプトの最良のものはさらにすばらしいと。 10節も見てください。同じことが書いてあります。
10敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させていただいたのなら、和解させていただいた私たちが、御子のいのちによって救われるのは、なおいっそう確かなことです。
またここにも「なおいっそう確かな」としか書いてありませんね。 いま地上で神と和解していたのならば、御子のいのちによって、私たちがやがての時に、さらに深く神の国の相続人となる、ということはなお一層確かなことですと。
それはヤコブの家族たちが実感したことです。 それぞれに食糧が与えられ、車も用意され、そして晴れ着も与えられ、父のためにろば、そしてろばに積んで来るたくさんの物が与えられ、 「身一つで神の国に戻って来てください、天の御国へ」と言った時に、いいですか、 「カナンの地に残して来た家財に何の未練も残さないでください」という王の言葉は父なる神の言葉に聞こえますでしょう?
それをヨセフはイエス・キリストのように、私たちに語ってくださった。 「わたしの父の家には住まいがたくさんあります。 しかも、わたしはそれを用意しに行きます。 ですからもし迎えが来た時には、 カナンの地にあなたが築き上げて来た家財には、何の未練も残さずに、 安心してやって来なさい。」
今この地上における人生においても、神さまは私たちのために車を用意し、食糧を用意し、喜んで迎え、その意気込みたるや、イエス・キリストの十字架の愛にふんだんに現わされている。 父ヤコブはそれを見た途端に、すべてのものを置いて、神の国へと、エジプトへと旅立って行くんですよね。
パウロがそうだった。だから地上にいる時から、もはや自分が築き上げて来たものには未練なしということができたんですね。
☆お祈りをして終わりにしましょう――藤本牧師
恵み深い天の父なる神さま、勿論私たちには地上に沢山の未練があります。なぜなら、今の人生も、今の仕事も、今の健康も、家族もすべてあなたの賜物である、ということを確信しているからです。 でもさらにすばらしいものを、あなたは私たちの将来に用意していてくださる。やがてイエスと共にこの世界を治めることになるという栄光も、私たちはあずかることになる。
今は小さな小さな者で、ほんとに小さな信仰でただイエス・キリストの十字架を仰いでいますが、やがての時はもっと晴れやかな思いで、神の御国に入る自分を思い描くことができますようにどうか助けてください。そして今なお途上にあるこの道のりをお守りください。共に私たちを連れ上ってください。イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。
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